骸骨と姫
雲はのんびり世界中を泳ぎ、鳥は自由に羽ばたきます。
お姫様だけが、暗く冷たい塔の中、茨の鎖に体ごと縛られているのです。
「外に、いきたい」
ぽつりとお姫様はこぼしました。
きっと外の世界は見たこともないもので溢れ、きらきらと輝きお姫様を甘やかして包んでくれるはずです。
しかしすぐにそんな考えを打ち消すようお姫様は首を振りました。そんな夢物語、どうやったって叶うはずがないとわかっていたからでした。
塔を取り巻く塀は高く、茨で覆われていますし、この真面目な骸骨は決してお姫様をここから出してくれることはないでしょう。
「着替えるから、出て行って」
骸骨は、力なく吐き出されたその言葉に促されるように踵を返すと、きっと朝食の準備をするためでしょう、階下に降りてゆきました。
骸骨の黒い正装が見えなくなると、お姫様は血のようにあかい唇を噛みしめました。
その時でした。どおんとなにか大きい音がしたかと思うと、一瞬塔が揺れたのです。
十余年も生きてきて、この塔でそんなことが起きたのは初めてでした。
お姫様は恐ろしくなって、ベットの柱にしがみつきました。
階段を駆け上がる足音がします。骸骨のものではありません。きちんと教育されている骸骨は走ることは絶対にありません。
お姫様は真っ青になってぶるぶると震えました。
バタン!と大きな音がして、お部屋のドアが内側に開きました。お姫様は息が止まってしまいそうなほど驚きました。
「姫!」
声と共に飛び込んできたのは、お姫様と同じ金の髪に、宝石のような緑の瞳を持つうつくしい王子様でした。
「ご無事でしたか!」
王子様はベットの影で縮こまるお姫様に近づくと、手を取り優しく抱きしめました。
「ずっとお探ししておりました。まさかこんな僻地の塔に閉じ込められておられようとは…わたしが来たからにはもう、なんの心配もいりません。わたしのお城に一緒に参りましょう」
王子様はにっこりと微笑みました。
「わたしは隣の国の王子です。王と王妃が身罷(みまか)られたと聞いてから、一人残された姫のことをとても心配しておりました。幼き頃一緒に遊んだことを、忘れておしまいですか」
そう言われてお姫様は思い出します。お母様とお父様が生きておられた頃、数回一緒に遊んだ、ちいさな心優しき王子様のことを。
「さぁ行きましょう。お城はすぐ近くです」
王子様は笑顔で促します。
「でも…」
お姫様は戸惑って、辺りを見回します。
冷たい石壁はお姫様と王子様をぐるりと囲み、影を作っております。
この茨に囲われた塔からでられると王子様はおっしゃるのです。
しかし、どうしてでしょう。ずっと待ち望んでいたことの筈なのに、すんなり「はい」という言葉が出てこないのです。
「あなたを傷つけようとする全てのものからわたしがお守りいたします。それともこの塔に、なにか心残りがおありですか」
そう言われて、お姫様は考えますが、この物言わぬ塔に心残りのものなど、なにもないはずです。
「身の回りのものはわたしのお城で全て用意させております。どうしても必要なものなら、あとでとりに使いを遣りますから、今は一緒にいらしてください。この寒く冷たい塔で、あなたのお体をこれ以上冷やしてしまいたくはないのです」
「…はい」
真摯な王子様の声に促されるようにお姫様は返事をしました。
王子様は大層嬉しそうに微笑むと、お姫様の手を引いて歩き始めました。
お姫様は手を引かれながら、きょろきょろと辺りを見回します。
全ての時が止まったような塔に、なぜか後ろ髪を引かれる思いでお姫様は歩きます。
お姫様はふと、骸骨のことが気になりました。
いつもお姫様のいるところへ影のように現れる骸骨が、今はどういった訳か姿を見せません。
それはいけません。あの憎らしい骸骨に、お姫様が綺羅綺羅しい外の世界へ出て行くのを見せつけてやらなければなりません。骸骨が無言で悔しがる様を想像すれば、それはとても面白いものを見つけたかのようにお姫様の胸を弾ませます。
「王子様。骸骨を見ませんでしたか」
「骸骨?」
王子様は怪訝(けげん)そうにお姫様を見ました。
「いいえ、見てはおりません。この塔に骸があるのですか?使用人ですか」
「骸ではなくて…骸骨です。執事なのです」
「そうですか…」
王子様は悲しそうに目を細めました。
「あとで、ちゃんと弔いましょう」
「王子様、違います。骸骨は執事なのです」
「わかっております。きっと見つけて、手厚く葬るとお約束いたしましょう」
どうも王子様のいっていることと、お姫様の言葉は噛み合いません。
骸骨は生きています。ちゃんと生きて、お姫様と一緒に暮らしていたのに…。
お姫様は諦めて口を閉ざしました。
そうです。もう外の世界に出るのに、骸骨は関係ありません。
王子様はどうやったのか、固く茨の絡みついていた正門が片方だけ開かれておりました。
塔を出るまで、そして馬の背に乗せられて塔を離れる時も、骸骨は姿を一回も現しませんでした。
王子様のお城は、国境を隔ててとても近いところにございました。
最高級のお食事に、目も眩むばかりの宝石や虹のように色とりどりのドレスがお姫様を出迎えました。
「まぁまぁなんとかわいらしいお姫様でしょう。滑らかなお肌は冬の水でさらした絹よりもっと白いですわ。後ろが透けて見えてしまうよう」
「御髪(おぐし)もとても豊かで金糸のように柔らかいですわ」
「このように大きな瞳は見たことがございません。胸元のブルーダイヤが陰ってしまうほど」
「お口もぽってりと赤く愛らしいですわ。王子様が夢中になられるのも、わかりますわね」
侍女達はお姫様を口々に褒めちぎります。
お姫様は着飾った自分を見て目を輝かせます。こんなに美しく装ったことは、生まれて初めてだったからです。高鳴る胸を押さえて、まじまじと鏡を見つめました。
「ねぇ、見て…」
お姫様はそう言って輝く笑顔で振り返りました。その笑顔は、どんなに高価な宝石よりも、どんなに煌びやかなドレスよりも、一番に美しいものでした。侍女達はほうと感嘆の溜息をつきましたが、お姫様は侍女達をきょろりと見渡すと、すっと笑顔を消して大人しく鏡の前に収まりました。
「姫様、王子様はもうすぐに参ります」
「ええ、そうね…」
そう答えたお姫様の声は随分力ないものでしたが、侍女達は王子様を待ちきれないのだと思って、元気づけるために更にお姫様を褒めそやすのでした。
「姫。そろそろご準備はよろしいですか」
侍女の言葉どおりすぐに現れた王子様は、優しく笑いながら注意を引くために開け放たれたドアをノックしました。
「はい」
お姫様は慌てて王子様に駆け寄りました。
王子様は小走りに歩み寄ってくるお姫様のあまりのかわいらしさに、頬を染め上げました。
「姫…美しいです。とても」
「ありがとうございます」
お姫様ははにかみながら頷きました。