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赤のミスティンキル

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 ミスティンキルは自分の中から何かが放たれたのを認知した。瞬時にして、彼の視界に広がるもの。それは霧のような赤い色だった。純粋なる赤い力、ミスティンキルが有する力の片鱗であった。
 彼自身が驚く間もないうちに、ミスティンキルのまわりを取り巻いていた赤い霧状のものは突如肥大化し、あたかもミスティンキルがそれを望んでいたかのように長達の姿をも飲み込んでしまった。




(三)

〔こやつ、もしや魔法使いか?〕
 ミスティンキルの動きを封じていた二人の“司の長”は、赤い色を解き放った若者に恐れを抱き、即座に手を離すと部屋の奥まで逃げ去った。
〔“術”を放とうというのか!〕
 奥の席に腰掛けていた二名の長達も、部屋を包む赤い色が尋常ならざる力を秘めているのを感じ取り、立ち上がった。“司の長”ほどの知識を持つ者であってすら、顕現した超常の現象を目の当たりにしてなすすべがない。ただ狼狽えるのみである。ある者は逃げまどい、ある者は怯えて机の下に隠れた。平然と落ち着き払った様子で椅子に腰掛けているのは、長老エツェントゥーただひとり。白い顎髭を蓄えた細身の老人は、ミスティンキルの力を見極めようとするかのように、正面から彼と対峙している。

 当のミスティンキルは呆然と立ちつくすのみ。自分の前には、恐れのあまり気高さをうち捨てた長達がいる。彼らの滑稽さをあざ笑ってやろうとも思うのだが、出来なかった。今のミスティンキルは内的思考に深くとらわれ、心は凪のように静まりかえっていたのだ。
(この赤い霧みたいなのは、なんなんだ? こんな……得体の知れないものがおれの体から出てくるなんて。ラディキアの親族達が忌み嫌っていた、おれ自身に秘められた“力”というのは、こいつなのか?)
(なぜ、こんなものが出てきたのか、それなら何となく分かっている。……抑えられないくらい、あのじじいを憎たらしく思ったからだ。あいつは……)
 ……気にくわねえ。
 そう思ったと同時に、色は鮮烈な紅色からどす黒い赤へと変貌した。この禍々しい赤は、ミスティンキル自身の憎悪の念をまとったものなのか。
 ふと気付くと、先ほど蔑みの言葉を放ったドゥロームが、苦悶の表情を浮かべて胸をかきむしりはじめているようだ。赤い色は明らかに、この長に対して力を流しているのがミスティンキルには分かる。

 その時、長老エツェントゥーはすくりと立ち上がると、ほっそりした老体からは想像できないほどの大声を放った。
〔そこまでだ! それから先は考えるでない! 赤目の若者よ、力を抑えるのだ!〕
 威厳に満ちた声が会議室に朗々と響き渡る。
 それを聞いたミスティンキルは、今まさに降りようとしていた内なる思考の深淵から、意識を戻した。
 彼が己を取り戻すのと同時に、忌まわしく濁った赤は徐々に小さくなっていき、色合いも鮮烈な赤へと戻っていく。ついに一点に凝縮した紅の光点は、矢のように鋭く放たれ、ミスティンキルの胸の中に埋まった。刹那、ミスティンキルの全身が赤く輝く。
 ミスティンキルは目を見開き、また、大きく息を吐く。流れる血潮の音すら聞き取れるほど、彼の鼓動は高まっていた。そして、今し方発動し、また取り込んだ得体の知れない力に対し、恐怖を覚えているのを知った。

 エツェントゥーは長達に叱咤した。
〔……そしてお前達、なんたるざまだ。炎を守護し司る者の頂点――“司の長”ともあろう者達が、魔力に怯えるとは! さあ、さっさと席につくがよい!〕
 長達は、ミスティンキルに怪訝な眼差しを投げかけながらも、各々の席に着いた。

 部屋はもとの薄暗さと静けさを取り戻した。この沈黙は重苦しい雰囲気を助長する。“司の長”達はミスティンキルを威嚇し咎めるように睨み、一方のミスティンキルは居心地悪そうに彼らの視線から目をそらした。だが、今し方の現象について誰も言葉にしようとはしなかった。

〔……以降、エツェントゥーの名において、無駄ないがみ合いはまかりならん。よいな、各々がた。しかと肝に銘じよ〕
 不自然な静けさが支配する会議室の空気を破ったのは、長老だった。
〔さて、若いの。先ほどはこちらのマイゼークが無礼を言ってしまったようじゃな〕
 先ほどまでの厳格な表情は消え失せ、エツェントゥーの物腰は柔らかなものとなっていた。彼はまず、先ほどの口喧嘩を仲裁するようだ。長老のみが先ほどの“赤い力”について何かしら知っているような素振りを見せていただけに、ミスティンキルはやや落胆した。エツェントゥーは言葉を続ける。
〔だがおぬしとて、我ら長に対して暴言を放ったこともまた事実。まずはそちらから詫びてくれ。さすればこちらも同様に詫びるとしよう。マイゼークよ、よいな?〕
 先ほどまでミスティンキルと言い争っていた無骨な龍人――マイゼークは決まりが悪そうに頷いた。
〔……確かにおれも口が悪くなってました。長たちを前にして申し訳ない〕
 ミスティンキルは小さく頭を下げた。
〔なにぶん長引く会議のために、俺も気が立っているのだ。まあ……済まなかったな〕
 こうしてマイゼークも、長老に催促されてしぶしぶながら謝罪した。が、この強情な偉丈夫の目は責めるように、じっとミスティンキルをねめつけている。
 忌々しいやつめが。お前は海蛇の毒を放って、俺を苦しめたのだ――マイゼークの目はそう語っていた。

〔……では話を戻そう。お前は“炎の界《デ・イグ》”へ行くのだったな。だが、どうやら察するに“炎の界《デ・イグ》”への入り方などは知らぬようだな?〕
 長老エツェントゥーの問いにミスティンキルは頷いた。
〔長老。一つ訊いておきたい。あなたは知ってるんでしょう? さっきの……赤い霧みたいなものが、一体何なのか〕
 エツェントゥーは頷いた。
〔ふむ、ふむ。……力を放った当の本人がそのように言うか。やはりそうか。お前は自分の持つ力について何一つ知らないのだな?〕
〔ガキの頃から、なんかしらの力が宿ってることは知っている。けど、それが何なのか、分からなかった。もしかすると……〕
〔忌まわしい力だ……〕
 ミスティンキルは驚き、体をぴくりと震わせた。マイゼークが漏らした言葉こそ、自分が言わんとしていた言葉だったのだから。
〔マイゼークよ、口を慎めと言った! 今後そのような振る舞いをすることは、わしの名にかけて許さんぞ〕
 エツェントゥーの叱責を受けたマイゼークは肩をすくませた。一方のミスティンキルは、自分の過去を――大きな力を秘めるがゆえに疎んじられてきた過去を思い出し、わなわなと拳を震わせた。
〔やっぱり、あってはならない力だっていうのか? おれが持つ力とやらは……呪いなのか?〕
〔いや、赤い色を秘めた者よ。恐れることはない。あのような力は、実のところアリューザ・ガルドの住民であれば、多かれ少なかれ誰しもが持っているものなのだ。このわしも、そしてここに居並ぶ長達も。そして下の町に訪れている商人達もな。それはすなわち――魔力だ〕

 魔力。
 七百年もさかのぼる昔のこと。バイラル達は国をあげて魔法の研究に取り組んでいたとされている。その魔法を行使するための源こそが、魔力。
作品名:赤のミスティンキル 作家名:大気杜弥