ふたりぼっち
私がかくれんぼで迷子になって以来、とき子は私に意地悪をしなくなった。まあ、口は悪い方だし、嫌味やそっけない態度はとるけれど、意地悪なことはしない。
私はそれが不思議で、でも単純に嬉しかった。とき子に友達として認めてもらえたのかなあなんて思った。なぜかほんのちょっぴり寂しくもあったのだけれど。
それからも夏休みの間、毎日とき子と遊んだ。朝から、お弁当やご飯を食べた後もずっと日が暮れるまで一緒にいた。暑い夏、太陽の下で、私たちは自然を駆け回り、せいいっぱい遊んでいた。命を輝かせた。おばあちゃんたちの家にとき子が遊びに来ることもあった。嫌いだった宿題も一緒にした。
暑くて、切なくて、眩しくて、楽しかった。
真夏の太陽。
ただ、楽しかった。とき子といるだけで胸がいっぱいになる。私は満たされていた。もう、寂しくはなかった。
…けれど、楽しい日々はあっという間で。最後、お別れの日はやってきた。
私は自分の家に帰ることになった。お父さんとお母さんが私を迎えに来るのだ。こちらに来たときはあんなに寂しくて、早く帰りたかった家なのに、私は家に帰るのが寂しくて悲しくてたまらなかった。
とき子と別れるのが悲しかった。
私はとき子に別れの日を告げることができず、そのまま日々は過ぎていき、とうとう明日がお別れの日となった。
その日も一日とき子と一緒にいたのだが、それでもなかなか言い出せず、空には太陽が沈もうとしていた。
夕暮れの帰り際、草っ原の真ん中で、とうとう私はとき子に別れを告げた。世界は真っ赤で、とても眩しかった。切なかった。
「うち、明日、帰るねん」
「どこへ帰るの」
「うちの、ほんまの家に」
「…ふーん」
そう言ったきり、とき子は黙り込んで草むらに座り夕日を見ていた。私はただ、とき子のそばに立ちつくす。とき子の横顔をぼんやり眺める。心の世界とこの世の境界はいつだって曖昧だ。
私は別れがどうしようもなく悲しくて、寂しくて、冷えた思いが凝縮されていくように感じた。そしてその思いは熱されて、必死の言葉となる。思いは結晶だ。…どうすればいい、どうすれば。私は悲しくて言った。
「うち、ときちゃんのお嫁さんになる」
「そう」
返ってきた返事はそれだけだった。とき子はこちらを見ようともしない。我ながらおかしなことを言っている自覚はあったので、いつもの嫌味や「馬鹿じゃない」くらいは言われると思っていた。なので、なんだか拍子抜けした。そして、また悲しくなった。
それから、しばらく沈黙が続く。夕日が真っ赤に世界を染めて、だんだんと夜を連れてくる。私から見えるとき子の横顔も真っ赤に染まってまるで空に溶けてしまったみたいだ。私は次第に不安になってくる。夕日とともに青い空は消えてゆき、この世は顔を変える。夜の闇が生まれる。一度死んで、また別の生き物に生まれ変わるみたいだった。すべてが夕日の向こうに連れ去られ、影になっていくような…。
沈みゆく夕日を、私は恐れた。
そのとき、ふと、とき子がこちらを振り向いた。夕日の赤い光を受けて、顔は影に滲んでいたけれど、私には彼女がよく見えた。もっとよく見ようと、とき子の方へ近づく。
しばらく何もないかのように、生きていないように無表情だったとき子は、ふいに笑った。
いつもの意地悪な、笑み。そして、唇が動いた。
「女の子のお嫁さんにはなれないんだよ」
私はとき子の目をじっと見つめた。彼女の口元は相変わらず笑みの形のまま。私は手で自分のスカートの裾をぎゅっと握った。
「じゃあ、じゃあ…、お婿さんになる」
とてもとても、小さな声。
とき子は笑みの口を崩して唇を尖らせた。つまらなさそうな顔。
「ばーか」
私はひとりぼっちだった。ただ、私は寂しかった。それだけだった。誰かのそばにいられるならなんだってよかった。お嫁さんでもお婿さんでも、ずっとそばにいられるならなんだってよかった。
そして、私はときちゃんが大好きになっていた。
ふいに彼女はポケットから小さなお菓子を取り出した。いつも彼女が食べている小さな黄色いグミだ。彼女は私を手招きすると、口を開けるように促す。そして、私の口元に一粒放り込んだ。グミはやっぱりすっぱかった。
私はとき子のそばに座る。自然と私たちは手をつないでいた。そっと、触れる。手に触れたのは確か二度目。皮膚と皮膚、人の脆さ、あたたかさが伝わる。手をつなぐの初めてだなと、ぼんやり思った。
グミは大切に舐めて噛み砕いて、飲み込む。すべて私の一部となるように願った。
真っ赤な太陽。光と影と、空と山と家と、そして人。真っ暗で真っ赤ですべて闇みたいで、涙が出そう。
世界は夕日に沈む。