赤のミスティンキル
ジェオーレはウィムリーフなど歯牙にもかけない様子で言い放ったのだが、“炎の界《デ・イグ》”に赴こうとしている二人は、とりあえずほっとした。この若者は、どうやら実際にアイバーフィンを見たことがないのだろう。彼女が着ている翼の民の衣装には、まったく気付く様子がない。あくまで、ウィムリーフの黒く染め上げた髪の色のみで種族を判断しているようだ。
「我らの“炎の界《デ・イグ》”、だと? ……なあ、あんた思い違いをしていないか。“炎の界《デ・イグ》”はドゥロームの持ち物じゃあないはずだろう? 誰のもんに属するものではない、とエツェントゥーどのからは聞いているぞ」
ミスティンキルの言葉に対しジェオーレはわざとらしく頭を押さえ、悩んでみせた。あからさまにミスティンキルの感情を逆撫でしようとしている。
〔ああ。エツェントゥー様も、余計なことをおっしゃるものだ……。たしかに海辺の漁師どのが今言ったことは間違ってはいない。が、海の住人たちは忘れてしまわれたのだろうなあ。我らドゥロームの誇りがあることを。炎を司る我らにとって、他の種族の者達が“炎の界《デ・イグ》”に赴くのは好ましからざることだ〕
(ここの連中は、誇りってやつの意味をはき違えてるんじゃねえか? そんなのは、単なるくだらねえ偏屈だ)
ミスティンキルは苦々しく思ったが、口に出すことはなかった。
「さあ、もういいだろう。その槍を引っ込めてくれよ。おれたちはデュンサアルを登る。そして“炎の界《デ・イグ》”に行くんだ」
〔……それはならないな〕
威嚇するように声の調子を落としたジェオーレは、手にした槍を横につきだして道をふさいだ。
「不敬なウォンゼ・パイエ(海蛇の落人)を行かせてはならないとの命を受けている。ましてバイラルまで同行しているとあっては、なおさら通すわけにはいかない」
「……マイゼークの差し金か?」
今まで抑えてきた憤りを隠しきれなくなったミスティンキルは、食ってかかるような勢いでジェオーレに言った。
〔差し金とは酷いことを言うな。確かにわが父の指示であるが、これは“司の長”じきじきのご命令と思え。お前が我らと同じ炎の民、龍の末裔だというのなら、これに従う必要がある〕
「そんな命令など聞けるか?! そこをどけよ」
ミスティンキルは、ジェオーレの槍に手をやると、力任せに押しのけ、強引に通り抜けようとした。
「これ以上進もうというのなら、それは“司の長”に刃向かったということを意味する。……デュンサアルの掟に従って罰せられるぞ」
ジェオーレは槍を手にしていない左手を後方の吊り橋のあたりに向けて、高く掲げた。すると、吊り橋の入り口あたりの地面から勢いよく炎の柱が幾本も立ち上り、壁となって行く手を阻んでしまった。
〔……年若いからといって、この私をなめるなよ。私とて炎の加護を受けし者、炎を操る者――“炎の司”だ。こうして道をふさいでしまえば、お前たちにはどうすることも出来ないだろう。無礼な赤目よ。この炎が消せるか? ……無理だな。いくらお前が強大な魔力を持っていたとしても、おのが力の使い道を知らなければ、為すすべなど何もないからな〕
「ああ、確かに今のおれでは何も出来ないな。でもな……突破してみせてやるよ。あんたが思いもかけないような方法でな!」
そう言ってミスティンキルはウィムリーフのほうを振り向いた。
「ウィム……さっき、風が出ていると言ってたよな。どうだ、いけるか?」
ウィムリーフは一瞬戸惑ったが、この龍人の若者の言わんとしていることを理解し、渋々ではあるが頷いた。
「風はさっきと変わらないわ。いける……けれど、罰せられるというのはどうなの? それはデュンサアルの――ドゥローム族としての掟に反することになるんじゃない?」
「掟だって? どのみち、このへんぴな村を出ちまったらそんなものには意味がねえよ。だいたい、こんな了見の狭い連中の言うことなんかを『はい、そうですか』と聞いていられるか?! おれは我慢ならねえな。ウィムだってそう感じないか?」
ウィムリーフは頷いた。彼女の表情はミスティンキルの言い分には幾分納得しかねている様子だが、だからといって堅物なジェオーレの言葉に従うつもりも無さそうだ。傲慢で偏った排他性こそが誇りである、と思い違いをしている守人に対して、彼女なりに怒りを感じているのは間違いないだろうから。
「なら、決まりだ。……行こうぜ!」
ミスティンキルはニヤリと口元を歪ませて、再びジェオーレの方へ向き直った。
ジェオーレはそのやりとりをただ聞き流していた。彼らがどうあがこうと、炎で遮られたこの吊り橋を渡ることなど出来るはずもないのだから。彼ら同士のやりとりは無駄なあがきにすぎない。たとえ泣きついてきたとしても、ここから先へ通してなどやるものか。
そう侮っていただけに、ミスティンキル達が次に為したことは、この若者の理解の範疇をまったく越えていた。
決意を固めたウィムリーフはミスティンキルの背後からそっと手を伸ばし、胴回りを抱きしめると――彼ともども高く跳躍した!
〔飛んだだと?! ばかな!〕
槍を落とし、半ば呆然とした様子のジェオーレが徐々に小さくなっていく。彼の哀れなまでに呆けたさまを楽しむかのように、上空のミスティンキルは笑ってみせた。
「まんまと突破されました、とマイゼークに伝えてやれ! どのみちおれは、エツェントゥーどののお墨付きを貰っているんだ。……なあ、嫌味ったらしいマイゼークのせがれさん! この試練が終わったら、今度は同じ立場で――“炎の司”としてお前に会ってやるよ!」
余計なことを言わないの、とウィムリーフのたしなめる声が背後から聞こえてくる。
ジェオーレにはもはや怒声を張り上げるほか為すすべがない。世界が色褪せてから自然の持つ力が弱まった。龍人の飛ぶ姿を見かけなくなったということは、おそらく“司の長”の命令で飛ぶことが禁じられているのだろう。ジェオーレは追ってくることはなかった。かりに追うことが出来たとしても、“風の司”ウィムリーフに敵うはずもないだろうが。ジェオーレは苦しみ紛れに攻撃を仕掛けてきた。吊り橋を阻んでいた炎の壁が大きな火の玉へと姿を変えて二人に襲いかかった。ウィムリーフは、ミスティンキルの大柄な体を抱きかかえたまま、いともたやすく避けてみせ、さらには風の力を用いてその火球を吹き飛ばしてしまった。
「まったく、無茶するわねえ! ミストも、あたしもだけれどもさ。……こうなったらどうあっても“炎の司”となって、しかも色を元に戻す方法を龍王様から聞きだして帰ってこなきゃね!」
背中越しに聞こえるウィムリーフの声は、やけに楽しそうだ。底意地の悪い守人に一泡吹かせて気が晴れたのだろう。
ウィムリーフは光の玉を消すと、精神を集中させるために一つ二つ大きく呼吸を繰り返す。と背中から、夜の闇をも照らすように白い光が煌めく。
時折輝く翼を広げたウィムリーフに抱きかかえられ、赤目の若者は雄大なデュンサアル山を見た。今また山腹からちろりと炎の舌が姿をのぞかせた。
◆◆◆◆
風をかき分け、空を疾駆する。
デュンサアルの大きく黒々とした山容がぐんぐんと迫ってくる。