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南国の雪嶺

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 寺田は南十字星に向かって呟いた。そこへ、敷島隊長がやってきた。寺田に寄り添うようにして立つ。
「気にするな……。彼らも自分の役割はわかっている」
「そうでしょうか? 果たして本当に自分の役割を納得しているんでしょうか?」
「そう思うしかないだろう。明日、お前がスピットファイアに撃墜されずに生き残ることが出来たら、迷わずニューギニアの西へ向かえ。それが夢を諦めるしかなかった彼らへの最大の供養だ……と、お前も思え」
 敷島の言葉に寺田は俯き、そして頷いた。
「さあ、明日は早いぞ。もう寝ろ」
 敷島は寺田の肩をポンと叩いて、宿舎の方へ帰っていった。寺田はその場に残り、涙がこぼれないように星空を見上げた。星が滲んでいた。
 
 翌朝、一杯の水杯を交わした爆撃機隊員と零戦部隊は、ラバウルの飛行場を飛び立った。普段は穏やかな気質で知られるラバウル航空隊であるが、この時ばかりは異様な緊張と寂寥に包まれていた。飛行したのは爆撃機と零戦二機、敷島隊長と寺田である。ラバウルからニューギニア島本土を目指し飛び立ったのだ。敷島は増槽ではなく、爆弾を機体の下に抱えていた。寺田は増槽である。
 ニューブリテン島のラバウルを飛び立つこと一時間半。日本軍の特攻隊はニューギニア島中央部の山塊に突入していた。オーエン・スタンレー山脈である。
 寺田はふと、親友である高井を思い出していた。高井はニューギニア島のラエに上陸し、このオーエン・スタンレー山脈を徒歩で横断し、ポートモレスビーに向かっているはずだった。機体から見下ろすその山塊は懐が深く、熱帯雨林のジャングルにそびえる壁のようにも見えた。幾重にも重なる尾根の襞に、寺田は高井たちの無事を祈った。しかし、オーエン・スタンレーの山々は微動だにせず、人の侵入を拒んでいるようでもあった。
 オーエン・スタンレー山脈は三千から四千メートル級の高山であり、その複雑な地形から乱気流が生じる場所としても有名であった。それは戦闘機乗りにとっても危険な山脈であり、今まで多くの戦闘機がオーエン・スタンレー山脈に墜落していた。
 突如、寺田の機体が大きく揺れ、操縦桿がぶれた。
「オーエン・スタンレーの乱気流だ。気をつけろ!」
 敷島の無線が聞こえた。
「くそーっ!」
寺田は汗で湿ったグローブで操縦桿を握りなおした。その乱気流は機体を水平に保つことさえ、困難に思われた。
「寺田、大丈夫か? ここを越えればポートモレスビーだ。ふんばれ!」
 だが、オーエン・スタンレー山脈に吹き荒れる乱気流は想像を絶するものであり、寺田の機体を持ち上げたり、逆に落とそうとしたりした。寺田は操縦桿を握り締め、昇降舵の調整に夢中になった。
「寺田、高度が下がっているぞ!」
 計器と睨めっこをしていた寺田はハッとして正面を見た。電影照準機から見つめたそこにはオーエン・スタンレー山脈の岩肌がそこまで迫っていたのである。
(このままでは激突してしまう!)
 そう思った寺田は機体を大きく右に旋回させた。一度、後退することにより、高度を上げ、尾根を飛び越えるつもりだった。
 その目論見は功を奏した。上手く上昇気流を捉えた寺田の機体は、一気に高度を上げた。そして、無事に尾根を飛び越えられたのである。
「増槽は爆弾より重い。俺にとってはこのオーエン・スタンレーの山々も難所だな」
 寺田がそう呟いた時、前方の上空に光る機体が見えた。
「敵だ! 畜生、俺たちの作戦は敵に筒抜けだったのか!」
 マッカーサー元帥は暗号指令の解読に長けた人物で、その功績で太平洋を支配していたと言っても過言ではない。この日の特攻作戦も連合軍の知るところだったのだ。
「寺田、増槽にまだ燃料はあるか?」
 敷島からの無線が寺田に入った。
「はい、あります」
「敵の数は多い。このままでは無駄死だ。お前はこのまま西へ向かえ」
「しかし、隊長……」
「しかしもかかしもない。こんなところで夢を諦めるのか? お前には使命があるはずだ。爆撃特攻隊員たちの果たせなかった男の夢を果たす使命が……」
 敷島の零戦が速度を上げた。敵の編隊は少なく見積もっても十機ほどはある。そこへ猛突進していったのだ。
「くっ、すみません。隊長、みんな……」
 寺田の零戦は大きく右へ旋回した。

 敷島は敵のスピットファイアに突進していった。歴戦の勇者である敷島の照準機の中にスピットファイアが収まる。敷島は躊躇わず砲撃を開始した。するとスピットファイアは炎に包まれ、墜落していった。
 だが、敵の狙いは爆撃機であった。数機が敷島を取り囲み、自由にはさせてくれなかった。爆撃機も機銃で応戦をしていたが、スピットファイアの機動力には敵わなかった。
 敷島がチラッと横目で爆撃機を見ると、既に左のエンジンが被弾していた。
 だが、敷島には目の前に倒さねばならない敵がいる。スピットファイアは敷島の機体を捉えるのに必死だ。敷島にはわかっていた。自分が相手をしている敵のスピットファイアも囮なのだ。敵の真の目的は爆撃機にある。だが、敷島一人ではどうしようもなかった。
 そして、爆撃機は火達磨になってオーエン・スタンレー山脈に墜落していった。
「畜生!」
 敷島は敵のスピットファイアをすべて撃ち落すつもりで旋回した。その時であった。オーエン・スタンレー山脈の複雑な地形が作り出す乱気流が敵味方無く戦闘機を舞い上げたのだ。
「くそっ!」
 敷島の零戦は木の葉のように舞い上げられたかと思うと、一気に高度を下げた。操縦桿を握り体勢を立て直すつもりの敷島であったが、高度はぐんぐん下がっていく。
「もうダメか……!」
 見れば敵のスピットファイアも木の葉のように弄ばれている。
 敷島はコクピットを開け、脱出した。パラシュートは敷島を熱帯のジャングルへ誘導しようとしていた。
 そこで敷島は見た。火達磨になって墜落していく爆撃機を。
 敷島はパラシュートから火達磨の爆撃機に向かって敬礼をした。上空ではスピットファイアがオーエン・スタンレー山脈からの乱気流によって木の葉のように弄ばれていた。そういう敷島もどこへ着地出来るかは皆目見当もつかなかった。

 寺田はニューギニア島を縦断するように西へ飛んだ。空になった増槽は既に捨てた。後は機体に残った燃料で飛ぶのだ。軽くなった機体は軽快に飛んだ。ニューギニア島の中央部はまだこの時代、地図の空白部であり、眼下は見渡す限りのジャングルであった。高度は五千メートルを越えていた。右手にビスマルク山脈が望める。そのビスマルク山脈も四千メートルを越える峰を抱いている。
 敷島隊長たちに別れを告げ、西へ向かってからどのくらい飛び続けただろうか。寺田の零戦は濃霧に包まれた。燃料タンクのガソリンが見る見るうちに減っていく。
濃霧の中を寺田は飛んだ。ニューギニア西部の山岳地帯はやはり乱気流や濃霧が発生しやすい場所でもあった。
 ふと、霧が晴れた。その時、寺田の眼下に広がっていたのは高山に積もった万年雪だった。
「こ、これが『赤道の雪山』か……。凄い! 赤道直下に本当に雪がある!」
 それは高くそびえる峰々が雪を湛えた絶景であった。そして、その雄々しい姿はどうだろうか。寺田はその雄姿に畏怖の念さえ覚えたほどだ。
作品名:南国の雪嶺 作家名:栗原 峰幸