カムイ
「明日も、このようなことをしているのか?」
「ああ、明日も来い」
セタエチは皆に歓迎され、共に旅をしないか、と誘われた。
「セタエチは、私たちと同じ、民族だから」
セタエチは、アイヌ民の奏でる音楽を耳にし、踊りを見ているうちに、腹の中から共鳴し、ざわめき立つ気持ちを抑えられなくなっていた。
堪らなくなり集団を抜け出してきたのだが、懐かしさをいっぱい感じたこの気持ちは、いったいなんなのだろうか、と考えた。
自分に流れる、アイヌの血。だが、和人の血も流れている。
自分は、何者なのか・・・。
日本語を学び、日本人の風習で生活を送っている自分は、父も今の母も、春彦も凛も、文左衛門さんも日本人だ。
受け継いできた伝統を守って生きていく民族、とは・・・。
同じ民族をひとつの集団として捉え、他の民族を排除しようとする集団である前に、皆、同じ人間なのではないのか。
大和民族とアイヌ民族の血を受け継いでいる自分は、両方の懸け橋となれるのではないだろうか。
だが、アイヌ民族は消滅しようとしている。それが国の方針なのだ。アイヌ語も遣ってはならないとされ、日本語教育が強制されている。
セタエチの名も、雪多悦、と表記している。
独自の言葉を失った民族は、その民族としての思考が出来なくなるのだ。それは、“死” を意味するのではないか。物質的には生存していても、精神的には殺されたも同じなのではないか。
そして、その文化の伝承はどうなるのか。
一方、日本人は西欧人を迎え入れ、西欧の技術を取り入れ、西欧文明に酔いしれている。あまつさえ、西欧人になろうとしている者もいる。
その矛盾した、不可解さを考えた。
自問を繰り返すセタエチは、翌日も翌々日も夜になると、彼らの元に通った。
そして答えを見出すことが出来ないまま、もどかしい気持ちを残して江別に帰って行った。