赤のミスティンキル
(よし! こうなったら……直接確かめてみるしかないわね!)
酔っぱらっているかもしれないミスティンキルが、ウィムリーフの話を真面目に聞き入ってくれるか定かではないが、ともかく一刻も早くミスティンキルの答えを聞きたかった。彼女が一刻も早く新たな冒険行を開始するために。付いてこないと言われれば多少彼女の心は傷つくだろうが、それだからと言って彼との縁がすっぱりと切れるわけではないだろう。冒険から帰ってきたその日に何気なく再会の挨拶を交わせば、全ては元通りになるに違いない。
ウィムリーフは決意すると、壁につり掛けてあるランプを手にとって灯をともした。そして本をしまい、机の明かりを消すと部屋の外へと出て行くのだった。
(二)
ウィムリーフは、ランプの光で足下を確かめながら、急な坂道を息せき切って駆け上がっていった。空はすでに濃紺から黒へと色を変えつつある。もう間もなくすると周囲は真っ暗になってしまうだろう。走りながら何人かのドゥロームとすれ違ったが、彼らはランプを手にしてはいなかった。ドゥロームという種族は比較的夜目が利くのだろうか。
アルトツァーンの商人達が寝泊まりする旅籠の平地からやや離れたところ、ドゥローム達の住んでいる山あいからもやや離れた場所に、酒場は軒を連ねている。普段は外で酒をたしなむという習慣のないデュンサアルのドゥローム達も、時にはバイラル達と混じって酒を酌み交わすこともある。そのために酒場は両者の住処の中間――岩山の麓あたりに集まっているのだ。とは言え、デュンサアルの慣習を知らない者にとっては不便きわまりない。他の地域であれば、宿屋が酒場を兼ねていたりするものだというのに。
なぜわざわざ走る必要があるのか、なにが自分をこうまでせき立てているのか、もはやウィムリーフには分からなくなっていた。とにかくミスティンキルに、自分がラミシス遺跡へ旅立つことを伝えなければならない――その一心だけでウィムリーフは道を急ぐのだった。
◆◆◆◆
酒場の建ち並ぶ界隈にたどり着いたウィムリーフは、この中から一軒の酒場に見当を付けた。たいていの場合この店か、そうでなければもう一軒隣の店かどちらかにミスティンキルが入り浸っているからだ。
こぢんまりとした木扉を開けると、案の定ミスティンキルはいた。十人も入れば満席となってしまいそうなこの小さな酒場は、とくに装飾品はない質素な造りとなっており、壁に掛けられた二つのランプの光のみが部屋の中を薄暗く照らし出している。隣の店からは楽器の音色と共に浮かれた声が聞こえてきているが、この店には今のところミスティンキル以外の客の姿は見あたらない。
「……あ? ウィムじゃねえか。お先に飲ましてもらってるぜえ!」
ウィムリーフがやってきたことに気づいたミスティンキルは、杯を片手に上げながらそう言った。顔がずいぶんと赤い。彼は杯に残っていた酒を飲み干して卓に置くと、大きく息をはいた。
「おあいにく様。飲みに来たわけじゃないわ」
ウィムリーフは同じ机に自分の持ってきたランプを置く。癖の強い酒の匂いをかぎ取ったウィムリーフは、今のミスティンキルになにを言っても無駄だと知った。この地方の特産である火酒は、他のどの地方の酒よりも強いと言われる。火酒という名にふさわしく、それを飲めば龍の体内に宿る炎を得たかのように体が火照り熱くなる。寒さの厳しいデュンサアル地域の冬を乗り越えるためにと造り出された酒だ。
そんな酒だというのに、ミスティンキルはすでに二杯ほど空けている。今の彼が酩酊しているのは火を見るより明らかだった。ウィムリーフは軽く溜息をついて、まずは店の主と挨拶を交わすと、酔っぱらいに話しかけた。
「今までたった一人で飲んでたっていうの? しようがないわねぇ」
「んん……。なんだよ。飲みに来たんじゃねえのか……。あ、じゃあなにか? まだ冒険誌の手伝いをしてほしいってのか? あと残ってんのは……紙にきちんと文章を書き上げることだけれど、それってウィムの役目だろう? おれはだめだ。文字なんかろくに書けやしないんだから! 今さら文字を覚えろって言われたってそうはいかねえ。それだけは勘弁してくれよなあ」
ミスティンキルは両手を横に伸ばし、大げさに首を横に振った。ややろれつが回らなくなってきている彼は、いつになく饒舌だ。この調子では彼はたらふく酒をかっくらったあと、突っ伏して寝てしまうに違いない、とウィムリーフは思った。
「別にあんたを連れ戻す気で来たんじゃないって。……あのね。ちょっと別の話があったからここに来たってわけ」
素っ気ない調子でウィムリーフは言葉を続けた。
「酔っぱらってるミストにあれこれたくさん言っても伝わらないだろうから簡単に話すけど……。あたし、また冒険をしてみるつもり。ここから南にずうっと行ったところに遺跡があるんだけど、そこに行きたくなってね」
「ラミシスの遺跡。……ってやつだろう?」
酒場の主人から新しい杯を受け取ったミスティンキルは一口酒をあおり、半ば座った目でウィムリーフを見た。
「え? もうミストは知ってたの? ラミシス遺跡のこと」
「昔々の魔法王国、だっけか? そういう怪しげな所があるってのは、ここで飲んでる時に何度か聞いたことがあるからな」
「そう。なら話は早いわ!」
ウィムリーフはぐっと身を乗り出した。
「なんだってそんなへんぴなところに行こうだなんて考えてるんだ?」
「それはなんと言ってもラミシス遺跡っていうのは、かつての魔法に大きく関わった場所だからよ。魔導を受け継いだ身だったら、その目で確かめたくはならない? それにわざわざ東方大陸《ユードフェンリル》の南の端まで来たんだから、この機会を逃したくない。そう、こんな機会は、望んだってなかなか来るもんじゃないわよ? あたしは今すぐにでも行きたい! って考えてる。……それでミストはどうするのかな、と思ってここまで訊きに来たわけよ」
「まだ、前の冒険誌のまとめだって完成してないってのに。なんでそんなに急ぐ必要があるんだ? もうしばらくはのんびりとしてかねえか?」
「……じゃあ、ミストは行く気にはなれないってわけね? ひょっとしたらこの前の冒険みたいに、予想も付かないとんでもないものが見られるかもしれないのよ?」
ウィムリーフはミスティンキルの顔をのぞき込んだ。
そして諦念。
今までも、多少の憂さ晴らし程度に酒を飲むのであればウィムリーフも目をつぶってきていたが、今日の彼は飲み過ぎている。ミスティンキルの赤い瞳は酒のせいかやや濁ってすらも見える。本来は赤水晶《クィル・バラン》のように澄んだ色をしていたはずなのに。それまでの彼が確固として持ち続けていた、執念とも似た強い意志など今や微塵にも感じられない。