赤のミスティンキル
「うん。疲れるのよねぇ……。無理してがんばって見せてるっていうの、自分でも分かっちゃうから。気晴らしに飛んでやりたいところだけど、それをやっちゃったらせっかく髪を染めてる意味が無くなっちゃうし、それに……落ちるのは怖いし」
ウィムリーフは明らかに、自分の翼が失われることを恐れている。ミスティンキルは彼女の肩をそっと抱くと、彼女の顔のそばで言った。
「……ウィムの力が無くなったわけじゃないだろ。これはおれの勘だけどな、色がおかしくなったことで自然の力が弱まってんじゃないかと思ってるんだ。……見ろよ。この火だって、これだけ薪を入れてるってのにたいして暖かくならねえ。じゃあ風の力はどうだ?」
「……そうね。風の流れ方が明らかにおかしくなってる。流れ方が遅くなっているというか滞ってるというか……」
風の司でもあるアイバーフィンの娘は即座に答えた。
「な? おかしくなってんのは自然の力だ。あの時、翼が消えたのだってお前のせいじゃない。そこは安心しろよ」
少々強引なこじつけであることが自分自身でも分かっていながら、ミスティンキルは言ってのけた。ウィムリーフの不安を追い払ってやりたい一心から。
「へええ」
対するウィムリーフは、ミスティンキルの考察を見事と思ったのか、感嘆を漏らした。
「大したもんね、ミスト。そういう言い方、安心するわ……ずうっと昔、魔導師たちがいた頃の魔法学の講義を聴いてるみたいね。ひょっとしたらあんた、魔法使いとして食べていけるんじゃない?」
ミスティンキルは笑った。
「馬鹿を言えよ。今いる魔法使いなんて、いんちきなまじない師と変わりねえだろう? そんなうさんくさいもんになるつもりはないね。おれには漁師のほうが向いてる……それに今のおれは“炎の界《デ・イグ》”のことしか頭にないんだ」
「“炎の界《デ・イグ》”での試練ね……どういったことをするのか、あたしも見てみたいな。冒険家のたまごとしては、すごく興味あるもの」
「やっぱり、ウィムも行きたい、か……」
ウィムリーフは力強く頷いた。
彼女が自分と一緒に“炎の界《デ・イグ》”に行きたがっているという事は前にも聞いたことがあるが、彼自身連れて行っていいものだか見当がつきかねた。ウィムリーフがついていてくれれば自分の心が安らぐし、彼自身としてはついてきて欲しかった。だが、アリューザ・ガルドとは全く様相を異にする世界へと連れて行くことは問題にならないだろうか。火に属する自分はともかく、風に属するアイバーフィンを果たして“炎の界《デ・イグ》”が受け入れてくれるのだろうか。なにより、デュンサアルの住民に見とがめられたらどうするのか。
「まあ、“炎の界《デ・イグ》”への入り方が分かるのはドゥロームだけなんだし。無理な話だと思ってるんだけどね……いつものあたしだったらごり押ししてただろうけどさ。……忘れてくれてもいいよ」
「悪いな。今のおれからはなんとも言うことができねえ」
その後、二人は鈍く光る陽光が東の空を薄紅色に染めるまでの間、語り合った。商人達のこと。二人が歩んできた旅のこと。昔の自分のことなど。
ミスティンキルとウィムリーフが出会ったのは五ヶ月ほど前のこと。西方大陸《エヴェルク》から東方大陸《ユードフェンリル》へ渡る途中の島で、ごく小さな出来事をきっかけに知り合い、以来行動を共にするようになっている。
話し込むうちに眠気はもちろんのこと、いつしか不安は吹き飛んでいた。ミスティンキルにとってウィムリーフは、かけがえのない女性になっている。ウィムリーフもまた、同じようなことを考えているのだろう。種族の違いなど、もはや些細なことにしか過ぎない。
◆◆◆◆
明くる日、やや急な斜面を登りきると、それまで左右に迫っていた大きな岩の壁も切れた。そして、望んでいた景色が広がる。この時、商人達にとっての旅はようやく終りをむかえた。そしてミスティンキル達にとっても。彼らはとうとう目的地にたどり着いたのだ。
“炎の界《デ・イグ》”に最も近いとされるドゥロームの聖地デュンサアルをはじめに見たとき、ミスティンキルは少なからず落胆した。聖地と言うからには、アルトツァーン王国の王都ほどでないにせよ、地方の小都市ほどの華やかさくらいは持ち合わせているのだろう。もしくはまるで神殿のように、象徴たる炎が柱をかたどり、その柱が赤々と辺り一面を取り巻いているのかもしれない。そんな彼の想像とはおよそかけ離れていたのだ。
拍子抜けしたのは彼だけではなく、ウィムリーフもまた同様であったろう。
「本当にここがデュンサアルなの? 聖地なの?」
と、商人に念を押して訊いていた。
森と山々とに守られた小さな盆地。素朴で閑静な村。それがデュンサアルだった。
平地と呼べる場所はごく限られていたものの、そこには客を迎えるための宿や酒場といった施設が、質素ながらもあった。
低いながらも急峻な岩山の斜面のそこかしこにへばりつくようにして、堅牢な石造りの家々が密集している。それらの集落からさらに上を見ると、山の頂に近いところにやや小綺麗な建物の集まりがあった。それが、“司の長”達が住む地域なのだろう。
目指すデュンサアル山は――岩山同士を縫うように登っていき、その先にある平原を越えたところに存在している。山そのものは高くはないものの、どっしりと構えた雄大な姿は聖地として相応しいものだった。この山のどこかに、“炎の界《デ・イグ》”へと通じる門が存在するのだ。
(はやいとこ、“炎の界《デ・イグ》”に行ってみたい!)
ミスティンキルは、はやる気持ちを抑えながら、商人達と、そしてウィムリーフと共に旅籠へと向かう。夜を徹したこともあり、ウィムリーフのまぶたは重そうである。
ミスティンキル自身もかなり疲労がたまっていることを自覚していたが、それに勝る意思があった。旅籠で一息入れたあと、すぐにでも“司の長”達に会いにいくのだ。
(二)
炎を象徴した赤い長衣。それがドゥロームの正装である。“司の長”達に会うにあたって、ウィムリーフがミスティンキルに半ば押しつけるように着させたのだ。長という立場の人間に会うのだから、身なりを整えるべきだというのが彼女の考えであった。一方のミスティンキル本人はわざわざ着替えることもないだろうと考えていたのだが、「しゃんとしなさい」という彼女の言葉に一蹴されてしまったのだった。
こうして赤い衣を身にまとって旅籠をあとにしたミスティンキルは、宿の女主人から教えてもらったとおりの道を辿り、“司の長”達が住む地域の麓までやって来た。
しかしながら、そこから長達の住まいがある岩山の頂きに到着するまでは、思った以上に時間がかかってしまった。傍目から見て大した高さではなさそうだったのだが、そう簡単に事は運ばなかったのだ。山の頂へと向かう小径は狭く、岩山の緩い斜面をあちらに行き、またこちらに戻るといったふうに、つづれ折となりながら延々と続いていた。
「やっぱり……ウィムに頼んで、ここまで運んでもらえばよかったよなぁ……ああ、でもあいつ、翼を使うのを怖がってたんだっけ……」