リ・メンバー
Member4 “わたし”のこともデザインしなくちゃ
改めて考えてみたら、ひとり暮らしというのはわたしにとって生まれて初めての経験なのだ。ひとり暮らしになって2年経つけれど、なかなか慣れないのも無理はないかもしれない。
とりあえず身についた習慣で日々の生活を送っているけれど、話しかけても誰かが返事をしてくれるわけではなく、聞いているか聞いていないかわからないような夫の返事が、わたしにはすごく大切なものだった。
からだが重くて重くて、いつも何かを引きずっているような感じがする。
何をしてもこころから楽しいとは思えなくて、食欲もない。睡眠も気持ちよくできなくて疲労が溜まってしまっている。
結婚して隣の市に住んでいる娘が心配してときどき来てくれる。顔を見ているときは元気になるのだけれど、娘が帰るとまた元に戻ってしまう。なかなか気分が晴れることはない。
日常の買い物も仕方なく行く。できるだけ買いだめして、出かけなくても済むようにしている。
歯医者さんだけは治療がまだ終わっていないので行くけれど、それ以外は出かけることもなく、ひと通りの家事が済むと、あとはぼうっと食堂の椅子に座ってなんとなく一日を送る。時間はそれでも、思うより速く流れていく。
毎日何を食べたのかもよく覚えていない。食べなくてもいいとさえ思う。気持ちが沈んでいるというのはこんな感じのことを言うのだろう。
近くで英国風庭園を開いているノボルさんが訪ねてきた。若い男の子をうちの離れに下宿させてもらえないか、と相談に来たのだ。
ノボルさんは庭園を作るときに、うちの畑を買いたいと言ってきて以来の知り合いだ。主人と気が合っておつきあいが続いてきた。
主人が元気な頃は留学生たちのホームステイをよく受け入れていた。ノボルさんはそのこともよく知っていたので下宿の話を持ってきたのだと思う。
たしかに留学生たちのホームステイの受け入れはとても楽しい経験だった。
外国からやってきた子どもたちは、数日だけうちで過ごす子から、1年間地元の高校に通う子までいろいろだったけれど、みんな大きな思い出を残してくれた。主人はどの子も本当に大切にして、温かく見守っていた。
からだの具合が悪くなったり、ホームシックになったり、言葉の行き違いから誤解が生じたり、そのつどハラハラもしたけれど、主人はいつも大らかで、大丈夫、なんとかなる、と言ってほんとうに何とかなってきた。
娘がまだうちにいたときは、娘にとってもいい経験ができたと思う。 娘は今、国際交流の仕事をしている。子どもの頃、外国の子どもたちと一緒に暮らす経験が大きかったから、と本人も言っている。
今回のノボルさんの下宿の話はホームステイとは違うけれど、正直困ってしまった。日本人の男の子だし、わたしの世話は必要ないのに・・・このところ自分ひとり生きていくのにやっと、という状態なので、主人のいない今、前のようにすっと人を受け入れる気にはなれなかった。
娘に相談すると、
「無理しなくていいよ、気が進まないなら断ってもノボルさんはわかってくれるよ」
と言った。
でもどうしてか、わたしはノボルさんにすぐに断らなかった。少し考えさせて、と答えた。
その夜のこと。夢を見た。主人が出てきて、大丈夫、ひとりでもなんとかなるよ、と笑いながら言ったのだった。ほんとうにびっくりしてしまった。
結局わたしは下宿の話を引き受けた。夢に後押しされて・・・
ノボルさんと一緒に来た男の子に会ったとき、なんだかすごく安心した。こころがまっすぐなのが伝わってきたから。ノボルさんから、悟飯というニックネームなんですよ、と聞いたので、わたしも初対面から悟飯と呼ぶことにした。
悟飯が来たらうちの雰囲気がとても明るくなった。とてもまじめな青年だしこころ根がやさしい。
人が近くにいてくれると、それだけでもやはり嬉しいものだ。
悟飯が来てしばらく経った頃、少し要らなくなった家具を片付けることにした。ちょうど悟飯が帰ってきて、悟飯のボスというイギリスの青年も一緒にきて手伝ってくれた。
ピーターという青年は見上げるほど背が高い。わたしが、背が高いわねえ、と言うと、ピーターは、
「日本に来てから猫背になっちゃって・・・大家さんどうしたらいいでしょう」
ですって。ピーターはとても人なつこい。そしてよく喋る。
ピーターによると、わたしは母方のおばあちゃんに似ているのだそうだ。
「イギリスのおばあちゃんとわたしと、どこが似ているの?」
「ほっぺた。ふっくらしていてすごくチャーミング」
とピーターは言った。
「あら、嬉しいわ。ピーターさんのおばあちゃんはお元気?」
とわたしが聞くと、ピーターは、
「すごく元気。72歳からヨーガを始めて、今は85歳で先生。生徒さんの平均年齢は70歳くらいね。大家さんは、何かやってる?」
と言った。
「なんにも。気力がなくなってしまって・・・歳かしら」
「歳は関係ないよ、きっと大丈夫」
「そう?今から何か始めても大丈夫かしらね」
「もちろんだよー。ぼくのおばあちゃんがヨーガを始めたのは、先生が若くて、といっても40歳くらいだったらしいけど、そしてグッドルッキングガイだったからだって」
「イケメンっていうこと?」
わたしがイケメンと言ったら、悟飯は口に含んでいたお茶を吹き出した。
「ピーターさんのおばあちゃんはきっとすてきな人ね」
とわたしが言うと、ピーターは、
「今輝いてるよ。でもね、ヨーガをする前、おばあちゃんはそんなでもなかった。ヨーガを始めたらどんどん元気になっていった。人の持ってる可能性ってすごい」
「おばあちゃんのようになるにはどうしたらいいのかしらね」
「おばあちゃんなら、そうだなあ、きっとこう言うよ。ここに今生きていることは当たり前なんかじゃない、もうほんとにすごいことなんだから、自分の人生を楽しまないとつまらないよって」
本当にそのとおりかもしれない。
もちろんピーターのおばあさんとわたしの人生とはとても違うと思う。でもこのわたしという人間は世界にたったひとりしかいない。わたしというものをできるだけ輝かせたい!楽しく暮らしたい!とわたしが思わなくて、一体だれが思ってくれるだろう。
これからわたしの人生をどう生きるか、は本当にわたしにすべてかかっている。
悟飯のおかげで、ようやく底力と呼べるような力が少しだけ湧いてくるようになって、本気でそれを考えるときがきたみたい。
とりあえずわたしはしたいこと、これまでできなかったことを書き出してみることを思いついた。
ところがノートを前にして何ひとつとして書けない。これには自分でもびっくりしてしまった。わたしには何の希望も夢もないのだろうか。あれまあ。
何日か経って、もう一度やりたいことを考えてみた。
この間は、浮かんでくるものはあったのだけれど、浮かぶ端から自分で打ち消してしまっていた。
わたし自身を制限しているものがあることにわたしはようやく気がついた。
だから制限を外すことにした。