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目が覚めると小学五年生だった。

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 昼休みが終わる。
 午後はクラス誕生会が行われる。
 二十年前の記憶通りに、日直である俺が司会を任されることになった。
 一列に並んでもらって、順に誕生日を言ってもらって、持ち寄ったプレゼントを渡して、みんなでバースデーソングを歌った。
「これで、十、十一、十二月の誕生会を終わります」
 可もなく不可もなくこなしたつもりだった。
 簡素な司会進行であったことに対しては、特に不満は出なかった。
 早く終わらせて早く帰りたい。クラスのほぼ全員が、そう考えていた。
「まだ終わらせるには早いだろ。ちっとは考えろ」
 担任教師から待ったが掛かる。
「どんな一年にしたいかとか将来の夢とか、そういうのを聞け」
 誕生会では、どんな一年だったかを振り返って、次の一年の抱負を語る、というものが通例としてあった。
 そんなことは知っていた。敢えてそれを避けていた。
 年が明けたら、尾崎絵美はもういない。なのに、一年の抱負を語らせるなんて、できるわけがない。
「でもほら、新年一発目のクラス会で一年の抱負を発表するわけですし」
 なんとしても避けたかった。
 なのに担任教師は、指示に従わない俺を無視して直接進行を始めた。
「ほら、そっちから将来の夢を発表して」
「はい」
 将来の夢という言葉が、俺の心臓を貫いた。
 通例だったんだ。
 一年を振り返るのは、将来の夢を実現させるために一年間を有効に活用できていたかどうかを見直すため。
 次の一年の抱負は、将来の夢を実現させるために一年間を有効に活用するため。
 通例だったんだ。
 司会を任された俺は、通例に則って可もなく不可もなくこなそうとして、通例に倣って進行したんだ。
 “将来の夢は何ですか?”
 野球選手、お花屋さん、医者。あまりにもありふれた、夢と呼ぶには漫然とした願望が次々と並べ立てられる中、一人だけ、一つだけ、はっきりと見据えられた夢があった。
「私は、女優になりたいです」
 尾崎絵美は、高らかに宣言する。
「お芝居は嘘かもしれません。だけど、嘘だからこそ伝えられることってあると思うんです。私はそんなお芝居ができる女優になりたいです」
 山下勇樹の野次が飛ぶ。
「女優って顔か! テレビが腐る!」
 好きな女の子をいじめたくなる小学生男子の心理。
 それで片付けるには、度が過ぎていた。
 尾崎絵美があまりにも真っ直ぐに夢を語ったものだから、その本気に気圧されたクラスメイトたちは笑うしかない。
 教室に笑いが充満する。
 可笑しくて笑っている者などいない。
 尾崎絵美の本気を恐れている。自分が置いて行かれていることへの恐怖。
 そうして笑うことで、本気というものを知らない自分を守る。誰かの夢を叩き潰すことになると分かっていて、わが身を優先する。
 尾崎絵美は、ぐっと唇を噛み締めていた。
 俺は、馬鹿だ。
 俺は、この場面を避けるために、尾崎絵美の近くにいたのに。いつの間にか自分のことだけを考えるようになって、この出来事そのものを忘れてしまっていた。
「黙れお前ら!!」
 二十年前にはできなかったこと。笑うんじゃないと皆を窘めること。
 窘めるなんて、できるわけがない。
 俺の怒りはそんなもんじゃ収まらない。
 水を打ったように静まり返る教室。
 怒鳴った俺に驚きを向ける者、目を逸らしていた罪悪感に俯く者、そして、俺の奇行を更なる笑いのネタにしようと注視する者。
「“テレビが腐る”と言った奴、立て」
 幾つもの息を呑む音。
「名指しされる前に、立て」
 それでも、立ち上がる者はいない。
 俺は、担任教師に向き直る。
 笑いが止まなかった理由。制止する声も上がらなかった理由。
 それは、担任教師が一緒になって笑っていたからだ。
 二十年前の記憶もそうだった。
 嘲笑されている尾崎絵美を助けたくて、でもどうしていいか分からなくて、助けを求めるように、背後にいた担任教師を振り返ったんだ。
 今、はっきりと思い出した。
 ……俺、こいつ嫌いだったわ。
「先生、あんたも笑ってたよな?」
「先生に向かってなん…」
「てめぇの体面なんざな! どうだっていいんだよ! 今そんな話してねぇだろ!」
「あ……ぅ」
「あんた教師だろ、生徒の夢を笑うってどうよ? なぁ? そういうのを注意して指導するのが教師の役目なんじゃねぇの? なぁ? なぁ!!」
「……今のは、先生が悪かった」
 なんだよ、謝ることできるじゃないか。だったら、もっと早くに……。
 そこで思考を止める。こいつのことは後回しでいい。
「立たせろ」
「山下、立つんだ」
 担任教師に名指しを受けた山下勇樹は、しぶしぶといった様子で立ち上がった。
「今さ? 尾崎さんの夢、笑ったよね? 馬鹿にしたよね?」
「笑ってない。馬鹿にもしてない」
「テレビが腐るってどういう意味?」
「そのまんまの意味。それぐらい分かんだろ」
 少しも悪びれることなく、ふてぶてしく開き直る。
「頭悪いからさ、噛み砕いて教えてくれる?」
「なんでてめぇに教える必要があんの?」
 背後の担任教師に、答えさせろ、と合図を送る。
「山下、答えなさい」
「……ブスなくせに女優になりてーとか言うなっつったの」
「身の丈にあった夢を持てってことね。そんなことを言っちゃえる山下勇樹くんは、自分の身の丈にあった夢をお持ちなんでしょうね。ぜひ聞かせてもらいたいね」
 山下勇樹は俺を睨むばかりで何も答えなかった。
 答えられないから、ただ目で威圧することしかできない。それ以上は何もできないと分かっている威圧に屈する馬鹿はいない。
「ないんだろ? 分かるよ。本気になった人間を笑えるのは、本気になったことがない人間だもの。二十年後の姿、思い浮かべてみろよ。思い浮かばないだろ? 教えてやるよ。そのときそのときが楽になるようにだけ選択を続けてるとどうなるか、教えてやるよ」
 出世とは無縁の冴えない安月給サラリーマンになって、歯車の一部として擦り切れるまで使われて、使えなくなったら即座に捨てられる。
 何も考えずに生きてしまった、俺のように。
「江口くん、もういいじゃない」
 荒ぶる俺を諌めたのは、沖田真理だった。
 沖田真理が笑っていなかったことは、尾崎絵美が唇を噛み締めて耐えている姿を確認するよりも先に目端に捉えていた。
 沖田真理が笑っていなかったからこそ、怒りに身を任せて声を荒げることができた。
 俺が尾崎絵美を好きだから、好きな女の子が笑われたから、この怒りの理由がそうではないと確信できたから。
 沖田真理に諌められたとしても、怒りは静まらない。
 笑われたのが俺だったのなら、沖田真理の言葉で終わりを迎えていたことだろう。でも、笑われたのは俺じゃない。尾崎絵美なんだ。もうすぐ転校してしまう尾崎絵美なんだ。
 クラスの嘲笑が最後の思い出なんて、悲しすぎるじゃないか。
「笑った奴、全員立て! 一人ずつ前に来て謝れ!」
「江口、さすがにやりすぎじゃないか」
「……っ!」
 担任教師に諌められるまでもなく、やりすぎなのは感じていた。
 その証拠に、尾崎絵美を見ることができないでいる。
「……気分が悪いので保健室に行ってきます」
 返事を待たずに教室を出た。