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山本ペチカ
山本ペチカ
novelistID. 37533
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僕とメトロとお稲荷さま

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「あ~、わっがんね」
 ぼやきながら、僕は試しにそれを上下にひっくり返してみた。
「はぁ」
 余計わけが分からなくなってしまった。
僕の手にあるのは『東京メトロマップ』と題されたオレンジ色のパンフレット。鞄から何度も出し入れしている為ボロボロのクシャクシャ。おまけに炎天下も相まって汗でベタベタのヨレヨレ。正直、こんな紙クズ今すぐにでも丸めて投げ捨てたい。そんで鞄の中にある酒をラッパ呑みしてしまいたい。
「……チッ」
 でもそんな度胸が僕にあるはずないので、仕方なく通りがかりのコンビニで何か冷たい物を買うことにした。
 島根から出てきてまず僕が驚いたのは、高層ビル群でも人口密度でもない。百メートル間隔に、二軒、三軒あたり前のように建っているこのコンビニエンスストアだ。
 地元じゃコンビニといったら国道なんかの大きな道路とかの横に、ぽつんと建っているイメージしかない。
「それがなんでこんなに密集してんだよ! コンビニといったら自転車のって最低十五分だろ!」
 羨望ともいえる感慨に耽りながら、僕は入り口にあるカゴを取った。
 コンビニの中は少し肌寒くて、たぶん体感温度としては二十度を下回っているくらいだろうか。とても不健康な空間に思えてくる。
「はぁ、なんでこんなことになっちゃうかな~」
 棚に伸ばす手が、なんだかとても重い。
 そもそもなんで夏真っただ中の東京でさまよわなきゃならないのか。それはひとえに僕のバカ兄貴に起因している。
 うちの兄貴は、一年半前に東京の大学に進学した。けっこー偏差値が高い学校だったため、うちの家族や親戚は兄貴の将来を嘱望していた。
 が、突如として半年前から兄貴と連絡がとれなくなった。電話はもちろん、メールや手紙にもまったく返信がないのだ。ただ、学校や寮の事務所とは連絡でき、退学も引っ越しもしていないため、行方不明になったわけではないらしい。
 けれど仕送りの金は振り込んで一週間ほどでいつも底をつき、実家には頭の悪そうな兄ちゃんたちが、毎日代わる代わる架空請求の電話をかけてくる。
 兄貴に甘く、また律儀だった母は、金がなくなる度に銀行へ振り込みにいき、怪しい電話にも逐一対応した。
 が、それがよくなかった。元々さほど裕福じゃなかったうちの台所事情は左前に。パートの疲労、兄貴の心配、電話の心労などでとうとう母が倒れてしまったのだ。
 僕はまあ、それでもなんとか学校にバイトとこなせていたので問題なかった。けれど父は違った。厳しく、それと同時に不器用でもあった父は、母がいないと何もできない人種だった。
 父は夏休みで暇を持て余していた僕に、東京まで兄貴の様子を見に行けと言いだしたのだ。
 もちろんそんな命令めいた指図、僕がきいてやる義理はどこにもなかった。このまま夏休みが終わるまで無視をつづけば、自動的に話はなかったことになる。
 そうして八月も第三週にさしかかろうとしていた時だった。あのプライド高い父が、ついに頭を下げたのだ。自分は仕事でどうしても離れられないから、頼めるのはお前しかない、と。あまつさえ泣きまでいれて。
 不承不承───なんて詮無い一言で済ますつもりはないけど、今ここで兄貴にしゃんとしてもらわなきゃかなり困る。なにせ次に僕が進学する折、金も掛らず、また常に監視できる地元の学校しか いかせて貰えない可能性が高くなるからだ。
 首輪で括られリードで実家に繋がれた飼犬生活を、十八過ぎても強いられるなんてまっぴらごめんだ。逆に兄貴に巻いてやる。ごつごつのスタッドがついた、硬くて無駄に頑丈な革のやつを。
 そんなこんなで、僕はこのだだっぴろい東京へ土産の地酒をひっさげてきたわけだ。
 本当は一升瓶なんて持っていきたくはなかった。だがあの気の利かない父に兄貴の好みなどわかる由もなく、親戚の家にいくのと同じ体(てい)でむりくり持たされてしまった。
 馬鹿(アニキ)に酒の味の違いが判るかは疑問だが、自分の日和見主義もあまり褒められたものじゃないのに気付いて、少し萎える。
 まあ、なにはともあれ、普段ほとんど乗らない地元のローカル線で隣の県まで赴き、そこからさらに新幹線でようやっと東京駅までついた。
ここまでは順調だ。うん、間違いない。あとは兄貴が通う学校と寮がある街にいけばいい……はずなのだが、僕は地下鉄(メトロ)という名の迷宮に物理的にも精神的にも惑わされてしまった。
まず券売機の上にある路線図からして意味不明だ。あんなカラフルな線を描き散らして、いったい何を読み取れというのだ。
それに同じ駅なはずなのに、各々のホームの距離がはなれすぎている。なんで標識にあたりまえのように○○線までウン百メートルとか書いてあるんだ。おかげで何度も迷ってしまい、電車に乗っている時間よりも地下を彷徨っている時間の方が長いくらいだった。
 そうして息もたえだえになりながらもなんとかホームに辿りつけたが、やっぱり地下(ダンジヨン)にはトラップが付きものだ。それは〝快速〟という名の落とし穴。
 ──快速か……。これってフツーのより速いってことだよな。
 なんて事を思いながらいざ電車に乗ってみると、うん、確かに速い。それまで乗っていた地下鉄は、停まっては加速しての繰り返しだったのに対して、この快速はずっとトップスピードのまま走行し続けている。
 ──これで少しは遅れを取り戻せるかな。
 と気持ちを緩めていたのも束の間。すぐにある異変に気がついた。
 ──そういやあと何駅で着くんだっけ? て、あれ!? もうとっくに過ぎてるよ!!
 どうやら快速というのは、需要のない駅を一足飛びにして走る電車のことだったらしい。これを理解できたころには、電車はいつの間にか隣の県まで行っていた。
 他にも上下線を逆に乗ってしまったり、切符じゃなくてSUICAを買えばよかったりと、とにかく小さな失敗を数えると枚挙にいとまがない。
 そんなこんなで、メトロを抜け出せたころには僕のライフはゼロ。心も体もかっつかつに干からびていた。
 地下からの出口からさす四角く切り取られた光が愛おしくて堪らなかった。まさに希望の光。そこで待っているのは天上の楽園……のはずが、
 ──あれ? ここどこなのさ。
 メトロから出てすぐ目に入ったのは、電柱に張られた住所を示すプレート。そこに記された知らない地名と番地。
 完全にしくった。
 正直、もう地下世界には足を踏み入れたくない。きっと、いや絶対また迷う。
 なのでもう抗うのは止めた。
返信があるかは分からないが兄貴にヘルプのメールを送り、偶然降りたってしまったこの街で羽を休めることにした。
そうしてちょっと遅い昼食を摂るために今こうしてコンビニに入ったというわけだ。
計画性のなさというか、行き当たりばったりというか、実家にいたらまず分からないであろう自分の一面を覗いてしまった気がする。