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赤のミスティンキル

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 時は夕刻。間もなくすれば回廊に連なる豪奢な燭台には赤々と炎がともることだろう。大きなガラスの一枚板をはめ込んだ窓からは中庭の様子が一望でき、あたかも氷でこしらえたかのような透明で見事な彫刻が、庭の中央と四隅と合わせて五体、堂々と構えているのが見える。あれら、見たものに畏怖すら感じさせるかのような大きな彫刻は、どこに住まう動物達を象ったものなのだろうか? 彼女は皆目見当がつかなかったが、少なくともアリューザ・ガルドの生物ではないことは分かった。
 はたと、再び誰かに呼ばれた気がして視線を廊下に戻したちょうどその時――ウィムリーフは夢から覚めたのだった。

 なぜ、このような夢を見るようになったのだろう?
 その原因は分からないが、分かっていることがひとつだけあった。それは、夢を見始めた時期というのは、彼女がラミシス遺跡を訪れたいと願うようになった頃――二日前と、奇妙なことにちょうど一致する、ということだ。あの夢の情景はもしかすると、ウィムリーフの願望が創り出した、在りし日のラミシスなのかもしれない。
 ウィムリーフは体を起こし、ぼさぼさとなった髪の毛を手櫛で整えると、寝入る前に読んでいた本に手を伸ばし、再び続きを読み始めるのだった。彼女がここ二日ばかり夢中になっている本。その表紙にはこう題名が書いてあった。
 『未踏の地ラミシス 〜カストルウェンとレオウドゥールが行いし、魔導王国ラミシス遺跡の冒険行について――数多くの吟遊詩人の歌より〜』

◆◆◆◆

 ラミシス遺跡はその昔、魔導王国ラミシスとしてアリューザ・ガルドに存在していた。
 この王国が実際にあったのは今から遡ること九百年ほど昔。統一王国アズニール王朝がこのアリューザ・ガルドを統べていた時代のこととなる。
 デュンサアルよりさらに南下し、スフフォイル海を越えた先にひとつの大きな島があった。この島はもともと人が住まう地ではなかったが、“漆黒の導師”を名乗る魔法使いスガルトを筆頭に魔法使いが集まりだし、やがてこの地は魔法研究のひとつの拠点となった。だが、この王国の目指す目的とは、およそ人間が踏み込んではならない領域だったのだ。それは肉体と魂を永遠にあらしめること、すなわち不死であった。魔法という大いなる力を究極まで肥大化させることによって、神々の領域にまで近づくことこそを究極の命題とおいていたのだ。
 しかし過去の歴史という名の教訓に基づけば、神の領域を目指すことは禁忌に他ならない。さらに昔、冥王ザビュールが封印を破って降臨を果たした原因もそこにあるのだから。事実、この魔導王国においては、口に出すのもはばかられるようなおぞましい儀式が幾度と無く繰り返されていたし、王国中枢の魔法使い達は、常軌を逸したあの忌まわしきザビュール崇拝者達とも親しい関係にあったとすら言われている。

 とうとうラミシス打倒の軍勢が動き出した。その筆頭は魔導師シング・ディール。彼はスガルトの血族であるが、漆黒の魔導師の狂気から逃れるために離縁していた。ディールはアズニール王朝の諸卿より助力を受け、軍勢を引き連れてラミシスに攻め入るのだった。しかし、大陸とラミシスを隔てるスフフォイル海を渡る際、強力な魔力障壁に阻まれて戦力は壊滅、ディールは敗走することになる。
 ディールを助けたのはドゥール・サウベレーンのヒュールリットだった。“朱色《あけいろ》のヒュールリット”とも呼ばれるこの龍はもともとドゥロームであったのだが、“炎の界《デ・イグ》”に赴いて龍化の資格を得たために朱色の躯を持つ龍となったのだ。ヒュールリットは他の龍達を呼び起こし、彼ら龍達はディールらと共に行動を起こした。ディールとその軍勢は龍に乗り、ラミシスの魔法障壁を打破してついに魔導王国へと至った。
 戦いをくぐり抜けたディールはヒュールリットと共に、玉座の間に降り立った。魔法を極めた王スガルトも、龍と魔導師の力には敵わず、ディールの鍛えた闇の剣、漆黒の雄飛すなわち“レヒン・ティルル”によって葬り去られた。
 王を失ったラミシスは浮き足立ち、アズニール軍と龍達によってあっけなく滅び去った。以来この地は廃墟と化し、人を寄せ付けない孤島となった。
 これが魔導王国ラミシス興亡のあらましである。

 以来、遺跡となったラミシスには人が立ち入ることがなかったが、わずかばかりの例外があった。それが今なお吟遊詩人達の唄に詠まれている、カストルウェンとレオウドゥールによる冒険行である。
 この二人はその後、それぞれアルトツァーン王国とメケドルキュア王国の初代国王となったのだが、領土を持たない若い時分からの親友同士であり、共にアリューザ・ガルド各地を旅して巡ったという。彼らはこれらの冒険行を書物として遺すことはなかったが、後世に今なお語り伝えられているのは、ひとえに吟遊詩人達の紡ぐ唄の数々によるものである。
 そんな若き彼らの冒険行のひとつが、ラミシス遺跡巡りであった。吟遊詩人の語るところによると、カストルウェン達は、一匹の龍に乗ってラミシスの荒れ野に降り立ったとされる。さらにはかの王都オーヴ・ディンデを取り囲む四つの塔に入り込み、それらに巣くっていた竜《ゾアヴァンゲル》達を退治して財宝を持ち帰った、とある。だが、そんな彼らであっても王都にだけは入ることが出来なかったらしい。四つの塔の内側は常に濃い霧で覆われており、全くと言っていいほど視界が確保できないため、血気盛んで才気溢れる若者達とは言えども、王都の探索は断念せざるを得なかったと言われている。

 だったら、自分がその謎に包まれた王都、オーヴ・ディンデの有様を書き留めたい――。
 冒険家として自信をつけたウィムリーフがそう考えるのは至極当然との事とも言えた。
「あたしは……ここに行かなきゃならないのよ!」
 誰に言うでもなく、しかし強い意志を込めてウィムリーフはひとりごちた。

◆◆◆◆

 ウィムリーフは時の経つのを忘れて読書に没頭していた。冒険家としてラミシスの遺跡に行ってみたいという切なる願望はいや増すばかりだった。前人未踏とも言える地においそれと足を延ばすものではない、それは危険だと分かっていながらも、彼女の心はまだ見ぬ遺跡へとさらに傾いていく。
 本を読み終わった時にはすでに日はどっぷりと暮れ、机を灯すロウソクの光だけが部屋の明かりの全てとなっていた。

「でもあいつ……付いてきてくれるかなぁ……」
 ふとウィムリーフは無愛想な恋人のことを思った。これから行おうとしている冒険行は、全くの彼女の独断だ。ミスティンキル自身はすでに為すべきことは成し遂げて、さらに冒険記の編纂まで手伝ってもらったのだから、あえて彼を冒険に付き合わせる義理は無い、とも言える。
 だが同時に、彼だからこそ付いてきてほしいという全く相反する感情も芽生えていた。ミスティンキルは彼女以上の大きな魔力を持っているし、それを使いこなすことが出来る。彼が付いてきてくれれば、たとえ魔族があの島を占有していたとしても恐れることなど無いように思えた。何より――共に今までの苦労を分かち合った仲間であり、さらに自分の恋人だからこそ付いてきてほしかったのだ。
作品名:赤のミスティンキル 作家名:大気杜弥