日常の非日常
流浪の民
友達の価値というのが、いまいち分からないところがあり、ちょっと、自分的には無用なものだという認識。
だがしかし。
必要ではないが、あってもいいものだと、最近、思い知った。
コロナの関係で、といえば、なかなかに同情を集められていい感じに納得してもらえるが、実は、電話の対応が嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で……。
不愛想で、内向的に見える彼女は、きっと、私の気持ちを理解してくれるに違いない。と、勝手に仲間認定してた年下の3年先輩は、私の予想をはるかに超えていた。
じゃあ、ちょっとランチにでも。と、いったときに、ここ、いいんじゃない? と、すちゃっとスマホを持ち出し、おもむろに、ぴぴぴっと、指先が液晶上を踊ったと思ったら、「4人ですけど、あいてますか?」
ええええーーーーーっ!?
今、お店に電話してたン!?
例えば、私だったら、どうやったら電話しなくて済むかってところで悩みまくって、2、3日放置した後、いや、これではだめだ。と、スマホを握りしめ、発信画面にしたのち、何時間か無駄にした後、何度か電源を切った挙句、心臓をどきどきさせ、指先を凍らせながら、心の中で何度も練り上げたシナリオを何度も繰り返し、こう言われたらああ言おう、そう言われたらどう言おう、と、何度もリハーサルを繰り返し、ようやく電話することになる。
しかも、呼び出し音が鳴っている最中、
出るな! 出るな! 出るな!
……いや! ここで出なかったらまたかけなおさねばならぬ。出ろ! 早く出ろ!
……出なくてもいいかな。
……、出ないかな? よし! 電話したからな! 出なかったのは向こう……
『はい』でたーっ><
という、不毛な葛藤が繰り返されている。
業務の一環だから頑張って電話してるだけで、私用であれば、絶対にしない電話。
これが根底にあり、希望退職に応募したんだが、とにかく悩みに悩んだ。
退職するということは、将来の保障どころか、現在の生活すら危うくなるのだ。
我慢して勤め続けるか、あるいは、自力で仕立屋さんとして再出発するか。
誰かに話したいな。
こういう時、友達っていう人がいれば、話、聞いてくれるんだろうな。
なんて、殊勝なことを考えているときは、かわいいもんさ。
ある時、ふと、思いなおすのだ。
いや?
けど、結局決めるのは自分だしな。
友達は聞いてくれたとしても、自分のマイナス感情を押し付けるのはどうなの?
そう思いだすと、また、友達不要説に行き着いてしまう。
拠り所がほしいと思いつつどこまで行っても、精神的流浪の民なのだ。
2021.01.24 雨の京にて