僕とメトロとお稲荷さま
まず僕は雑誌コーナーから回った。首を左右に振りながらカゴに入れる物を探す。と、咄嗟に歩いていた脚が止まる。平積みされたマンガ雑誌に視線は釘づけ。それは地元では必ず二日遅れて発売される毎月購読している少年誌! 土日を挟むと最悪四日も遅れて発売される厄介な代物だ! それが予定通り月末の発売日に並んでいるなんて……、ここは本当に同じ日本なのか!?
僕は迷わず分厚い愛読雑誌をカゴへ放りいれた。
それから後ろで整然と陳列されているペットボトル棚で、いつも買っている炭酸飲料を選び、そのまま惣菜コーナーに行く。
パンに弁当、麺類におにぎりと。やはりコンビニに置いている物は、田舎も都会もそうそう変わらないようだ。ここにきて初めて、東京に対して安心感と親近感を抱けたような気がする。
「さて、何を選んだがいいものか」
手堅くパンにしてみるか。
いや、ダメだ。この暑い中、口に含むたびに水分をもっていかれては敵わない。
弁当や麺類はテーブルみたいな広い場所でしか食べれない。
となると消去法で考えてみると自ずと答えは決まったようなものだ。それは、
「おにぎり、か」
これなら片手で飲み物といっしょに食べられるし、最近のコンビニのおにぎりはクオリティがハンパない。米は秋田産や新潟産の高級米を使っていて当たり前。海苔だって香り高い上質な焼きのりを使用している。それにここだけの話、母親が作るのよりはるかに美味しい。
僕は先にペットボトルコーナーへ戻り、飲み物を炭酸飲料から最近よくCMでやってる緑茶に変更した。
そうしてまたおにぎりの陳列棚の前に居座る。種類がありすぎて困るからだ。一度に食べられる量は二個か、三個。その限られた中で自分が食べたい物を選ばなくてはならないのだ。正直、どれも美味しそうでハズレを気にする心配が無い。そしてそれがまた困る。
多めに買って、食べきれないのはボストンバッグに入れておく──なんて選択も無理だ。なにせこの猛暑日。鞄なんかに放置していたら、半日もたたないうちに臭くなってしまうのは自明の理。
まさかコンビニのおにぎりにここまで心を砕くとは思わなかった。
仕方なく、僕は鉄板ネタである梅干しとおかかとしゃけにすることにした。
「ん?」
棚に向かって手を伸ばそうとした時だった。僕の目端にある商品がとまった。
いなり寿司だ。
そういえば、今年はバイトばかりでばあちゃんのトコロに帰ってない。ばあちゃんは僕らが帰郷すると、いつもお稲荷さんか赤飯を用意してくれていた。
六つ入って一パック三五〇円。
どうやらこの茶色くてかった食べ物は、僕の心の琴線に触れてしまったらしい。
「ありがとございましたー」
そんな台詞めいた決まり口上を背中に受けながら、手からさがったコンビニ袋は雑誌とお茶といなり寿司の重みで揺れていた。都会の片すみで見つけた郷愁(ノスタルジア)。
なるほど、こうやって人は資本主義経済の餌食にされていくわけか。
どこかに公園なんかないものかな。三十分くらい休みたい。
僕は辺りを見渡した。が、土地の枯渇した雑居ビル街に、それらしいものは見当たらない。その代わりに、周りの風景とは明らかに場違いなロケーションを見つけてしまった。
「あれって……、神社だよ、な?」
中くらいのテナントビルに挟まれるようにして建つのは、木で造られた朱の鳥居。両脇に控えるように向かい立つ二体の狐の石像。その奥に鎮座するのは、漆喰のはげた古びたお堂。
そこには夏特有の青々とした葉をつけた木が鬱蒼と茂っていた。さらにコンクリートの建築に囲まれているせいで、緞帳を落としたような重たい影が横たわっていた。
東京が雑駁としているのは知っていたが、まさか街のど真ん中に神社が建っているとは……。
あれは違和感云々の話に留まらない、まるであそこだけ空間を型抜きして、時間を止めたみたいに静謐としている。
直射日光も地面からの照り返しもないから、きっとかなり涼しいんだろうけど……正直、僕はあの浮世離れした佇まいが空恐ろしかった。
神社というのはこの世にあってこの世じゃない、俗世から切り離された神域なんだと、昔ばあちゃんから教わったことがある。
確かに言いえて妙だ。この雑駁とした街の中であそこまで周りの色に染まらず、また不変であり続けるにはそれ相応の理由があるのだと、自然に納得させられる。
でもそれは同時に近づき難くもあった。人という存在を寄せ付けないような、雰囲気(オーラ)みたいなものを感じる。だから僕も、あそこへは近づく気にはなれなかった。
それはどこか僕の苦手なメトロに似ていた。
別にメトロを利用するのがヘタだから言っているんじゃない。そもそも僕は、あの〝地下〟という在り方そのものが許容できないのだ。本来ヒトの生活圏になかった空間。目に見えない場所を走るという不安感と閉塞感。
どうにも僕は、ああいった手合いは生理的に受けつけないらしい。
「──はぁ」
仕方なく、僕はコンビニの入り口横のコンクリートに腰を据えることにした。
ペットボトルのお茶を一口ふくんで、「ああ、やっぱり暑い」なんて決まり切った感懐が、今更のように去来してくる。
どうやら僕は、この東京砂漠の熱砂に少々あてられてしまったらしい。
頼る人間がいないというのが、こんなにも憂いがつのるものだったとは。
そうして僕は、コンビニ袋からいなり寿司をとり出した。夏バテ気味の胃は、なかなか食べ物を受けつけてくれないものだが、さすがにこれは全部食べられそうだ。
なにせ酢飯と油の香りで、鼻翼が膨らんでいるのが自分でも分かるくらいなのだから。
するとその時、目の前の通りを、一陣の突風が襲った。もちろん僕もそれに巻き込まれ、咄嗟に目を瞑って身を屈めてやりすごす。
数秒して、風は落ち着きをとり戻した。おそらくビル風の類だったのだろう。あいにくと僕は、学校の校庭なんかで起きるつむじ風しか知らないので、確かな分析はできかねるが……。
「…………!?」
地下鉄案内パンフレット──『東京メトロマップ』が眼前の道路で風に舞っている。傍目からみればただのボロ屑でも、あれは僕とメトロを微力ながら仲立ちしてくれる数少ないアイテム! あれをここで失くしてしまったら、僕は今度こそこの東京砂漠で干からびてしまう!
そう思ったら、自然と体が前へ跳びだしていた。
空中でたゆたう『それ』をなんとか掴もうと、僕は手を高く前へ突きだす。
するとほどなくしてカシャッ、という紙の束を掴む音。
──よしっ! と、心の中で勝(かち)鬨(どき)があがる。ファーーーーーーーーーという騒音めいた勝鬨が。…………かちどき?
なんなのだろう、このバカみたいな大音量は。それにジャンプして宙に浮いた体がいつまで経っても地面に落ちない。まるでストロボを当てて撮ったスナップ写真の中にいる気分。
なんて独白めいたことを疑問が頭をよぎった刹那、視界(フアインダー)がまっ黒につぶれた。
────。
────────。
────────────────。
────────────────────────────────。
「どうなって……いるんだ」
作品名:僕とメトロとお稲荷さま 作家名:山本ペチカ