赤のミスティンキル
大部屋を照らすのは、窓から入り込む弱い西日と、壁の燭台にたてられた幾本かのロウソクのみであり、やや薄暗かった。部屋の中央には円卓が置かれ、“司の長”と称される五人の龍人達が、卓を取り囲むようにして深々と座っていた。が、扉のそばに立つ見慣れぬ訪問者――ミスティンキルの姿を認めると、この訪問者へと視線は集中した。
そのまとわりつくような視線を嫌うかのように、ミスティンキルは目を泳がせると、部屋の奥にあるものにふと目を留めた。そこには天上から吊され、床にまで届く大きな壁掛けが掛けられていたのだ。
意匠もまた見事であり、真っ赤な躯を持ち大きく翼を広げている雄々しい龍を中心に据え、炎が龍のまわりを取り囲んでいる。この深紅の龍こそが龍王イリリエンに他ならない。“炎の界《デ・イグ》”を統べ、ドゥール・サウベレーンの頂点に立つ深紅の王。アリュゼルの神々によって人間達が創造されるよりさらに以前に、アリューザ・ガルドに顕現した最初の龍。イリリエンの力はディトゥア神族にも匹敵する。あるいはディトゥアより上位の神であるアリュゼル神族にすら肩を並べるかもしれない。かつて“黒き災厄の時代”に黒き神ザビュールが降臨した際にも、龍王は龍達の先陣を切って魔界に至り、忌まわしき冥王と相対したと言われている。
そのイリリエンの壁掛けを背にするようにして腰掛ける老ドゥロームこそ、長の中でももっとも地位の高い者だろう。右奥、目を閉じて腕組みを崩さずにいる大男は、長老格の者よりもやや年若くもあるが、初老の域に達しているに違いない。そのほか、右手前には明らかに疲れ果てた表情をしている痩せた男、左奥のミスティンキルから目を離すことなく鋭い視線を投げかけている壮年の男と、同じくミスティンキルを見つめる左手前に座す男。彼らこそが、炎の事象にもっとも長じている“司の長”であった。
ミスティンキルを案内してきた今一人の“司の長”――ファンダークも、もっとも手前の席に腰掛けると、扉を背にして棒のように突っ立ったったままのミスティンキルを一同に紹介した。
〔エツェントゥー老、それに皆さま方。……この若者は、試練を受けるために“炎の界《デ・イグ》”に行くそうです。その前に我ら”司の長”に挨拶したいとのことで、連れてまいりました〕
エツェントゥーという名の長老は静かに頷いた。
〔我らを訪れたというのは賢明だな、若いの。そして我らもちょうど会議を休もうとしていたところで都合が良かったというものだ。さあ、名乗るがいい。そして、どこからやってきた?〕
右前に座わる痩せた男が聞いてきた。
〔名はミスティンキル。ミスティンキル・グレスヴェンド。……ラディキアからやってきました〕
〔そうか、ラディキアか! ……はっは。あの海洋に浮かぶちっぽけな島のいずこかからお前は来たというわけだな?〕
ミスティンキルの出身地を聞いた途端に笑い出したのは、右奥に腰掛ける初老の大男だった。歳を経たとはいえ戦士といっても差し支えない鍛えられた肉体を持つ偉丈夫は、豪快に笑った。
〔わざわざここデュンサアルを訪れ、試練を受けたいとはな。“ウォンゼ・パイエ”らにも、炎を尊ぶ心がまだ残っておるとは思わなんだ。ご大層にも我らドゥロームの真っ赤な正装で着飾りおって。俺はてっきり、海の者達の正装は、青――波打つ海を織り込んでいるものと思っていたぞ〕
腕組みをしていたその男の言葉にはあからさまな侮蔑が込められていた。
〔ウォンゼ・パイエ……つまり、海蛇の落人《おちうど》だと?〕
ミスティンキルは嫌悪の念をあらわにして、じろりとその男を見やった。
海に住むドゥロームはドゥロームではない、と長は考えている――。
事前にこの噂を聞いていただけに覚悟は出来ていたつもりだったが、こうして自分が実際に蔑みの言葉を浴びせられると、かあっと頭に血が上っていくのが分かる。
男はミスティンキルの表情を気にも留めない様子で、さらに言葉を続けた。
〔さよう。龍でもない。海蛇よ。これはもう遠い昔のことであるが……我らドゥロームは、もともと翼を持ち、山を住まいとしていた龍の民であった。これくらいはお前でも知っていよう? しかし、鳥人達との戦いがあり、我らと鳥人は共に神の裁きを受けた。結果、我らの翼はもがれ、デ・イグでの試練を受けぬ限り、アリューザ・ガルドでは得難いものとなってしまった。翼を無くしたというのは、あの鳥人達も一緒だが……こともあろうにその後に連中はアイバーフィン、つまり“翼の民”であると名乗りおった。我らとて翼を持つ民であることには変わりないというのに……我らのことを差し置き、“翼の民”を名乗るとは、けしからん傲慢な連中よ! ……なあ、長の衆よ〕
一同は、もっともだと言わんばかりに頷いた。男は言葉を続ける。
〔まあ、鳥人のことはさておいて、だ。……かの“天空の会戦”によって失われたのは翼のみにならなかった。アリューザ・ガルドと“炎の界《デ・イグ》”とをつなぐ門をも我らは失ったのだ。その時から我らはもといた大地をあとにして、失われた門を再度見つけるために探求の放浪を続けた。そして長きに渡る流浪の末、とうとう新しい門を見つけたのだ。それがここ、龍人の聖地デュンサアルだ。門を見つけ、そしてここに住まうことを我らは誇りに思う。――だが、一部の者にとってはそうではなかったようだな。山への郷愁を忘れて放浪を止めてしまった者、海辺にて暮らす者。真摯な意志を捨てて安穏と暮らす落伍者……それがお前の祖先だ。海蛇の落人よ〕
この言葉を聞いたとき、ミスティンキルは自分の抑えが効かなくなっていることに気付いた。そして気付いたときには既に言葉が出ていたのだった。
「落ちこぼれだと? おれたち海に住む者が?! ……このじじい、言わせておけば勝手なことを!」
ミスティンキルは男に殴りかかろうとしたが、手前に座っていた長の二人に制止された。
「離してくれ! おれたちだって毎日一生懸命に働き、誇りをもって生活をしてるんだ!」
ミスティンキルは強引に振り解こうとするがかなわなかった。
「なのに、あいつはおれを馬鹿にしやがったんだ! 許しておけねえ! それとも……あんたたちも所詮あいつと同じだっていうのか? そうなんだな? なんせ長の仲間うちだものなあ! おれのことなんざ、卑しいやつだって程度にしか考えてねえんだな?!」
ミスティンキルは赤い瞳をめらめらと燃えたぎらせ、司の長達の顔を鋭くねめつけた。
〔……おまけに粗野ときたものだ。礼儀知らずめ。我ら長に対してよくそのような不敬な言葉をつかえるものだ。いや、ものをよく知らないと言うべきか?〕
当の男はそしらぬ顔で肩をすくませるだけだった。
〔まあ、お前のドゥローム語は訛りがひどく、何を言っているのだか、我らには聞き取りづらいのだがな。ドゥロームの言葉よりも、バイラルの言葉をよく好んで話すようだ。所詮は気高き誇りをうち捨てた、海の者よ〕
憎悪と怒りに包まれ、我を忘れそうになったその時。