カムイ
余市から、チニタと息子のセタエチがいるコタンには戻らず、この地をひとりで開墾することに決めた。
加代を含めた、故郷会津の人々が、命を張って開墾している姿を目の当たりにして、己も彼らと共に生きているのだ、という実感が欲しかったのである。
大木を切り倒すのではない。川からこちらの土地、たいした広さでもない笹原を切り開くだけだ。これぐらいのことならば、ひとりでもできるだろう。
笹の根は、網目状に広く張っている。掘り起こすことはできない。
背丈より高いクマザサを縞状に刈り取って、残った部分に置いていき枯れてから火を付けると、その火力で根まで枯らす、と聞く。そうしてから翌春に掘り起こすという、時間をかけた、気の遠くなるような作業をしていかなければならないのだが。
小屋の残骸を、森を入ってすぐの所で見つけた。そこは広場のようになっている。
いつ頃のものであろうか、すっかり朽ちてしまっている。冬の寒さに耐えきれず、見捨てられたものかもしれない。
そこから、使えそうな食器類や農具を見つけ出した。
川のほとりに立つ適当な太さの木を切り倒し、縄を結えて岩山の麓まで引きずり運び、住まい作りから始めた。住まいができるまでは野宿である。雨が降れば森に入って、少しでも濡れにくい所で休む。晴天であれば、岩山の上で星の瞬きと共に眠りについた。