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Member5 イルカからの贈り物
 歯科クリニックをうまくやりくりして、由美子さんと平井さんとハワイに行ってきた。4泊6日で。ドルフィンウォッチングツアーというのに参加したのだ。ボートで海を出てイルカたちを見るツアーだ。
 何年か前にハワイに行ったときはゴルフばかりしていた。イルカを見るためにもう一度ハワイに来ることがあるとは思わなかった。

 野生のイルカだから必ずしも会えるとは限らない、と聞いていたので、海に出てまだそれほど時間がたたないうちに何十頭ものスピナードルフィンが姿を見せて、しかもわれわれの乗ったボートに近寄ってきてくれたときは本当に鳥肌が立った。

 高くジャンプしたり、シンクロナイズドスイミングのように動きをぴったり合わせて泳いだり・・・
 イルカというのはほんとうにすばらしい。スージーのご主人のジョンが、イルカは本当に調和と平和と喜びに溢れているんですよ、と教えてくれる。人間と遊ぼうと近づいてきてくれたときは、人間を最初から包み込んでくれているように感じられる。
 穏やかだし頭もすごくいいんですよ、とジョンは言う。ただそこにいるだけで圧倒的な存在感だ。ものすごく温かくて特別なエネルギーをもっているのかもしれない。言葉なんかではなく、ただ楽しくて幸せな気持ちにさせてくれる。
 ぼくはここに来られて本当に良かった、と思った。

 あとから考えると、ぼくがイルカのツァーに参加することになったのも不思議な流れだった。
 ぼくはイルカに関心を持ったことはそれまでなかったのだから。
 ところが、少し前、大阪の学会に行ったときイルカが急に身近な存在になったのだ。学会とちょうど日にちを合わせるかのように、大阪で下の娘の入っている劇団の公演があった。
 娘の公演はこれまで一度だけ行ったことがあった。ダンスとコメディーをミックスしたもので、タイトルは『ダ・ビンチの生まれ変わり』だったと思う。娘は主人公の家のお手伝いの役で、相当な慌て者という設定だった。20回くらい舞台で転ぶ娘を見るのがちょっと辛かった。

 今回はタイトルが『笑いが罪になる国』というものだった。娘は国家保安局の敏腕な役人の部下という役で、これはぼくも他の観客と一緒に腹の底から笑うことができた。
 公演の翌朝、娘が、少しなら時間があるの、というので食事でもしようかと思ったけれど、娘が、海遊館が近いからよかったら行かない?と言い出して、ふたりで久しぶりに水族館に行くことになったのだ。

 水族館なんて娘たちが小さい頃行ったきりだった。そこでぼくがびっくりしたのは、海遊館のカマイルカというのを見たとき、目が離せなくなってしまったことだった。
 娘に「パパ、こころを奪われてるね」と笑われたが、本当にそんな感じだった。それ以来、雑誌とかテレビでイルカを見るたびに、いいなあ、と声に出して言うほどになっていた。
 そんなときなのである、平井さんがツアーの話をしてくれたのは・・・でもクリニックがあるから実際に行けるとは思っていなかった。

 平井さんは親父の代からうちのクリニックに来てくれている患者さんだ。平井さんのうちは以前よくホームステイの受け入れをしていた。そのうちのひとりでアメリカから短期交換留学生として来ていた女の子が、今は結婚してご主人とハワイで、野生のイルカに出会うツアーのコンダクターをしているという。それをたまたま聞いたとたん、どうしても行こう、と思ってしまった。

 こんな流れで行くことになったイルカのツアーだったが、ぼくの想像をはるかに超えて楽しい旅だった。スージーとご主人のジョンはとてもオープンで快活だ。イルカと遭遇し、イルカと共に過ごすことに本当に喜びを持っていた。その情熱がぼくたちのツアーをずっと支えてくれたのだ。

 イルカのほかに、今度の旅でもうふたつ忘れられないことがあった。ひとつは、イルカのツアーの参加者にテネシー州から来ていた元歯科医がいたことだった。50代で今はフリークライマーとしてクライミンググッズを扱う店を開きながら山登りをしているという。
 一度イルカを見たいということで奥さんと一緒に来ていた。

 ツアーが終わってからスージーのところでみんなでお茶を飲んだときのことだ。
 ぼくはフリークライマーの人に、
 「歯科医からクライマーに転身というのはまたどうして?」
と尋ねた。
 「ぼくの周りでは、全然違う職業に転身というのは珍しくないですけれどね。でもぼくが歯科医をしていたといっても店のお客さんはみんな、うそでしょう?信じられない!って言いますね」
と真っ白い歯を見せながら答えてくれた。ぼくは更に、
 「迷ったりしませんでしたか」
と聞いた。彼はイヤな顔ひとつせずに、
 「やっぱり一度だけの自分の人生ですからね。おやじが歯科医で、なんとなくぼくも歯科医になったんですよ。休みには山に行ってましたが、山に行きたいときに行けない生活が苦しくなっちゃって・・・やっぱり山の方がはるかに楽しいですからね」
と答えた。
 奥さんが笑いながら、
 「歯医者さんのときは蝶ネクタイ締めて治療していたんですよ」
と言った。日焼けした筋肉質の体から想像ができない。

 もうひとつ忘れられないのは、ジョンがビデオを見せてくれたことだった。マイアミにあるドルフィンセラピーを撮ったビデオだった。障害を持った子どもたちが世界中から来て、イルカと共に過ごす。
 イルカは子どもたちの感情やからだの状態が判るようで、優しく温かく一緒に遊ぶのだ。子どもたちの笑顔がどんどん輝いていく。
 「イルカには人の持っている隠れた力とか可能性を引き出すことができるようです。ぼくは、障害のある人にこの大自然のハワイの中で野生のイルカに触れてもらえたら、と考えています。障害を持った方だけのドルフィンウォッチングツアーをこれから準備する計画です」
とジョンは言った。
 人が強い信念をもって夢を語るとき、もう夢の半分近く行っているのかもしれないと、ぼくはそのとき感じた。

 ハワイから帰って少し経ってから、ぼくは自分の人生について考え始めていた。
 歯科医になった理由は先々代から歯科医の家系だから。長男として生まれたぼくは子どものときから当然継ぐものと疑わなかった。
 じいさんが建てたレンガ造りの洋館はぼくの代で建て直したけれど、ずっと同じ場所、富士山の麓の町の商店街の一角で開業してきたのだ。

 仕事も順調だったし、家族にもぼくは本当に恵まれている。
 由美子さんも毎日ぼくにとても協力してくれている。由美子さんは高校時代の同級生だ。音大を出てピアノを自宅で教えていたけれど、ぼくと結婚してからはずっとクリニックの手伝いをしてくれている。ピアノはひょっとすると錆びているかもしれない。

 娘ふたりはもう立派な大人になっている。上の娘は歯科医で今は病院に勤務している。いずれぼくの後を継いでくれるらしい。下の娘も好きな演劇の道を続けていくだろう。
 歯医者に定年はないので、元気でいられるならできるだけ長く続けるつもりでいたけれど、それだけでぼくはいいのだろうか。
作品名:リ・メンバー 作家名:草木緑