カムイ
アイヌと和人との取引は物々交換であるが、それを請負人という立場の商人が取り仕切っていた。
アイヌが交易品として提供するのは、乾鮭、鰊、白鳥、鶴、鷹、鯨、海驢(とど)の皮と油、猟虎(らっこ)皮、昆布、串貝(あわび)が主なものである。
呪術的意味が込められているアイヌ紋様の、美しい敷物や衣類は、高い価値を持って和人に求められていた。
樺太経由で大陸からは、アイヌ首長が豪華な正装に用いる山丹錦、女性の装身具に使う玉類などを交換で仕入れていた。
和人からは、祭祀に重要な漆器類、宝刀として扱われる刀剣類、日用品としての鉄器類、木綿類、米、酒などである。
幕府は米の価格1反を1斗2升としたにもかかわらず、現地の役人が9升としてしまう。現地の経済は請負人の運上金に大きく依存しているので、役人も運上家には協力する。それは明治になっても変わらず、むしろ一層ひどい搾取状態が続いていた。
また、文字を持たず数の観念がないアイヌたちは、穏健で人を疑うことをしないので、いつも不利な取引を強いられてきた。
「よし、次は猟虎皮だ。まず初めに」
と言って、請負人が1枚取る。
1枚、2枚……10枚、と10枚まで数えると、「これで10枚だな」と言って1枚追加する、といった具合だ。
「飛騨屋の若衆(わかし)さん、あんた数が読めないのかい。もいっかい数え直してくれないか」
交易所にカムイが居合わせると、必ずこういった状況が生じる。
カムイが取引の場に立ち会うようになってからは不公平な取引は減ったが、請負人にとっては面白くない。カムイの使う言葉から会津出身だと睨んだ請負人は、戊辰戦争で敗れた会津士族団が、3年前から余市に入植していることを教えたのである。
カムイはそれを聞くと、居ても立ってもいられなくなった。
もしかしたら・・・・・・と。