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赤のミスティンキル

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 アザスタンは言った。お前も文字を習得したらどうだ、とうながすような感情が込められているように感じられたので、ミスティンキルは憮然としてそっぽを向いた。文字などいまさら習わずとも十分に生活できるし、ウィムリーフのように本の虫になろうなどとは思いもしない。だいいち魔法にしても文字など知らずとも習得しており、すでに自分の力になっているではないか。
 そんな彼の感情など知らぬまま、ファンダークは扉を軽く二回叩いた。
〔エツェントゥー老。アザスタン様とミスティンキルどのがお見えになっています。部屋にお通ししてもよろしいでしょうか?〕
〔入っていただきなさい〕
 扉ごしにくぐもった声が聞こえてきた。ファンダークは古めかしい木の扉をぎいっと開けて、二人に中に入るように言った。二人が部屋の中に入ると扉は閉められ、ファンダークは立ち去っていった。

 エツェントゥー老は椅子から立ち上がり、両手を広げて二人を歓迎した。とくに龍であるアザスタンに対しては深々と頭を垂れて挨拶をした。
〔ようこそいらっしゃった〕
 そう言って老人は顔中にしわをつくった。
〔色が戻ってから早二週間、ようやくわしら長の仕事も落ち着いてきましてな。今日などは暇をもてあましていたところです。アザスタン様がわざわざお見えになったということは、また何かご相談ごとでもおありなのでしょうか?〕
〔わしではない。用事があるのはこっちのミスティンキルの方だ〕
 アザスタンはここに来た目的を言うようにミスティンキルにうながした。
〔しばらくです、エツェントゥー老。用事っていうのはですね、あなたがラミシスの遺跡について何か知っていることがないかどうか、訊きに来たってわけなんです〕
 ミスティンキルが簡潔にそう言うと、老人はミスティンキルの本意をはかるかのように目を細めた。
〔ほう。どうしてまたあんな場所なんかに? 確かにわしはまったく知らないと言うわけではないがな。それでもいいというのなら、わしの知りうる範囲で話そう〕
 “司の長”は穏やかな口調でそう言って、二人に席につくように勧めた。

〔お二方とも、こんなちっぽけな部屋で申し訳ないが、とりあえずくつろいでくだされ。……なにか喉を潤すものがあったほうがいいかな? それとも酒がよろしいかな?〕
〔酒はとうぶん見たくないです〕
 ミスティンキルはすぐさま言葉を返した。
〔ほっほう、その顔は酒に失敗した、と言ってるようじゃな。まあいい。ならば冷えた茶でも差し上げよう〕
 エツェントゥーは、二人が入ってきた扉とは別の扉を開けてその中に入っていった。がらがらという滑車の回る音と水音が聞こえてくる。どうやら井戸に吊していたなにかを引き上げようとしているようだ。しばらくして彼は水滴に覆われたガラス瓶を一瓶手にして戻ってきた。
〔地下水で冷やした飲み物ほどうまいものはない。それが酒であればなお上等じゃがな〕
 グラスに茶を注ぎながらエツェントゥーは言った。雪解け水のように冷たい飲み物というのは、平野に広がるバイラルの王国ではおよそ口にすることなど出来ない。冬の間か、さもなくばデュンサアルのような高地でなければ味わえない冷たさを、ミスティンキルは喉で堪能した。
 長老はアザスタンにも飲み物を振る舞おうとしたが、彼は断った。
〔飲食という概念は龍にはないのだ〕
 アザスタンは言った。
〔失礼。そうでしたな。高位の龍ともなれば食物を摂らずとも、空気の流れや大地から直接、活力を得ることができるという事を失念しておりました。さて、と〕
 長老は話題を転じた。
〔なにから話せばいいかな。いや、その前になぜラミシス遺跡のことを知りたいと思ったのか、聞かせてはくれぬか、ミスティンキル〕
 しばしミスティンキルは言葉に詰まった。この老人は自分に少なからぬ期待を寄せているようであり、他人に随行して行動をする、と正直にいうように言ってしまっていいものだろうか。それよりは、あたかも自分が主導権を握っているように話を作ってしまったほうが、長老の受けがいいように思えた。
〔ええと、そうですね。ご存じのとおり、おれは“炎の司”となったわけですが、そのう、炎を操るという能力は、術、いわゆる魔法に通じるところがあるんじゃあないかと思ったわけなんです。それにおれは魔法についても習得したわけですし、魔法の発祥の地であるラミシス遺跡に行ってみたい、と思い立ったわけなんです〕
〔正しく言えば魔法の発祥の地というわけではないがな〕
 とすかさず返したのはアザスタン。
〔……とにかく、ラミシスが魔法と深い関係にあったのは間違いがない。だからおれは行こうと思ったんです。ラミシスに〕
 暗示というのだろうか。こうして言葉に出して言うと、まるで本当に自分がラミシスに行きたがっているかのような感覚にすらとらわれた。確かに思い返してみれば今度の冒険では、未踏の地に乗り込んだはじめての人間として名を残すことが出来るかもしれないのだ。多少の困難が待ち受けているかもしれないが、それも帰ってきてみれば冒険譚の一部として唄に詠われることになるだろう。そう思うと自然とミスティンキルの気持ちは高揚していくのだった。だが。
〔行こうと思いついたのは、もとを正せばウィムリーフだろうに〕
〔……〕
 ミスティンキルのもくろみは早くも打ち砕かれた。彼はばつが悪そうな顔をしたまま龍戦士を睨みつける。

 長老はそんな彼らの間に入り、仲裁するようにゆっくりとした口調で問いかけた。
〔正直に話してみなされ〕
〔ラミシスに行こうと言い出したのはおれじゃない。連れのウィムリーフです〕
 ミスティンキルはそういって、今までの経緯を言葉足らずな説明ながらも長に打ち明けた。
〔……でまあ、あいつが本をもとにして調べるってんのなら、おれはおれなりにラミシスを知る手がかりを掴もうと思って、あなたの所に来たってわけです〕
〔なるほどな。じゃがわしも人から伝え聞いた知識をそなたに告げるに過ぎない。なにせ、かの遺跡に行った人間といえば、あの二人の国王を置いて他にいないのだからな〕
〔じゃあ、ここらへんのドゥロームでラミシスに行こうとしたやつはいないんですか?〕
〔おることはおる。特にそなたのように血気盛んな若者が、な。じゃがこの大陸とかの島を隔てる海を乗り越えることができるほど、ドゥロームの翼は長くは持ちこたえられぬ。そうそう。過去唯一もっとも島に近づいた者がおったのだが、その者とてついに願い叶わず辿り着くことはできなかった〕
〔力尽きて死んじまったのですか?〕
〔そうではない。彼は今でもデュンサアルにおるわ。若き頃のマイゼークなのだがな。彼を呼ぶか……いや、ぬしの顔はやめてくれと言っておるようじゃな。ではわしが話そう。なにがマイゼークの行く手を阻んだかというと――龍じゃ〕
 ミスティンキルは目を見開いた。
〔龍が、島の周囲に棲んでいるんですか?! ……アザスタン、それっていうのは誰だか分かるか?〕
〔わしとて久方ぶりにアリューザ・ガルドにやってきたのだ。それぞれの龍の住まいなど分かるわけもない〕
〔その龍がマイゼークに名乗った名は、ヒュールリット。そう、朱色《あけいろ》のヒュールリットじゃ〕
作品名:赤のミスティンキル 作家名:大気杜弥