目が覚めると小学五年生だった。
十一月五日。
木曜日。
今やっているのは朝の掃除。
『朝の会』のあとにやる朝の掃除だ。
担任教師が『H.R(ホームルーム)』という単語を嫌っていて、五年生と六年生の二学年では、俺のクラスである五年三組だけが『朝の会』『帰りの会』という名称を使い続けている。
黒板の脇にあるスペースに貼られた時間割表に『朝の会』と書かれているのを見て、一気に思い出した。
シャープペンの使用が禁止で、鉛筆も『HB』から『2B』までしか使えなかった。
『6B』の鉛筆を持ってるだけで人気者だった。その人気は一日も続かなくって、翌日には先生に告げ口されてて、『帰りの会』で公開説教されてた。
きっかけさえあれば、二十年前のことでも思い出せるもんなんだな。
ただ困ったことに、“今日”の時点から見て、未来のことなのか過去のことなのかまでは思い出せない。
「男子もちゃんと掃除してよ」
「やってまーす」
「やってないから言ってんの!」
掃除をサボる男子と、それを注意する女子。
なんてテンプレートな展開。
口うるさい女子委員長だけじゃない。ガキ大将も、ガリ勉も、背が高くて顔が良くて家が金持ちな男子も、フリフリの服にリボン姿のお嬢様も、スポーツ万能男子も、勝気で強気な女子も。みんないた。
俺も肌で感じてきたんだな、ちゃんと。
「江口くん、なんかニヤニヤしてるよ?」
そう、忘れちゃいけないのは、彼女。尾崎絵美。
顔の造形が群を抜いていて、頭も良くて、人気者の要因は備わっているのに、性格が控えめすぎて、いつも自信なさそうに俯き加減で。
「江口くん?」
「え? あ、いや。なつかしくて」
「なつかしい? なにが?」
でも、俺は知ってた。こんな風に、表情豊かに笑う彼女のことを。
彼女とは五年生で初めて同じクラスになったのだが、出席番号の関係で隣同士になることが多くて、冴えない俺なんかでも、こうして話し掛けてもらえるし、話し掛けることができていた。
ほら、隣同士で机をくっつけるってやつ。
「ねぇ、おしえてよ」
尾崎絵美は、俺の肘を掴んで左右に揺らす。
俺はされるがままに身体を揺らしながら、どう反応するべきかを悩んでいた。
二十年前の俺は、どんな反応を返していたんだろうか。
「えっと……そ、それは……」
とにかく何かを言おう。そう思って口を開く。
「あそこでイチャついてる奴らも注意しろよ」
掃除をサボる男子による突然の介入。
尾崎絵美は、ハッとして掴んでいた手を離した。
助かったのかどうかは定かではないが、想像力豊かな小学生にはイチャついているように見えたらしい。
「悪い、すぐやるから」
そう言って振り返ると、俺と尾崎絵美との間に一歩分の距離が生まれていた。
……ま、そうだよな。
黙って掃除を再開する。
確か、俺はクラスでは目立たない存在で、何か不愉快なことがあったときにその捌け口にされるような立ち位置だったと思う。平たく言えば、下に見られていたってことだ。
そんな俺と“イチャついてる”なんて言われたら、いい気はしないだろう。ただの友達なんだから。いや、ただのクラスメイトなんだから。
分かってはいたが、自分で言うとちょっと悲しい。
……悲しい?
そうだね、悲しいよ。
今日、十一月五日は、平成二十四年では月曜で、平成四年では木曜。
この三週間後、二十六日にクラスの誕生会が行われる。十月から十二月生まれをまとめて祝おうっていう企画だ。三ヶ月分をまとめて一回行われ、クラスのみんなからプレゼントを贈る。
尾崎絵美の誕生日が十月なのか十一月なのか十二月なのかは分からない。けれど、二十六日のクラス誕生会では主役側に座っていたのは間違いない。
普通、クラス会の司会進行は学級委員長がやるもんだ。ただ、この回に限っては話が別で、委員長も主役側だったんだ。
それで、当日に日直という便利な雑用係だった俺が司会進行を押し付けられて。
泣きじゃくる彼女に何もしてやれなかったことを覚えている。
俺は、彼女に聞いてしまったんだ。聞いてはいけないことを、聞いてしまったんだ。
その翌日から、尾崎絵美は登校拒否になった。
隣の席だったから、鮮明に覚えている。
無人の隣席。今日は来るかも、明日は来るかもって、風邪で熱があっても登校した。
結局、尾崎絵美と会えないまま冬休みに入り、年が明けて新学期を迎えてから、彼女が転校したことを聞かされた。
理由は急な親の転勤で、冬休みの間に引っ越していったとのことだった。
担任が、みんなによろしく、と社交辞令のような語句が書かれた手紙を読み上げただけだったから、なんというか、寂しかったんだろうな。
自分は特別なんじゃないかって、そんな自惚れに気付かされ、気付いた直後には打ち砕かれていた。そんな思い出。
好きだった……のかな。
小学五年生の授業は、それこそ欠伸が出るほど退屈だった。
木曜日は体育がなく、順に社会算数国語理科。給食と昼休みを挟み、学級活動。
一時間目、社会。
小学五年生で習う社会科の内容は、歴史ではなく地理。
ちょっと残念。だって俺、墾田永年私財法って漢字で書けるぜ?
県名を答えよ、四大工業地帯、人口分布などなど。
昨日まで三十一歳だった俺は、きっぱりと言い切ることができる。そんな知識は仕事の役に立たん、と。
でもこれは、知識どころの話じゃない。一般常識の範疇で、知っていて当たり前のことに近い。とはいえ、四大工業地帯の名前なんてのは、試験の解答欄に書く以外の使い道はなかった。
語句そのものを覚えさせるのではなく、その語句から派生する興味、それは未来への可能性なんていう大層な名前で呼べるものじゃないが、学習者の好奇心を手助けするための土台を作る作業だったわけだ。
いざ飛ぼうと思ったとき、高いところからなら、より遠くへ飛べる。
積み上げた土台から前へと滑空し、着地した場所でまた土台を積み上げる。
人間は飛べない。進歩とは、真上に進むことではない。
会社命令で強制参加させられた自己啓発系セミナーの講師がそんなことを言っていた。
どれだけ簡単な言葉で説明したとしても、小学五年生という人生経験に乏しい当事者たちには理解できないことだろう。
二時間目、算数。
分数の計算方法。体積の求め方。
算数は得意だった。
分からないから教えてくれ、と頼まれて、なぜ分からないのか分からない、なんて返したこともあった。
今なら、分からないから分からないって状態、分かるよ。
三時間目、国語。
『このときの筆者の気持ちを答えよ』という設問を見て、つい失笑してしまった。
十八年後に、筆者本人がこの問いの正解を公表したこと知っていたからだ。
正解は、『何も考えてねぇよ』だ。
授業そっちのけで、教科書に載っている話を読み耽ってしまった。
四時間目、理科。
メダカ。それ以外に言うことはない。
給食の時間。
献立表には、『ひじき大豆』と『焼き魚』、それと『麦ご飯』しか書かれていない。
焼き魚は紅鮭の切り身。麦ご飯は、麦の比率が一割弱という名ばかりのもの。
そして、それに牛乳がつく。
木曜日。
今やっているのは朝の掃除。
『朝の会』のあとにやる朝の掃除だ。
担任教師が『H.R(ホームルーム)』という単語を嫌っていて、五年生と六年生の二学年では、俺のクラスである五年三組だけが『朝の会』『帰りの会』という名称を使い続けている。
黒板の脇にあるスペースに貼られた時間割表に『朝の会』と書かれているのを見て、一気に思い出した。
シャープペンの使用が禁止で、鉛筆も『HB』から『2B』までしか使えなかった。
『6B』の鉛筆を持ってるだけで人気者だった。その人気は一日も続かなくって、翌日には先生に告げ口されてて、『帰りの会』で公開説教されてた。
きっかけさえあれば、二十年前のことでも思い出せるもんなんだな。
ただ困ったことに、“今日”の時点から見て、未来のことなのか過去のことなのかまでは思い出せない。
「男子もちゃんと掃除してよ」
「やってまーす」
「やってないから言ってんの!」
掃除をサボる男子と、それを注意する女子。
なんてテンプレートな展開。
口うるさい女子委員長だけじゃない。ガキ大将も、ガリ勉も、背が高くて顔が良くて家が金持ちな男子も、フリフリの服にリボン姿のお嬢様も、スポーツ万能男子も、勝気で強気な女子も。みんないた。
俺も肌で感じてきたんだな、ちゃんと。
「江口くん、なんかニヤニヤしてるよ?」
そう、忘れちゃいけないのは、彼女。尾崎絵美。
顔の造形が群を抜いていて、頭も良くて、人気者の要因は備わっているのに、性格が控えめすぎて、いつも自信なさそうに俯き加減で。
「江口くん?」
「え? あ、いや。なつかしくて」
「なつかしい? なにが?」
でも、俺は知ってた。こんな風に、表情豊かに笑う彼女のことを。
彼女とは五年生で初めて同じクラスになったのだが、出席番号の関係で隣同士になることが多くて、冴えない俺なんかでも、こうして話し掛けてもらえるし、話し掛けることができていた。
ほら、隣同士で机をくっつけるってやつ。
「ねぇ、おしえてよ」
尾崎絵美は、俺の肘を掴んで左右に揺らす。
俺はされるがままに身体を揺らしながら、どう反応するべきかを悩んでいた。
二十年前の俺は、どんな反応を返していたんだろうか。
「えっと……そ、それは……」
とにかく何かを言おう。そう思って口を開く。
「あそこでイチャついてる奴らも注意しろよ」
掃除をサボる男子による突然の介入。
尾崎絵美は、ハッとして掴んでいた手を離した。
助かったのかどうかは定かではないが、想像力豊かな小学生にはイチャついているように見えたらしい。
「悪い、すぐやるから」
そう言って振り返ると、俺と尾崎絵美との間に一歩分の距離が生まれていた。
……ま、そうだよな。
黙って掃除を再開する。
確か、俺はクラスでは目立たない存在で、何か不愉快なことがあったときにその捌け口にされるような立ち位置だったと思う。平たく言えば、下に見られていたってことだ。
そんな俺と“イチャついてる”なんて言われたら、いい気はしないだろう。ただの友達なんだから。いや、ただのクラスメイトなんだから。
分かってはいたが、自分で言うとちょっと悲しい。
……悲しい?
そうだね、悲しいよ。
今日、十一月五日は、平成二十四年では月曜で、平成四年では木曜。
この三週間後、二十六日にクラスの誕生会が行われる。十月から十二月生まれをまとめて祝おうっていう企画だ。三ヶ月分をまとめて一回行われ、クラスのみんなからプレゼントを贈る。
尾崎絵美の誕生日が十月なのか十一月なのか十二月なのかは分からない。けれど、二十六日のクラス誕生会では主役側に座っていたのは間違いない。
普通、クラス会の司会進行は学級委員長がやるもんだ。ただ、この回に限っては話が別で、委員長も主役側だったんだ。
それで、当日に日直という便利な雑用係だった俺が司会進行を押し付けられて。
泣きじゃくる彼女に何もしてやれなかったことを覚えている。
俺は、彼女に聞いてしまったんだ。聞いてはいけないことを、聞いてしまったんだ。
その翌日から、尾崎絵美は登校拒否になった。
隣の席だったから、鮮明に覚えている。
無人の隣席。今日は来るかも、明日は来るかもって、風邪で熱があっても登校した。
結局、尾崎絵美と会えないまま冬休みに入り、年が明けて新学期を迎えてから、彼女が転校したことを聞かされた。
理由は急な親の転勤で、冬休みの間に引っ越していったとのことだった。
担任が、みんなによろしく、と社交辞令のような語句が書かれた手紙を読み上げただけだったから、なんというか、寂しかったんだろうな。
自分は特別なんじゃないかって、そんな自惚れに気付かされ、気付いた直後には打ち砕かれていた。そんな思い出。
好きだった……のかな。
小学五年生の授業は、それこそ欠伸が出るほど退屈だった。
木曜日は体育がなく、順に社会算数国語理科。給食と昼休みを挟み、学級活動。
一時間目、社会。
小学五年生で習う社会科の内容は、歴史ではなく地理。
ちょっと残念。だって俺、墾田永年私財法って漢字で書けるぜ?
県名を答えよ、四大工業地帯、人口分布などなど。
昨日まで三十一歳だった俺は、きっぱりと言い切ることができる。そんな知識は仕事の役に立たん、と。
でもこれは、知識どころの話じゃない。一般常識の範疇で、知っていて当たり前のことに近い。とはいえ、四大工業地帯の名前なんてのは、試験の解答欄に書く以外の使い道はなかった。
語句そのものを覚えさせるのではなく、その語句から派生する興味、それは未来への可能性なんていう大層な名前で呼べるものじゃないが、学習者の好奇心を手助けするための土台を作る作業だったわけだ。
いざ飛ぼうと思ったとき、高いところからなら、より遠くへ飛べる。
積み上げた土台から前へと滑空し、着地した場所でまた土台を積み上げる。
人間は飛べない。進歩とは、真上に進むことではない。
会社命令で強制参加させられた自己啓発系セミナーの講師がそんなことを言っていた。
どれだけ簡単な言葉で説明したとしても、小学五年生という人生経験に乏しい当事者たちには理解できないことだろう。
二時間目、算数。
分数の計算方法。体積の求め方。
算数は得意だった。
分からないから教えてくれ、と頼まれて、なぜ分からないのか分からない、なんて返したこともあった。
今なら、分からないから分からないって状態、分かるよ。
三時間目、国語。
『このときの筆者の気持ちを答えよ』という設問を見て、つい失笑してしまった。
十八年後に、筆者本人がこの問いの正解を公表したこと知っていたからだ。
正解は、『何も考えてねぇよ』だ。
授業そっちのけで、教科書に載っている話を読み耽ってしまった。
四時間目、理科。
メダカ。それ以外に言うことはない。
給食の時間。
献立表には、『ひじき大豆』と『焼き魚』、それと『麦ご飯』しか書かれていない。
焼き魚は紅鮭の切り身。麦ご飯は、麦の比率が一割弱という名ばかりのもの。
そして、それに牛乳がつく。
作品名:目が覚めると小学五年生だった。 作家名:村崎右近