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目が覚めると小学五年生だった。

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 何を言っているのか分からなかった。脳ではなく心が理解を拒み、その先に続く言葉の推測を禁じた。
「ケンジくんね、真理ちゃんが好きなんだって。だからね、江口くんと真理ちゃんがうまくいったら――」
 ケンジくんって、ダレ?
「――勇気を出して、ケンジくんに告白しようと思ってるの」
 つまり、狙ってた真理ちゃんが他の男に取られてしまったことで失恋傷心状態に陥ったケンジくんを優しく慰めてゲットしてやろうって魂胆か。
「協力してくれるよね?」
 鶏の世話を手伝ったのも、俺に協力させるためだったのか。
 フハ、フハハ……。
 やってくれる。見事に手玉に取られていたってわけだ。
 怒りも悲しみも無尽蔵に湧いてくる。けれど今は、不快や悲愴に身を任せるべきではない。俺にも男の意地というものがある。
 笑え! 笑え! 笑え!
 できるはず! できなくても笑え!
 冷笑でも自嘲でもない、最高の友人として微笑みかけてやる。
「なんだ、そういうことならもっと早く言ってくれれば良かったのに。真理ちゃんと仲良いところを見せ付ければいいんでしょ? さすがに真理ちゃんには頼めないもんね、僕が協力するよ。約束する。だから、もう手伝いには来なくていいよ。恩着せがましくするつもりはないしさ。変に噂されても困るしね」
「え……うん」
「あとはやっておくから、もう帰っていいよ。寒いでしょ」
 尾崎絵美に背中を向けて、返事を待つことなく歩き出す。
 両手いっぱいに抱えた道具を用具箱に納めて、ふぅ、と一息。それから振り返ると、尾崎絵美はもういなかった。
「ありがとうね」
 自然に口を突いて出た言葉。
 何に対してそう言ったのか、俺自身にも分からなかった。

 十一月二十三日。
 月曜日。祝日。
 時刻は午前七時十五分。
 とても落ち着いていた。
 食べ物がのどを通らなくなるとか、眠れなくなるとか、何に対してもやる気がなくなるとか、そういうことは一切起こらなかった。
 まだ受け入れられていないのかとも思った。
 しかしよくよく考えてみれば、目が覚めたら二十年前の世界だった、なんていう常識ではありえない状況にいたのだから、異常事態に対する耐性ができたのかもしれない。
 ただ一つはっきりしていることがある。
 俺は安心していた。恐怖から解放されたことで、安堵していた。
 怖かったんだ。尾崎絵美の俺に対する振る舞いが。口調や視線や立ち位置が、俺を好きなんじゃないかって思わせてきた。
 片想いだからこそ、実るはずのない恋だと思ったからこそ、心のままに流れようと決めていたのに、幸せな妄想に浸らせてくれた。
 結局、それは誤解だったけれど。
 誤解だったからこそ、今こうして解放されている。
 年が明けたら、尾崎絵美はいなくなる。
 もし、互いの気持ちが向き合っていたとしたら、どうなることか。今となっては考えるのもバカバカしいが、俺は孤独に耐えられなかっただろう。
 そう、“俺は”孤独に耐えられない。
 認めることができなかったのは、自分を優先していたことだ。
 引っ越して行った尾崎絵美ではなく、残された俺自身が孤独に襲われることがないように、最後の一歩を踏み込まなかった。
 悲しさや悔しさなんてものがないのは、尾崎絵美ではなく自分のことだけを考えていたせいだ。
 確かに喪失感はある。
 目標を達成できなかったのだから、それは仕方のないことだ。どうにもならないことに対して、駄々を捏ね続けたりしないだけの分別はあるつもりだ。
 早いとこ次の目標を設定して、さっさと歩き始めてしまうに限る。
 予定より少し早いが、これから先の準備を始めるとしよう。
 何か大事なことを忘れている気がするけれど。

 十一月二十四日。
 火曜日。
 クラスメイトにおはようと挨拶をして、その流れのままに、隣の席の尾崎絵美にもおはようと言う。
 一週間前とは全くの別物になってしまった「おはよう」を言う。
 顔を合わせても、挨拶を交わしても、何の感慨も湧かなかった。尾崎絵美にも、沖田真理にもだ。
 沖田真理は計画通り尾崎絵美に謝った。
「相談したいことがあったんだけど、解決しちゃったから」
 後ろめたさを抱えた者同士による寸劇は、唯一の観客であり、二人の後ろめたさの原因でもあるこの俺を含めると、それはそれは笑えない茶番劇となる。
 尾崎絵美は、埋め合わせとして今日の給食についてくるデザートのムースを要求し、沖田真理はそれを了承した。沖田真理には俺の分を渡そうかとも考えたが、俺から積極的に関わりを持つのはどうなのか、と思い直した。
 尾崎絵美から、真理ちゃんと仲の良いところをケンジくんに見せつけてよ、と催促されたものの、やはり俺から沖田真理に話し掛けることはできなかった。
 給食の時間、何よりも先にデザートのムースを食べた。味は分からなかった。
 食べ終えると、逃げるように教室を出た。
 いや、実際に逃げた。
 沖田真理は尾崎絵美と仲良くしろと言う。
 沖田真理の気持ちは少し分かる。さっさとくっついて気持ちよく諦めさせろ、と俺も思う。ただ沖田真理は、俺と尾崎絵美がそうなる前に諦めがついていたというか、今のこの状態を長く続けているというか、良くも悪くも俺の数歩先にいる沖田真理は、これから俺が経験することをすでに経験済みかもしれない。
 沖田真理が俺と同じ選択をしているとは限らないけれど、そこから先を考えるのはさすがに躊躇われた。
 尾崎絵美は沖田真理と仲良くしろと言う。
 尾崎絵美は知らないのだから仕方ないが、あんなことがあったあとに、何もなかったように平然とされていたら、沖田真理は傷付くだろう。協力の約束はしたものの、今まで以上に親しげに振舞えという要求に応えるには、さすがにまだ早すぎる。
 本当は分かっていた。誰にとって早すぎるのか、誰が傷付くことを恐れているのか。
 相手のためと言いながら、上から目線で同情している自分。
 誰だって初日ぐらいは躊躇するだろう、と言い訳する自分。
 一人になりたかったが、小学校の敷地内でそんな場所は限られている。それこそ、屋上に繋がる非常階段ぐらいしかない。
 そこへは行きたくなかった。行けるわけがなかった。
 だから俺は、歩き続けるしかなかった。

 十一月二十五日。
 水曜日。
 クラスメイトにおはようと挨拶するその前に、沖田真理に捉まった。
 話があるから、と教室から遠く離れた場所にある階段にまで連れて行かれた。
 用件には察しがついていたが、まさにそのままの内容だった。
 正直、助かった、と思った。
 これで、問い詰められて仕方なく、という大義名分を手に入れることができた。そして同時に、自己嫌悪も深まった。
 はっきり自覚してしまったから。沖田真理の行動を待っていたのだ、と。
 こうして俺は、自己満足の自傷行為を繰り返す。
「好きなのはケンジくんなんだとさ。俺じゃなくて」
 自分でつけた傷を、尾崎絵美から受けた傷であるかのように見せかけて。
「ケンジくんは真理ちゃんを好きなんだと。それで、頼まれた。仲の良いところを見せ付けて欲しいって」
 聞かれてもいないことまで話した。