カムイ
カムイは、右方向に走って逃げた。羆から見ると左側、左目が見えなくなった羆にとって、死角となるはずだ。
雪で濡れるのを気に掛けている余裕はない。振り向かずに、跳ぶようにして雪をかぶっているクマザサをかき分け、山道に出ると、堅くなった雪に足を滑らせ、転びながら、走り下った。
すると、別方向に向いている斜面から、何かがせまってくる音がする。
咄嗟に道をそれて、雪をかぶっている大きな石の後ろにかがんで身を隠した。
ブルルル、と鼻を鳴らす音。
そっと頭を出して、何者なのかを確認する。
馬だ。淡い黄褐色をした、月毛の馬。
誰も乗っていない。野生馬だ。
月、か!? まさか、しかし・・・。
だが思わず立ち上がって、叫んでいた。
「月!」
こちらを振り向いた馬は、ブルッブルルルル、と鼻を鳴らして、頭を上下に振っている。
道に戻り、雪に覆われた藪の中をゆっくりと近づいて行っても、じっと佇んだままでカムイを見つめている。少し離れた位置から、体を詳細に眺めまわした。
逃げようとしないばかりか、鼻面を寄せようとしてくる。
薄汚れており、臀部には、大きく裂かれている傷の治った跡が見られたが、やはり、月だ。
しかし、牧場にいるはずの月が、なぜ、ここに?
「つき」と繰り返し囁きながら鼻梁をさすり、たてがみをなでつけ、頬を触れあわせて、涙をこぼした。