カムイ
馬は、月と昴他、運搬用に数頭を残して売り払った。鉄道の発達と軍部の西洋馬志向で、和種馬の需要は減っていたからでもある。
カムイは左腕を無くしてもなお、狩猟に執念を燃やしていた。銃は決して使わない。あくまでも弓矢にこだわった。
獣の命を頂くのである。だから “智” でもって獣と対峙するのが、狩猟者としての仁義である、と捉えていたのである。
左腕に代えて、口と脚をうまく使って引ける弓を、何度も改良を重ねて作り出した。しかし実際は、罠猟を主流にしていた。
牧場の運営は、すっかりセタエチが取り仕切っている。言いたいことはあったが、すべてを飲み下しそれには関わらないようにした。
心中寂しさは残していても、もう、自分の出る幕ではないのだ。
月の毛色はくすみ、すっかり年老いてしまったことが見て取れる。
それでも心が通じている月とは、どこへ行くにしても、常に共に出かけた。
時々猟を口実にして、月には乗らずに引いて歩き、余市まで出かけて行っては、加代の暮らしぶりを確認していた。もし不自由なことがあれば手助けをしたい気持ちは、消えていない。
決して、姿は見せないように気を配っている。遠くの高みから家の様子を見るだけで、暮らしぶりの想像はつくものである。
農家の暮らしは、天候に大きく左右され、決して楽にはならない。豊作の年もあれば、不作の年もある。豊作であれば、不作の年をおもんぱかって貯えておかねばならないからである。
豊作と見込んでいても川が氾濫して、一瞬のうちにすべての作物が流されることもある。大雪に見舞われる年も、乾燥続きの年もある。
自然は、美しく穏やかな時が続いても必ず、厳しく、猛獣のように襲いかかって来る時がある。
そんな時には、生きる努力はした上で自然の成りゆきに身をまかせるが、抗うことが出来ないと分かるとあきらめの境地に至る、というのは、自然と共に生きてきた日本人の習性であろうか。