その後の仁義なき校正ちゃん
「あの、少しよろしいでしょうか?」
ハッキリとよく通る女性の声が、会議室全体に決然と響き渡った。
「ウェアデザイン事務所から参りました者で榊原と申します。先ほど企画室の方がおっしゃった件について私からも全く同じ提案……と言うよりも……修正をさせて戴きたいと存じます」
スッと立ち上がると同時に発言したのは、室長たちとは反対側の僕から3つ離れた席に座っていた女性だった。僕よりも少し年上くらいか。ダークグレーのパンツスーツで上下を固めた、ちょっと堅そうな感じの人だった。
デザイン関連のプロダクションから出席している2人のうち、今日は所用で来られない責任者の代理として参加したと言ってた人がいたことを思い出した。自己紹介をプレゼン会議の最初に聞いたような気がする。
「先日、今回の案件に関する資料をこちらへお送りしたのですが、当方が、事前に行った用語チェックが不十分だったようです。<ホルダーネック>という表記は全くの誤りで<ホルターネック>が正式な呼称です。議事進行を妨げて大変申し訳ありませんが、この場をお借りして、訂正をさせて戴きたいと存じます。誠に失礼致しました」
榊原と名乗った女性は、この場の全員に対して深々と頭を下げた。議事進行役の先輩社員が室長と主任補佐に何やら目配せしていたが、どうやら了解が示されたようで、速やかに自分の役目へ戻った。
「……しょ、承知いたしました。では次の案件の論議に移りますが、先ほどの榊原様からのご提案の通り<ホルダーネック>の部分は<ホルターネック>という呼称を正式に採用するということで、皆さま、よろしいでしょうか?」
誰も発言しないことで、会議参加者一同は承認の意志を示した。榊原さんは静かに腰を降ろし、僕も、慌てて座ったが、プレゼン会議の間中、タイミングの良すぎる彼女の振る舞いのことが気になって仕方なかった。
校正ちゃんは、既に自分の役目は終わったとばかりに、いつの間にか、僕の前から姿を消していた。
× × ×
「キミも、まだまだ未熟者だってことよね」
数時間後にプレゼン会議が終わったあと、校正ちゃんが僕に言った。
(そ、そりゃそうだろ、あんな大勢の前で発言すること自体が初めての体験だったんだからさ……)
「人間って不便よねぇ。ま、あたしらデバイスは生まれたときから既にプロだからさ、初めてだからダメとか、そういう気持ちや苦労がどうって言われても全然わかんないんだけどね。ハハハ。でも、ちょうどいい経験になったんじゃない? ああいうケースに次に出合ったときは、もうバッチリよね?」
ぐぬぬ。そう簡単にいくかっての! 今日だって、結局のところ、訂正箇所の修正に僕は失敗しているんだし。あの時、デザイン事務所の榊原さんが発言してくれてなかったら、表記が間違ったまま開発が進んで行って、最悪の場合、<ホルダーネックデザインの新作水着>なんていう恥ずかしいシロモノが実際に発売されてしまっていたかもしれないんだよね。
作品名:その後の仁義なき校正ちゃん 作家名:ひろうす