僕とメトロとお稲荷さま
言いながら、箪笥おばけは懐から事も無げに一升瓶を取りだした。
「うわぁ、菊姫が大吟醸『菊(くく)理(り)媛(ひめ)』じゃないですか! どうしたんですか、こんな上等なお酒!」
「いやいや、このあいだ加賀の白石神社に遊びに行ってな。そしたら茶(さ)話(わ)会(かい)の席で比(ひ)咩(め)神(がみ)が自分と同じ名前のポン酒をくれたのさ!」
箪笥の表情など分からないが、なんだかいやに上機嫌になって緑色の一升瓶を白髪に片手で渡した。白髪は両腕で胸に抱え、二歩ほど、前後によろめいた。
「そいつをお前たちの旦那に供えてやってくれ。代わりに、〝門〟開いてもらうぞ」
「委細承知いたしました」「ガッテンつかまつりー!」
すると二人は鳥居のちょうど真ん中に揃って移動した。そして向かい合って両手を繋ぎ、それを自分たちの頭より高く掲げる。
「「通りりゃんせ通りりゃんせ、ここはどこの細道じゃ、天神さまの細道じゃ、御用のないもの通りゃせぬー……」」
二人が歌い出したのは、耳に懐かしい童歌──『通りゃんせ』。着物をきてお面をつけて、しかも神社の前で。歌の内容そのままを風景にしてかたどった、切り絵の影絵の中のセカイ。
ガタっという音と共に、本堂の扉がひとりでに開け放たれた。すると風が鳥居を通って本堂まで吹き込んでくる。奥は井戸の底を覗いてしまったような闇。真っ暗闇。さらにそのもっと奥の彼方から、名状しがたい地鳴りと鈍い金属音が這ってくる。
「ちょいとごめんよ、人間の坊主」と、箪笥おばけが鳥居と子供らとの直線状にいた僕を軽く押しのけた。「せっかく開いた門なんでね。てっとり早く潜らないと、また悪戯(いたずら)されて変な処に飛ばされちまう」などと唇を尖らせるような物言いで、ずいと前へ出る。
「あの双子は、ここいらじゃ有名な天邪鬼(あまのじゃく)でな。まあ地金の錆ってやつさ。でも根は無邪気で気分屋だからな、うまくいけばお前さんの助けになってくれるかもしれないぜ」
そう、僕に投げかけると、箪笥おばけの体はみるみる歪んでいく。
飴みたくぐにゃぐにゃに細長くなると、子供らが手を繋いだ作ったトンネルと鳥居をくぐっていく。その先に待ち受けているのは口を開けっ広げにしたお堂。地鳴りはどんどん近づいていた。
「「───行きはよいよいかえりは怖い、怖いながらも通りりゃんせ通りゃんせ」」
歌が終わって子供らが上げていた手を下ろした瞬間、ぴたっと鳴動が止んだ。代わりにカシャーというバスや電車のドアの開閉音が鳴る。そしてお堂の中から光がさす。箪笥おばけは、その中へ消えてしまった。
扉が閉まって、風も凪いだ。聞えてくるのはそう、木々の葉ずれの音だけ。目の前に広がっているのは、静かで優しい昼下がりの木陰。
「じゃ、オジサマーいってらっしゃーい!」黒髪が本堂に向かって両手をひろげる。
「よっ、と」白髪は脇に置いておいた一升瓶を持ち上げると、本堂へ入っていく。
僕は一連の出来事が終わってもなお、呆然とその場に立ち尽くしていた。頬を撫でる夏の生ぬるい風が、いやに冷たく感じる。
自分の唇を食指でなぞってみる。幽霊になったっていうのに、いやに乾いてささくれだっている。それでも、震える唇である単語を紡ぎだす。
「異界……、メトロ」
あの箪笥おばけは、確かにそう言った。
──そう、メトロだ。『通りゃんせ』が歌われている最(さ)中(なか)、開け放たれた本堂の奥から響いてきた地鳴りと鈍い金属音は、メトロの中で電車が近づいてくる時のそれだった。
加えて得心がいった。神社を見つけた時のファーストインプレッション。あの異質めいた共時性(シンクロ)は、間違いではなかったのだ。
「なあ、お前たち──」
この胸に降って湧いた気持ちを確かめるために、僕は双子の狐たちに視線を走らせる。が、どこを見ても焦点が定まらない。双子がいないのだ、どこにも。
「おい、どこに隠れたのさ! 出てこいよ!」
荒げた声に返してくれるのは、ザザザという風に揺れる葉の音だけ。
「お願いだよ……、いい子だから」
不安が口(くち)端(は)からにじみ出る。僕にはもうあの子らしかいない。このセカイに独りぼっちなってしまった僕には、もう頼れるのはあの双子しかいないんだ!
すると風と葉ずれの音のスキマから、クスクスッ、と燻ぶるような嘲笑が耳をくすぐった。間違いない、あの子たちの笑い声だ。
僕はすぐさま耳を頼りに聴こえてくる方角を探した。けれど不思議なことに笑い声は四方八方、どこからも響いてくる。まるでさっき四つん這いになっていた時の焼き直しだ。
……ツタの絡まった、旧いトンネルの中を歩く気分だ。音ばかりが独り歩きをして、まるで向けだせる気がしない。
「──クシュンッ」
にわかに、可愛いくしゃみが木々の間を揺らした。間違いない、あの黒髪の子だ。
「なにやってるのさ、黒いの。雰囲気ぶち壊しじゃないか」今度は白髪の声。
「だってカゼがくすぐったかったんだもん!」拗ねた口調で返す黒髪。
姿は見えねでも、感覚でわかる、あの子たちはすぐ傍にいる。
「で、なんなのオニーチャン」
「ぼくたち一仕事したあとだから少し休みたいんだよね。用件があるなら手短に。できればメールかFAXでお願いしたいんデスケド」
倦怠感を漂わせた、明らかにやる気のない態度。それでも相手をしてくれることには変わりない。僕は舌で唇を濡らしてから口を開けた。
「さっき言ってた異界メトロってなんなんだ! 教えてくれないか!」
「メトロだったらそっちの世界にもあるでしょ、あれと同じだよ」本当に投げ槍だ。
「同じってなにがさ!」
「〝なに、なに〟って五月蝿いなぁ。ホント人間は理由(ごたく)にこだわるよね。
はぁ……、まぁいいよ、教えてあげる。君たちが使ってるメトロが地上からは視えない地下を走っているように、ぼくらの異界メトロも眼には視えないセカイを走っているんだよ」
眼に……、視えないセカイ……?
「人間たちは都心のいたる処に開いた穴から、地下という異世界へ入る。そうして蜘蛛の巣状に入り組んだ地下鉄に乗ることで、いろんな場所へ行くことができる。それと似たようなもんさ。
現世と幽世との狭間に位置する神社には、冥界へ行く列車、未来へ行く列車、過去へ遡る列車、膜(ブレーン・)宇宙(ワールド)を越えたここではない別の時系列の世界へ行く列車──そういった眼には視えないありとあらゆる概念を行き来する手段が用意されているってことさ。もちろん神さまが乗るための、ね。──以上、業務連絡終わり」
「業務連絡?」
「アタシたち〝神使〟は〝駅員〟さんみたいなものなんだ~。アタシたちがキョカしないと、〝幽(かくり)世(よ)へと扉〟はひらかない。いわゆるエーギョウセツメイ?」
「営業説明、ね。どちらかというと業務説明だけど」
黒髪の間延びした言葉に、白髪が補足を加える。
僕は唸った。あごに手を当てて唸った。そしてひらめいた。
「なあ! 黄泉返りの列車っていうのはないの!?」
「プッ、アハハハハハハハハ、あるわけないよ~!」
「あのさ、常識的に考えてもらえる? もしそんなのがあったとしたら、いまごろ現世は人で埋め尽くされてるよ」
作品名:僕とメトロとお稲荷さま 作家名:山本ペチカ