骸骨と姫
「今日は料理人達皆、腕によりをかけてとてもとてもおいしいものを作ってくれるそうです」
「ありがとうございます」
王子様はお姫様の手を引きながら食堂(グレート・ホール)へと歩きます。
「不都合はありませんか」
「ありません。とてもよくして頂いてます」
「遠慮はなさらなくていいのです。なんでも言ってください」
「いいえ。これ以上ないくらい、わたしには、夢のような…」
お姫様はそう言って、窓を見上げました。
つられて王子様も見ましたが、窓はいつものように代わり映えのしない青空を映すだけでした。
「姫?」
「お料理、楽しみです」
お姫様は王子様をみてにこりと笑いました。王子様は、お姫様のほそい指をのせた掌に力を入れ、そうですね、と頷きました。
そうしてお話をしている間に食堂にたどり着き、テーブルの上に次から次へと並べられたお料理ですが、どれもこれも、とても華やかで豪華なものでした。優しく頬をくすぐる湯気をたてる黄金色のスープに、色とりどりの新鮮でみずみずしいサラダ。香ばしい魚のグリルに、ふわふわのパン。空に浮かぶ星のようなデザート。すべて食べるのが惜しいくらいで、お姫様は目を輝かせてお腹いっぱい召し上がりました。
「どうですか。美味しいですか」
王子様はそんなお姫様の様子にほほえみを誘われながらお尋ねになります。
「はい。とても、美味しいです」
「良かった」
満足そうに王子様は頷きました。
王子様は、このようにして、いつも、どんなときも、お姫様のためにお心を砕かれておられました。
お姫様の周りには、輝く宝物が溢れました。金貨も、銀貨も、服も靴も宝石も、美味しい料理や暖かい人の心さえ。全てがあの塔にいたら手に入らないものでした。
塔の外に出ても危険なことは何もありませんでした。王子様が守って下さるからでした。
それは夢のような日々でした。
夢のような日々の筈でした。
あっというまに過ぎ去っていく宝石箱の中のような輝かしい日々のなか、みんなに感謝と笑顔を見せていても、お姫様はなぜか心のどこかがもやもやとするのでした。
ある日。日が傾き、吐息が白く見える頃、お姫様は心のもやもやの原因に思い当たりました。
骸骨です。
塔を出る時、憎たらしい骸骨にさよならと言うのを忘れたのが、きっといけなかったのです。
お姫様はどんどん沈んでいく夕日を背に、王子様達には秘密で塔に戻りました。親切にしてくれている王子様たちに塔に戻りたいなど我が儘を言えなかったのです。乗馬を教えてくれたお父様に、お姫様は感謝の祈りを捧げました。
夜になってしまいましたが、お姫様は、慣れ親しんだ塔に戻って参りました。
夜だからでしょうか。塔は初めて見るところのように、冷たくお姫様を見下ろしていました。
塔の外壁には、なにか茶色く枯れた植物が張り付いていました。塔中を覆うように固くまきついていた薔薇は全て一体どこに行ったのでしょうか。
お姫様はおそるおそる開かれている門を通ります。
茶色い植物の残骸はあちこちに転がっており、足の下でかさりかさりと音を立てます。
まるで見知らぬ廃墟に迷い込んでしまったかのようで、お姫様は少し怖くなりました。
なにはともあれ、骸骨を探さねばなりません。
お姫様の足は自然に自室へと向かいます。食堂を通り過ぎ、階段を上り、石の扉を開きました。
果たしてそこに、骸骨はおりました。
お姫様のベットに背を凭れ、首を落とし両足を投げ出して座っておりました。それはいつもきちっとしていた骸骨にしては珍しい格好でした。
お姫様は骸骨を見つけられたことになぜかほっとして、声をかけました。
「ねぇ」
しかし骸骨は返事をしません。
お姫様は久々にむっとして、骸骨に歩み寄ろうとしましたが、返事を返されないのが骸骨とお姫様の常であったと思いだして、怒りをどうにかおさめました。
なぜならお姫様は今や望むものすべてを手にしていて、骸骨はこの狭い塔にひとりぼっちでいるしかないからでした。骸骨はお姫様のご機嫌を取らなくてはなりません。そうすればお姫様も、別に骸骨を連れて行って良いと思っていました。だからお姫様はいつものように癇癪を起こさず、骸骨に話しかけました。
「どう?このドレス。王子様が下さったの。王国中の最高の技術者が腕によりをかけて作ったのですって。この宝石なんて、ひとつで城がたつほど高価なものですって」
骸骨は、その言葉に悔しがりも、顔を上げてドレスを見ることもしませんでした。
「お城での料理、とっても、とっても美味しかったのよ。舌がとろけるよう」
お姫様はどうにか骸骨を悔しがらせようと、お城での幸せな話を身振り手振りを加えて話しましたが、骸骨は微動だにしません。
そこで、お姫様ははっと気づきました。
骸骨を悔しがらせようなんて気もすっかり吹き飛んで、お姫様は骸骨に駆け寄りました。
「ねぇ」
お姫様の声は震えました。石の壁で出来た部屋は夜になって気温も下がり、とても寒かったのですが、それは寒さのせいではありませんでした。
お姫様は膝をついて骸骨を見ました。その柔らかい唇を噛みしめて、長い間、そうして骸骨を見ておられました。
「笑って」
お姫様はいつかも骸骨にかけていた言葉を、言いました。
骸骨は動きません。
「ねぇ、笑って」
それを口にするお姫様にも、もうわかっておりました。
骸骨は笑いません。笑うことも、もう動くこともないでしょう。
笑ってと、お姫様はよく骸骨に言いました。
骸骨は一度も、笑ってくれたことも喋ってくれたこともありませんでした。
きっと、しないのではなく、そうできないのでしょう。骸骨なのですから。
それでもお姫様は、骸骨の笑顔がみたかったのです。
お姫様の頬を、涙が伝いました。
きっと、いままで本当に怒っていたのはお姫様ではありません。
骸骨こそ、きっとお姫様のことを迷惑に思っていたに違いありません。感情にまかせた理不尽な我が儘を沢山言って困らせました。
ぽつりと力なくお姫様は言いました。
「わたしのこと、嫌いだったでしょう」
「いいえ」
お姫様は息が止まるほど驚きました。
それからまじまじと骸骨を見つめました。
どくどくと心臓が高鳴り、耳にうるさいぐらいです。
「…わたしのこと、嫌い?」
お姫様はゆっくり言うと耳を澄ませましたが、骸骨が口を動かすことも、声が聞こえることもありませんでした。
やっぱり、空耳でしょう。骸骨は喋ることが出来ないのです。声が聞こえるはずはないのです。
空耳だとはわかりつつも、お姫様の目には新しい涙が浮かびました。
それはあとからあとから、零れて落ちました。
随分と長い間、お姫様は骸骨を見つめておられました。
月は夜空に高く輝き、お姫様の吐く息は白くはっきりと闇に目立ちます。
「わたし、知っていたの」
隠していた宝物を優しく眺めるようにそっとお姫様は言いました。