ふたりぼっち
とき子はあまり笑わない子供だった。意地悪なことをして、私が困っていると少し嬉しそうに笑うのだが。意地悪な、笑み。なんだか根性の悪いことだなあと思う。けれど、あの子は楽しそうに笑うのだ。そして、嬉しそうに私を「こけしちゃん」と呼ぶ。
この子が本当に笑うのはいつだろう、ぼんやりそんなことを思った。
私はずっととき子にちょとした意地悪をされていたけど、仕方ないかくらいに考えていた。そりゃ嫌だったけど、一緒にいてくれるならまあいいかと思っていた。
けれど、かくれんぼをして、そのまま置き去りにされたときは、さすがに泣きそうになった。とき子が鬼。なのに、いくら待っても一向に隠れている私を探しに来ない。近くに隠れたから見つけられないはずないのに。
しばらくして、そっと出てきてみても彼女はいない。
仕方なしに私は、見知らぬ土地をうろうろと彼女を探し回り、迷子になってしまった。実際はそう遠くまで行ってなかったようだが、子供の私にはもう戻れないほど遠くへ迷い込んだように思えた。
「ときちゃーん!」
私は泣きそうな気持ちを抑えて、力の限り叫んだ。けれど、声は虚しく響いて空気に消える。それから何度名前を呼んだだろう。だんだん声もかれてきて、歩き回った私は呼ぶ元気もなくなってきた。あたりは見知らぬ景色。夕暮れの道。誰に会うこともなかった。私はこの世にたった一人取り残されたような心地になる。
歩き疲れた私は足元がふらついて、とうとう地面に転んでしまった。いたい。なんでこんな目に合わないといけないんだろう…。
もう夕暮れ、赤い赤い空。飛んでゆく鳥の群れ。あれほど暑かった夏の太陽も赤く消えようとしている。日焼けした肌が思い出したようにじくじくと痛んだ。
あれからどれくらい歩いたんだろう。帰らなきゃいけないのに…。おじいちゃんおばあちゃんの所へ。でも、それはどこ?そして、私の家はどこ?私は、私の本当の家、お父さんとお母さんがいるところに帰る方法すらわからないのだ。
地べたに寝転がったまま私は悲しくなった。そして、小さな声で「ときちゃん…」と呟いて目を閉じた。もうこれで最後。もうときちゃんのことなんて呼ばない。
少しの間そうしていたら、どこからか足音が聞こえた。私は驚いて顔をあげ、体を起こした。野良犬?怖い人?どうしよう、どうしよう…。
座り込んだまま怖くて私が目をつむっていると、足音は私の前でぴたりと止まった。誰か、そこにいる。
私は震える体を抑えて、そうっと目を開けた。
そこにいたのは一人の少女。
私がずっと探し求めていた、ときちゃんだった。
私はそのことに驚いて、夢でも見ているのかと思った。ときちゃんはいるはずないんだ。戻ってくるわけない。でも、なんでここにときちゃんが…?
私はただ呆然ととき子を見つめていた。とき子は固まったようにその場から動かず、何の言葉も発しない。夕日が刻一刻と、世界を赤く暗闇に浸していく。
しばらくして、とき子が座りこむ私のそばへ近づいてしゃがんだ。そして、そっと私の手に触れたのだ。その感触に私は現実を思い出す。
すると、とうとう私の目からこらえていた涙が零れ落ちた。ふいてもふいても、次から次に溢れてくる。ひっくひっくと声が出た。その合間に私は震える声でぽつぽつと言葉を零す。
「なんで、いなくなるん。ひどい…」
ぽろぽろ。
「もう、いやや。うち、ひとりぼっちはいやや…」
私はそのままわんわんと泣き続けた。涙腺が壊れたように涙があふれて、零れ落ちてくる。涙は心の水だと感じた。悲しみを溶かして、ぬくもりにする。
とき子は何も言わなかった。ずっと黙って泣き続ける私の手に触れていた。そばにいた。
しばらくして、泣きやんだ私はぼうっとした頭のまま、目をこすって顔を上げた。目に映ったのはとき子の顔、その瞳。とき子が私をじっと見ていた。やはり猫の目のように凛とした瞳。けれど、その目がどこか揺らいでいるように感じた。彼女はとても困惑した顔をしていた。
その表情があまりに真剣で、私は言葉が言えなくなる。責める言葉も、ありがとうの言葉も、何も言えなくなった。彼女は私を探しに来てくれたのだろうか。きっと、そうだ。私はそう思って、心があたたかになる。ひとりぼっちじゃない。
私はゆっくり微笑んだ。にっこりと花のように笑えたらいいのにな。あたたかな気持ちが、ときちゃんに伝わればいいのにな。
とき子はそんな私をじっと見つめてから、小さく息を吐き出した。
「帰ろ」
それだけ言って彼女は立ち上がる。私も慌てて立ち上がると、膝がすりむいていることに気づいた。今更ながらに痛くなってくる。とき子もまた私の膝のけがを見ていた。
そして、また困ったような苦しそうな顔をすると、ポケットを探った。そして何かを取り出し、私の顔の前に持ってくる。私はその小さな物をぼんやり見ていた。これはなんだっけ。小さくて綺麗な黄色の宝石みたい。ぼんやりした私にとき子は口を開けるそぶりをする、私も真似をして口を開ける。そのままとき子の指先から、私の口に宝石は放り込まれた。
ゆっくり舐めるととてもすっぱかった。
ああ、そうか、ときちゃんの大好きな宝物。すっぱくて、悲しいけれど、心が満たされていく味だった。不思議なお菓子。魔法のお菓子だ。
辺りはすっかり日も暮れて、夜の闇に染まっている。夜の命が始まる。夜の世界に私と、とき子とふたり。ふたりぼっち。
夜空には小さな星がきらきら。私たちもお星さまになれるかな、と思った。
何も怖いものはない。
ふたりでゆっくり帰り道を歩いた。