僕とメトロとお稲荷さま
放り投げた袋の口からは、生前食べる寸前だった稲荷寿司のパックが顔を覗かせていた。
僕は自分でも分かるくらい訝しげに眉間に皺を寄せ、そして同じく指をさす。
「あんなのが欲しいのか?」
尋ねた瞬間、勢いよく首肯する双子。
「……、……」
散々振り回されてあげく、こうも手の平返した態度をとられると、少々やるせなくなってくる。が、ちょっとうんざりしようが、かなりげんなりしようが今の僕にはそんな違いは瑣末なことだ。
「いいよ、別に。僕、お腹へってないから」
今更けんもほろろも糞もない。欲しいって言うんならくれてやる。
次の瞬間、二人は境内の中心へ駆け寄った。
透明なプラスチックパックを開けて、揃って口の中へ放りこむ。
境内の真ん中は周りの木々の枝葉から遠いため、そこだけ切り抜かれた日の光が落ちていた。
その下で稲荷寿司をほおばる、着物に狐面の双子の姿。なんて微笑ましい昼下がりの午後なんだろうと、不覚にもあの子たちを見て和んでしまった。
もしかしたら、幽霊生活──死んでいるのに〝生活〟というのも可笑しな話だが──ていうのも存外悪いものじゃないかもしれない、そんな感慨が胸裏に去来した時だった。
あっというまに稲荷寿司を食べ終えた二人が、おもむろに僕の前に歩み寄ってきた。
「なに?」
緩やかな抑揚で訊いてやる。と、二人は俯きながら僕のシャツをつかんだ。
「べ、別にいつもいつもあんなみっともない食べ方するわけじゃないから。今日は、たまたま、久しぶりの大好物だったからさ……」
なんだろう、白髪のこの態度は。もしかしてさっきのことを恥ずかしがってるのか? なんだか妙な拗ね方をする。
「オニーチャン、えへへ」
黒髪は黒髪でゴロニャンと猫みたく甘えてくる。試しに頭を撫でてやると、
「やん」
などと漏らしながら、頭を僕の手に押しつけてくる。
まさか三五〇円のコンビニの稲荷寿司でこうも態度が変わるものとは。子供らしくて可愛いといえば可愛いが、現金といえば現金だ。
「ねえシロちゃん」
「うん、黒いの」
──? 不意に二人見つめ合って、何やら相槌を打ちはじめた。
「オニーチャン」「おにーさん」
「……はい」見上げ並ぶ二つの狐面に気圧されながらの返事。
「異界メトロに乗る方法なら」
「ひとつだけあるよ」
「……はい?」
あまりの状況の流転に、口のはしっこが痙攣する。
「うれしく……、なかった?」
上目づかいで尋ねる黒髪の声は、少しだけ怖ず怖ずとしたいた。
「あ、いや。もう、諦めていたから」
「『諦める』の語源は『明らかに究める』から由来してるらしいよ。ちなみに『明らかに究める』っていうのは、仏教的思想──いわゆる一つの悟りなんだよね。仏教用語に諦念、諦観、真諦っていうのがあるんだけど、ようは千変万化する事象の法則にあらがうんじゃなくて逆にそれを理解・許容していくのさ。物事に対して固執も拘泥もせず、ただ自らを世界と同様の『空』と為す」
何気なく放った僕の一言から、白髪がいきなりワケ分からない講釈にもっていった。
「まぁ、おにーさんにそこまでのハードルは求めちゃいないよ」
こういう所がいちいち可愛くない。
「でもね、これからおにーさんには、その諦めの気持を忘れないまま、自らを変革させるための『苦行』を受けてもらいたいんだ」
「たとえるなら~、〝お百度参り〟と〝お遍路さん〟をいちどにしてもらいかんじかな~」
なにやら今度は独特の凄みを含ませている。
「ちょっと状況がうまく呑みこめないんだけど」
「具体的にいうとね、おにーさんには《千本鳥居首吊り坂》っていう特別な〝門〟をくぐってもらうのさ。
元々《異界メトロ》は神々の乗り物。人間の脆弱な魂じゃ、乗ることはできても、自分という存在を忘れて永遠に次元の狭間を走り続けることになりかねないんさ」
「──? それって、酔っ払いなんかが寝ちゃったまま山手線を延々と回り続けるっていう、あれみたいな感じ?」
「んふっ、まぁそんな処かな。それにおにーさんには代価が不足してるからね、不文律を一足飛びしてもらう必要があるのさ」
「それが?」
「「──《千本鳥居首吊り坂》」」
その物々しい単語に、僕はゴクリと固唾を呑みこんだ。
「この試練を越えてもらわない限りは、おにーさんを《異界メトロ》へ乗せられないのさ」
「どう、やってみる?」
ん? と首を傾げながら訊いてくる黒髪。にっこりと打ち笑む口が、とても愛らしかった。
そうだな、結局のところ僕は一度自身の不幸を受け入れた。許容──しようとしたのだ。だったら今あるこの状況は、言ってしまえば〝棚ボタ〟だ。だったら食ってやろうじゃないか。
僕は右の拳を二人の前へ出す。
「是非もない、よろしく頼む。小さくて可愛い、稲荷の御使いサマ」
「委細承知いたしました」「ガッテンつかまつりー!」
そう応えると、二つの小さな握り拳が、かまえた僕の右手にぶつかる。
そうして二人は、おもむろに鳥居の両脇へと移動した。
「くくりませー」
白髪の水ヨーヨーが破裂する。
「くくりませー」
黒髪の風車が回転を始める。
「「世をくくりせー、人をくくりませー、神鳴る門をくくりませー」」
再び、風が鳥居へ吹き込んでいく。けれど風は本堂へとは続かない。鳥居の先にはあるのは、同じく朱色の鳥居。さらにその先も。さらにその先の先も────真っ赤な稲荷鳥居が無数の列をなしている。
僕は足を一歩前へ踏みだす。本来のメトロは地下へと続く階段だが、この《異界メトロ》へと続く《千本鳥居》は、上へ上へと向かっている。頂上がまるで見えやしない。
「さしずめ、『天国への階段』──かな」
圧倒されているにも関わらず、なぜか軽口がすべり出る。
僕は大きく深呼吸したあと、まなじりを決した。
──さあ、始めよう。今から、此処から。
口火を切って動き出したのは、左足から。ついで右足。とにかく前へ、とにかく上へ、とにかく走り続けた。一瞬だって立ち止まってはいられない。なぜなら、足をついた石段から次か次へと崩れていってしまうのだから。
いや、崩れるんじゃない。そんな冒険映画のワンシーンみたいな生易しいものじゃない。消えてなくなるのだ、石段が。しかも鳥居にいたっては、くぐった先から内側へ狭まっていく。それはまるで首吊りに使う輪っかのよう。宙に浮きながら処刑者をまつ、絞首台。
これが──《千本鳥居首吊り坂》と呼ばれる所以なのだろう。
だから僕は走り続けるよ。でないと、振り向いてしまうから。
『──さあさあ狐の黄泉(よめ)入りだ そこ退けそこ退け 死にたくなければそこを退け
誰彼? 黄昏 みんな最後に消えてゆく
ヒキコモリの天神様 引っぱり出さなきゃ真っ暗闇 鳥を千羽ならべて鳴かせてみよう
けれども拗ねた天神様 怒って鳥を逆さずり それでもそこに道できた 岩戸へ続く道できた けれどもこんな怖い道 いったい誰が逝くのかえ?
誰彼? 黄昏 出会った誰かにこんにちは
あなたはどこから参ったの? わたしは黄泉へと参ります 死んだ女房のお迎えに 黄泉(よもつ)の平をのぼります
作品名:僕とメトロとお稲荷さま 作家名:山本ペチカ