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赤のミスティンキル

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「なあにミスト、朝から酒なんて飲んじゃってさ。酔いつぶれてもあたしは知らない……あ……」
 当のミスティンキルは、ウィムリーフの言葉を最後まで聞かずに、麦酒を一気にあおり、心地よさそうに息をついた。
「ようウィム。そうカッカすんなって。ここに来てけっこう寒くなってきてるだろ。だけどこいつを一杯飲めば体が温まるんだぜぇ?」
 悪びれもせずに言ってのけるミスティンキルに、ウィムリーフは肩を落として見せた。普段のやりとりから考えても、彼女がそんなに怒っているふうではなさそうなので、ミスティンキルはそれ以上何も言わずに隣の場所を指さした。ウィムリーフは彼の横に腰掛ける。
 商人達はウィムリーフにも酒をすすめる。が、彼女はやんわりと断った。
「いいですよ、あたしは。ご飯を食べに来ただけなんだから」
「ありゃ、そいつは残念」商人の一人がおどけてみせる。
「ミストも、今朝はそれ一杯だけにしとくのよ?」
 とミスティンキルに釘を差し、ウィムリーフは粥をよそおうとした。
 しかし先ほどからミスティンキルが自分を――正確には自分の髪を注視しているのが気になり、やや不安そうな面もちでミスティンキルを見た。座った状態でミスティンキルのほうが彼女より頭半分ほど高いため、見上げるかたちになる。
「なに?」
「けっこう馴染んできたんじゃないかって。その髪の色」
 その言葉を聞いた途端、彼女の顔がやや渋った。襟首までの髪の毛を目の前まで持ってくると眉にしわを寄せて唸るのだった。
「……うーん……けっこうあたしも気になってるのよねぇ……」
 商人が彼女の分の粥をよそったのにも気付かず、ウィムリーフは自分の髪にじいっと見入っていた。
 彼女は、光を放つかのような見事な銀髪を昨晩、黒く染め上げたのだ。
 黒い髪はまるでバイラルの一氏族、カラカ・ダーナびとのよう。さすがに群青の瞳まで黒く染め抜くことは出来なかったものの、端から見て彼女のことをアイバーフィンだと気付く者はまずいないだろう。

 “デュンサアルに住むドゥロームは、アイバーフィンを快く思っていない。”
 旅の途中で彼女は何回かこの言葉を耳にしていたが、商人達からあらためてその言葉を聞いていた。実際に彼らと商売をしている商人達の言葉だけに聞きおけない。ドゥローム達の領域に入る前に、仕方なく彼女は自慢の髪を染めることにしたのだ。
 ――遙かな昔のこと。ドゥロームとアイバーフィンは翼を持つ者同士、空の領有を巡って争ったことがあると伝えられている。そのような遺恨など、歴史の激流の中にとうに埋もれて消え去っていたものとウィムリーフは考えていた。さらに当のドゥロームであるミスティンキルですらも。
 しかし、古くから聖地に住みつづけていたドゥローム達の考え方はどうやら違うらしい。特に聖地近くに居を構える“司の長”達は、商人達の言葉を借りると「考えが古い連中」なのだ。

「嬢ちゃんが銀髪のままでも、さすがに理由も無しに命を狙われるってことはないだろうけどね。なんにせよ、あんたらにとっちゃあそこは、はじめて足を踏み入れる場所だ。それにアイバーフィンはウィムリーフ、あんた一人だけで、あとはみんなドゥロームだ。なにが起こるか分からないから、念を入れておくに越したことはないよ。……それにさ、その髪だって似合ってるじゃないか。それに相変わらずかわいいよ。あたしが男だったら必死で口説きにかかってるもの」
 ウィムリーフを慰めるように、女商人が言った。
「……そうかな?」
「そう! あとは……ほら、そこでもう一杯飲もうとしてる旦那、ほんとはこういうことは、まず最初にあんたから言わなくちゃ!」

 ウィムリーフが髪の毛に魅入ってる隙をついて、密かに酒をつごうとしていたところを見とがめられたミスティンキルは、酒瓶をもとの場所に戻す。しかし、やはりウィムリーフからは小突かれた。
「痛ぇっ……。まあ、そうだな。似合ってんじゃねえか?」
 小突かれた脇腹を押さえつつ、いかにもぶっきらぼうに言ってのける。
 が、その感情を抑えた口調は、単なる照れ隠しに過ぎないことはウィムリーフには分かってしまっているだろう。
「それに黒く染めてるのもデュンサアルにいる間だけだ。ちょっとの間、辛抱してくれ」
「……ありがとう。まあ誰かに狙われたって、飛んじゃえばこっちのもんよ! それに、いざとなったらあたしのブーメランで蹴散らしちゃうしね!」
「はっは……ちがいねえ。嬢ちゃんのブーメランは百発百中だもんな。昨日の晩飯の見事な鹿肉! あの鹿だって嬢ちゃんが空から狙いをつけて倒したんだぜ……」
 そうして再び会話が弾んでいき、朝げの場は和やかな雰囲気に包まれていった。もう半刻もすればこの歓談の時間は終わり、再び旅がはじまる。

 ウィムリーフは商人達には語らなかったものの、ミスティンキルには自分の不安をそっと打ち明けた。色の異変のこと、そして翼の力が一瞬失せたことを。
 最初はミスティンキルも朝もやのせいだろうと考えていたのだが、言われてみれば空はからっと晴れ上がっているのに色がくすんで見えるのはなぜなのだろうか、という疑念に駆られはじめた。それと、ウィムリーフの翼が一瞬力を失ったというのに関係があるのか?
「大丈夫だろうよ、ウィム。なんとも言えない……変な感じだけどな。すぐにもとに戻るさ」
 相棒を不安に陥れないようにと、彼なりに注意を払いながらミスティンキルは言った。
「そう……デュンサアルの“司の長”たちだったら、なんかしら知ってんだろう。デュンサアルに着いたらすぐ、おれは訊いてみる」
 昼過ぎになって天候は一変し、濃い霧が立ちこめはじめたため周囲の景色は見えなくなった。しかし色が見えないという事が、かえってミスティンキルとウィムリーフを不安にさせた。

◆◆◆◆

 そして、彼らのひそかな不安は的中した。
 エマクを登りだしてから二日目には、景色の見え方が普通と違っていることに、全ての者が感づいていた。
 晴れ渡っているというのにも関わらず、山々はまるで霞がかかったように薄ぼけて見える。また草木が萌えるこの季節、エマクの草原は若々しい緑で満たされるはずなのに、自分達が目にしているのは灰ですすけたような色あせた緑でしかない。さらには紺碧であるはずの空すらも、くすんで見える。

 アリューザ・ガルドから、色の持つ艶やかさが徐々に失われようとしていたのだ――。






作品名:赤のミスティンキル 作家名:大気杜弥