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赤のミスティンキル

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§ 第二章 “司の長”



(一)

 自然の景色がおしなべて色あせて見えるのに対し、旅ゆく商人達の姿や衣服などは以前と何ら変わらなかった。雲一つない灰色の空から注ぐのは、太陽の鈍い光。それは春の暖かな陽光とはほど遠く、むしろ薄ら寒さすら感じさせる。

 くすんだ色合いの風景の中にあって、自分達の輪郭がやけにくっきりと見えるというのは不自然きわまりない。景色が変容してから二日ほど、商人達は声高らかにこの不気味さを言い合い、またそうすることで自分達の不安をうち消し合っていた。だが、三日目が過ぎ、風景の様子がいまだに戻らないことに、いよいよ恐怖を覚えた商人達は言葉数も少なくなり、黙々と丘陵地を登っていくようになった。
 ともすれば陰鬱になりがちな商人達を励ましたのは、明るさを失わないウィムリーフであり、音楽を奏でる旅芸人達であった。さらには愛想が悪いなりにミスティンキルも、しきりに商人達に声をかけるようになっていた。ミスティンキルの生まれは海のそばであるが、もともとドゥロームというものは山に居を構え空を友としていた人間である。今こうして山々に囲まれた高地にいること自体がミスティンキルの心を落ち着かせるのだ。
 周囲の山岳地帯の至るところにドゥロームの村落がある。この日は空を滑空して狩りをする住民をときおり見かけることがあったが、次の日からはぱったり見なくなった。

 エマクの丘を登りはじめて六日目、翌日にはデュンサアルに着くという日のこと。旅商達は道行く葬列に遭遇した。このあたりにしては大規模な葬儀だ。彼らは百人をゆうに越えており、三百名ほどにも達するかと思われた。葬儀に参加する者達はみな一様に赤い長衣をまとっていた。猛々しく立ち上る炎を象った刺繍が施された赤い衣装こそが、ドゥロームの正装である。葬列の衆は松明を手にしており、そこからは色あせた炎がちろちろと弱々しく、くすぶっていた。
 ミスティンキルは旅商の列から離れ、彼らの一人に声をかけてみた。
「なんだ、よそ者か? あんた」
 その男はミスティンキルの言葉遣い――抑揚の違いを訝しんでいるようであった。そしてなにより、赤い瞳も。
 ミスティンキルは男の物言いに憤りを感じたものの、死者の手前もあり怒りを収めた。
「……ああ、おれはラディキアの島からやって来た。ここに来るまで九ヶ月だ。……人が亡くなったのか。……ニーメルナフの力もて、汚れ亡き魂が、無事にかの地にて安らぎをえんことを」
 ミスティンキルの言葉は、死者の魂の冥福を祈る言葉。男は礼を述べると、死者のことを語りだした。
 棺の中にて眠るのは老夫婦。“炎の司”であり、この近くの村の長でもあった彼らは既に二百の齢を重ねていたが、残念なことに寿命による往生ではなかった。腕のいい狩人でもあった夫婦は昨日、普段どおり獲物を狙っていたが、どうあやまったのか二人共に空から落ちてしまったのだという。
「あれほどの名手が翼をいきなりたたむなんて考えられんし……この景色の不気味な色合いのせいだろう、と考えるほかない。まったく、この“色”は何なんだろうな? これこそ、なんかしらの呪いなのかもしれないと、俺たちは思っているんだが」
 男はそう言ってやりきれなさそうにかぶりを振る。
「おれたちもこの“色”には心底まいってるんだ」
 ミスティンキルは言った。お互いの抱いた第一印象から抜け出すことが出来ず、会話はいまだにどこかしらぎこちないものとなっている。
「……おれはこれからデュンサアルに行く。“炎の界《デ・イグ》”で試練を受けるために。ついでに、景色がくすんで見えることについて“司の長”たちに聞いてみようと思ってる。おれたちには分からない何かを、ひょっとしたら知ってるかもしれないしな」
「試練を受けるのならば、ぜひとも長たちには会うべきだろう。だが、俺も先ほどあんたに対して失礼を言ったが、デュンサアルの長たちも同じような事を言うかもしれん。こう言うのも何だが、海に住むドゥロームはドゥロームではないとすら考えているようだからな」
 離れゆく葬列に気付いた男は最後に「試練の成功を龍王様に祈る」と言い残して、ミスティンキルと別れた。
(あいつ、気に入らねえな。はなからよそ者扱いしやがって。でも長の連中ってのは、もっと気に入らねえかもな)

 ミスティンキルは隊商の列に戻った。憤りながらも彼は別のことを同時に考えていた。景色のくすんだ色合いは、世界そのものに何らかの影響を及ぼしているのだ、と確信したのだ。
 こういった考えに至る人間は数少ない。本当に偉大な魔法使い――魔導師とは、術を発動させる際にいつも、世界の運行そのものを視野に入れているものなのだ。しかし、今の世の中に魔導師と呼べる人間など皆無であろう。
 本人は未だ自覚していないものの、ミスティンキルはやはり生まれながらにして魔法使いの才覚を持っていた。

◆◆◆◆

 この夜、ミスティンキルは久々に護衛の任に就いた。深夜には満天に星々が瞬くものの、それはむしろ彼の心をかき乱す。夜の星々や月さえもが弱々しく光るように見えてならなかったからである。
 今日までであれば、高地にいること自体が彼の心をいくらか救ってくれていた。色はくすんだとはいえ、澄んだ空気と山々の雄大さは変わることがない。しかし昼間の葬列を見て以来、色あせた景色を見ること自体に嫌気が差していた。

「……眠っといたほうがいいんじゃねえのか?」
 ミスティンキルは後ろの気配に対して声をかけた。
「へえ、あたしだって分かった?」
 ミスティンキルは言葉に出さず小さく頷いた。ウィムリーフの体内に有する“力”が彼自身の“力”と共鳴するのか、これはウィムリーフの気配である、と分かってしまうのだ。
 また、彼女が今夜ここに来るだろうことを何とはなしに予感していた。このところ気丈に振る舞ってみせるウィムリーフだが、それは空元気に過ぎないことをミスティンキルは気付いている。またウィムリーフも、寡黙な若者が抱えている不安を知っている。だから彼らは今、こうしてたたずんでいるのだろう。自分を、そしてお互いを安心させるために。
「なんか……眠くなくなっちゃってさ。暇つぶしがてら、あんたのとこに来てあげたわけ。感謝なさい?」
 ほんの少しとはいえミスティンキルより年上の彼女は、ときおり彼に対して姉のように振る舞うことがある。当初は小やかましくも感じられたものだったが、五ヶ月の共同生活の中でミスティンキルも次第に慣れていた。
「……勝手にしろよ」
 といつものように素っ気なく言う。

 暖をとる炎と向かい合う彼らだが、火の色すらもあせている。この不自然な色合いを避けるようにするうち、二人はお互いの顔を見合わせるようになっていた。
「今日までの日誌をつけるのはまだ楽だったけど、明日からは日誌に書くことがもっと多くなりそうで大変かもね。でもはじめて見るドゥロームの聖地だもの。しっかりと目に焼き付けておかなきゃ!」
「……色のこと、やっぱり不安か?」
 口数の少ないこの若者は、前ふりをおかずに核心から話し始めることがままある。話を中断させられるかっこうとなったウィムリーフは苦笑をしつつ、彼の言葉に頷いた。
作品名:赤のミスティンキル 作家名:大気杜弥