リ・メンバー
じいさんは70歳まで仕事をして、引退後はスペイン語を勉強していた。ばあさんはお姫様のように――といってもいろいろなお姫様がいるけれど――おっとりとした雰囲気だった。
親父も70過ぎまで働き、引退後はお袋と海外旅行や海外で短期の滞在をしていた。親父は一時体調がよくなくて元気がないときもあったけれど、あるとき急に一大奮起してからだを鍛えるようになってからまた元気になった。
親父と2歳違いで、ずっと親父の診療を助けてきたしっかり者のお袋も元気だ。明るくていつも笑っている。自分に合った体操のメニューを考えるのが好きで、せっせと体操を楽しんでいる。
85歳を過ぎた現在も、夫婦で元気に俳句を作ったり書道をしたりしている。ふたりの会話はけっこう味がある。
ある日、庭で親父とお袋がユリを見ていた。
親父が、
「母さん、これはなんていうユリだっけ?」
という。すると、お袋は、
「ワタシユリ」
と答える。親父が、
「ワタシユリ?ほう、あまり聞かない名前だね」
と言うと、お袋が笑いながら、
「お父さん、オニユリですよ」
なんて言っている。
「おう、母さんがオニということか。ハハ。若い頃このユリみたいにそばかすが可愛かったけどなあ」
「あらまあ。そういうお父さんも若い頃はこのユリみたいにすらっとしていましたよ」
「そうだったな。だけどあだ名は鬼瓦だった。鬼瓦なんてひどいよな」
「苗字がカハラですからね。仕方ありませんね」
なんて言って笑い合っている。
ぼくはこんなやりとりがふたりの元気の源なのだと思っている。
楽しくて愛すべき家族なのだ。
ぼくは、仕事をする日を減らしたいと思うようになってきている。そして自分の納得する形で、今よりもっといろいろな人と関わっていきたいと考えている。
由美子さんにもぼくの考えていることを話した。目を真ん丸くさせながら、いいこと思いついたわねーと喜んでくれた。由美子さんはいつでものんびりしてポジティブなので、ぼくは本当に恵まれている。
わたしもピアノをもう一度弾こうかな、なんてすぐに言い始めている。
さて具体的なことだ。ぼくはこれから何をしよう。
そんなことを考えている頃、東京にいる上の娘が久しぶりに帰ってきた。病院を移らないといけないみたい、と相談しに来たのだった。今の病院が規模の縮小を考えているようだ。
渡りに船、というのはこういうことを言うのではないだろうか。
ぼくが、ここを手伝ってくれないか?というと、娘は、えっ、いいの?と言った。できればそうしたいと思っていた、と言う。願ってもない話にぼくは素直に嬉しいと思った。
こんな会話を娘として2、3日した頃、今度は歯科医師会から高齢者の入っている施設で月に一度、歯科検診をしてくれる歯科医を探している、という連絡が来た。行きますよ、とぼくは即答していた。
これは思ってもいなかったことだったけれど、人と関われるし役に立てると思うと非常に嬉しい気がした。
それで小話みたいなことができて、みんなに喜んでもらえたらもっと嬉しいのだがなあ・・・
コバナシ・・・
ぼくは大学時代、『痛み緩和サークル』というのを仲間と作っていた。昔は歯の治療と言えば、痛いもの、と決まっていた。歯医者だって患者さんが眉間にしわを寄せて我慢しているのを見るのはやはり気持ちがいいものではない。
なんとか痛みを減らすようなことを考えようというのがサークルを始めた目的だった。小話もそのひとつだった。治療のちょっとした合間に楽しい話ができれば患者さんもリラックスしてくれるかもしれないと思ったのだ。
小話以外にも、たとえば音楽をかけるとか、痛くない痛くない、と暗示をかける、とか着ぐるみを着て治療するとか、大真面目に考えていたものだ。
今は麻酔を使うのが当たり前になっているけれど、さらに快適に治療を受けてもらおうと多くの歯科医がいろいろな手法を取り入れている。ぼくも実はずっとそんなことをやってきたのだ。
BGMもずいぶん昔から流すようにしていたし、それから催眠療法というのも勉強して取り入れている。催眠療法は患者さんにリラックスしてもらって暗示をかけるものだ。
当時のサークル仲間に聞いてみても、自分で何らかの工夫をしているという。サークルで考えていたことは思っていた以上に役に立っていた。
ぼく自身も歯科医になってから今までずっと痛み緩和メモをつけていた。
歯科医というのは変な職業で、実際に関わるのは人の口の中だけだけれど、そこからいろいろな人間模様が垣間見えてくる。
治療中に思い切り指をかじられたこともある。腕を払いのけられることはしょっちゅう。
僕の腕が悪いから?うーん、自分で言うのも変だけれど、まあまあの部類だと思っている。あとからクレームがくることも少ないし・・・
痛みに対する我慢度は人それぞれで、そしてそのどれもが人間らしく、大変愛しいものだとぼくは思っているのだ。
ぼくの痛み緩和メモをどうにか小話にできないかと思っていた頃、由美子さんがカルチャーセンターの案内をぼくに見せてくれた。カルチャーセンターに『お笑い講座』というのがあるのだ。ぼくはまさかね、と言いながらも申し込む気になっていた。週に1回だしセンターはうちからも楽に通える場所だ。由美子さんに、どうかなあ、と聞いてみると、完璧でしょ、という返事だった。
次の月からぼくは『お笑い講座』に行き始めた。来たのは11人。若い男の子が3人、若い女の子が7人、そしてぼく。第一回目のときそれぞれが自己紹介をした。職業は、介護士、看護士、保育士、フリーターなど。人に喜んでもらいたい、と言う人が多かった。ひとりの女の子は、自分を表現したい、と言った。
まず基本講座から始まったが、これが面白かった。人間の笑いのメカニズムや効用という講座もあった。それから実際に人間を観察するということも繰り返し行う。喜怒哀楽などの感情も意識して捉えると実にいろいろな発見があるものだ。
回を重ねると人前での実習もするようになった。ひとりでネタを披露したり、ペアをつくって共同作業したり・・・恥も外聞も捨てて(これがすごく大事なんだなあ)自分を表現するときの快感はすごい。クラスがいい雰囲気に包まれて楽しくて仕方がなくなる。学生時代に戻ったみたいだった。
今までいちばん受けたのは、ぼくよりずっと若い女の子、みどりちゃんと組んでやったコントだ。みどりちゃんがムチャクチャな歯科医になってぼくが患者で痛い目にあうというもの。みどりちゃんはあまり普段表情を変えないので、それがムチャクチャぶりと妙にマッチしておかしい。
『受ける』というのは本当に気持ちがいいものだ。こころに温かいものが流れ込んでくる。これはやみつきになるね。
ちょうど講座が終了する頃、カルチャースクール祭りというイベントが開かれた。これは各講座を受けた人たちが一般のお客さんの前で学んだことを披露する。
ぼくたちはペアを組んでコントをする。ペアは講座の先生がくじで選んだ。ぼくの相手は、みどりちゃん。不思議な縁があるということだろう。