カムイ
余市川周辺はごく一部の土地が開削されただけで、その開かれた土地は畑地となっていた。植えられている作物は、太陽を十分浴びてよく育っている。
高台には、大木を背にして10軒ほどの小屋が密集して建てられていた。別の場所にも数軒の掘立小屋がある。
どれほどの労力と時間を費やしたことか。だがほとんどの土地は、まだ手つかずで残っている。
大木は密林をなし、背丈ほどの雑草が一面にはびこっていた。
これだけの畑では、十分な食料が得られていないことは容易に推しはかられる。
男たちは、数人がかりで鋸を引き、マサカリを振って、1本の木を切り倒すのに2〜3日をかけている。鋸、マサカリはすぐに切れなくなり、毎日目立てをして研がなければならず、その作業だけでもかなりの時間を要する。
切り株は放置し、腐ってから掘り起こす。
女たちは雑草を刈り取り、倒した後の大木の枝を切ったり、葉を集めると作業小屋まで運び、乾燥させて燃料とする。女といえども、慣れない重労働をしなければならないのだ。
気の遠くなるような作業は、冬の厳しい寒さと豪雪の中でも続けなければ、開拓は進まない。
だが、雪の中で木を切り倒すのは、死、と隣合わせでもある。倒れてくる木を、咄嗟に避けることはできないのだ。
それでも開拓民たちは、明日の豊かな生活を夢見、希望を抱いて生きているのであった。