僕とメトロとお稲荷さま
これだから〝ゆとり〟は困るんだよね~、と堰を切って笑いだす白髪の声。
自分で言っておいてなんだが、確かに恥ずかしいことを言ってしまった。それは認める。反省する。そして意気消沈として首を項垂れる。
あの箪笥おばけが言っていた「助けになってくれる」とは、こういう事ではなかったのか? まさか大人しく東京発の地獄行き列車に乗れという意味じゃなかろうか?
いや、あの大きくて暖かい手からは、そんな諦観めいたものは感じなかった。じゃあ、そうなると、僕はどこかで思い違いをしていたことになる。
「……………………はっ!」
そういえば、白い方の狐は『過去へ行く列車』と言っていた。それに乗って事故が起きる直前に戻れば、事故は最初から無かったことには出来ないだろうか?
「……、……」
いや、分からない。確証もない。
「けれど──」
僕にはもう、これに懸けるしかないんだ!
「なあ、お前たち!」
「なぁにぃ~、オニーチャンまだそこにいるの~。もういいかげんどっかいってよ~」
「そうそう、おにーさんが地縛霊になるのは勝手だけどさ、この神社の前でなるのだけは勘弁してよね。土地が穢れて困るのはぼくらなんだから。それともなに? 調(ちょう)伏(ふく)でもされてみる?」
相変わらず、この二人はつくづく、そしてどこまでも僕のことを舐めているらしい。まるで飽きたおもちゃが近くにあるだけで気分を悪くする子供のようだ。
でも、ここで引き下がるわけにはいかない!
「お願いがあるんだ! さっき言っていた過去に遡れるメトロ──あれに乗せてくれないか!?」
「「────」」
ただでさえ静かな神社に殊更妙な沈黙がくだる。もしかして変な地雷を踏んでしまったのか。
「『お願い』っていわれても……。ねえ、シロちゃん?」
「んん、黒いの」
なんだろう、この歯切れの悪い応えは。煮え切らないというか、奥歯にものが挟まっているというか。
「だ、だめなのか?」
「ダメってことはないんだけね~……」
「おにーさんさ、ちゃんと神饌もってきてるの?」
しんせん? そう口にしたと同時に、僕は反射的に小首をかしげた。
「え~、もしかしてただでのれるとおもってたの~!?」
「これだから〝ゆとり〟はっ!」
今、黒髪が口に手をあてて驚いてる姿と、白髪が目蓋に手をあてて呆れている様が脳裡に浮かんだ。いや、視えたわけじゃない、そう感じただけだ。
「お金なら……、少しは持ってるぞ」
親から渡された旅費のおかげで、財布はそれなりに膨らんでいる。それにこの場合、実家への帰着よりも、まず死地からの生還を優先すべきだ。帰りの汽車賃なんてどうとでもなる。
「いや、だからさ、お布施がどうこうじゃないのさ。神饌、御(み)贄(にえ)、初(はつ)穂(ほ)、供(く)物(もつ)──」
「つまりね~、たべものとかのみものじゃなきゃイミがないっていいたいの!」
「うちは稲荷神社なんだからさ。〝供え物によって、わが豊穣のご利益をしめせー〟ってね。
ついで言えば日本酒が一番だね。お神酒っていうでしょ? お酒は神様の飲み物。命の水。スピリット。エリクシール。ネクタル。千(せん)日(じつ)酒(しゅ)。まぁ、人間が決めた呼び名なんてどうだっていいさ」
「はらうモンもはらわんとぉ~、〝門〟をひらいてもらいたいなんて、ズーズーしいにもオコがましい、カタハラいたくてチャがわけちゃうよ~」
白、黒、白、黒と。矢継ぎ早に、一気呵成に言葉を並べ奉(たてまつ)り捲(まく)るマキナッ…………。
難しいことばかり言ってくるから、こっちまでそれに釣られて意味不明になってくる。
「くくりひめ、だったけ? 箪笥のおばけが差し出したお酒って。分かったよ、出せばいいでしょ、出せばさ!」
僕は肩から提げたボストンバッグから一本の一升瓶を取りだすと、視えない二人に向かって高々と見せつけてやった。
「日本一のど田舎県、島根が誇るは神話の地酒! 李(り)白(はく)が吟醸──『やまたのおろち超辛口』とはこいつのことだ!!」
父が僕に持たせた土産の品だ。これを片手で持って、黄門さまの印籠みたく掲げてやる。
「「…………」」
しかし当の二人からは水を打ったように反応がない。
強いて反応らしい反応を挙げるとすれば、それは無反応という名の反応、それのみだった。
なんだか掲げた酒がどうしようもなく所在なくなってしまった。というか腕の筋肉がツライ! 幽霊なのに!
「な……、なにさ」
堪らず先に口を開ける。
「いやさ、確かにそのお酒も上等だよ?」
「でもね~、さっきの『菊(くく)理(り)媛(ひめ)』とくらべちゃうとね~」
「なんというか、値段の違いが天と地なんだよ。あっちは大吟醸の中でも別格中の別格だったからさ」
なんだよそれっ! さっきお金は関係ないとか言ってたのは嘘なのかよ!?
「まぁ、言いたいことは分かるんだけどさ。けどその程度のお酒じゃ、過去への列車の切符代にはちょっと足んないんだよ」
「そーそー、それにアタシたちつかれてるってゆったでしょ~──っ!?」
「……………………」
僕が鳥居の柱に拳を叩きつけた瞬間、姿の視えない二人の気配が鳴りを静めた。
あーあ、なんと言うかもう、
「かはっ」
乾いた笑いしか出てこない。
ほとほと僕という男は、メトロというものに縁がないらしい。
倦怠感と脱力感が、相乗効果で身体からナニ化を奪っていく。今まで当たり前に肩から提がっていたボストンバッグが、どうしようもなく重たく感じる。
だから僕は投げた。本堂めがけて、肩ベルトを掴んで、遠心力を使っての全力投(とう)擲(てき)。
するとどしゃっと、鈍くて格好のつかない音がした。バッグは本堂まで届かずに、境内の中頃で止まっていた。テンションに身を任せた時の行動なんて、総じてこのように惨めなものだ。
コンビニ袋もいっしょに投げようかと思ったけど……、なんだかまた空回りしろうで怖くなって、軽く放ってボストンバッグの上に乗せてやった。
「……ふっ」
これはこれで、そこそこ滑稽だ。無様な僕には、所詮こんなのがお似合いなんだろうな、と自嘲気味に肩をすくめる。
これも運命だったと諦めよう。このまま地縛霊になるもよし、悪霊として双子に調伏されるもよし。どんな辛い現実・非現実も、甘受してしまえば苦い蜜にだってなる。
「そんなもんだよな、人生って。……少なくとも、〝俺〟のは」
そう誰にでもない、自分自身に言い聞かせた。
「ねえオニーチャン。いまなげたのって、クモツだよね?」
「え? ああ、そんなつもりはないんだけど。別にいいよ、僕お酒呑めないから、お前たちのご主人さまにでも供えてやってよ」
「いや、そうじゃなくてさ、あれだよ、あれ」
いつの間にか実体化して視えるようになっていた双子は、揃って食指をバッグに向けていた。
「酒だろ? だったら問題ないって──」
「そうじゃなくて、あれだよ! あれ!」
終始たおやかな物腰で構えていた白髪が、いやに声を張り上げる。
仕方なく、僕は二人が指差す方へ眼を凝らした。
酒の入ったバッグでないとすると、もしかしてコンビニのレジ袋のことを言っているのか?
作品名:僕とメトロとお稲荷さま 作家名:山本ペチカ