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私を泣かせてください

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「ああ、明後日か……」
 幸三は呻くように呟いた。仕事に追われていた時も苦しいが、仕事を離れて休み、何もしないでいるということが、これほどの苦痛とは思わなかった。
(そうだ、音楽を聴こう……)
 別にそれほど音楽が聴きたかったわけでもない。何もしないでいることの苦痛をやわらげたかった。幸三は無造作にCDを掴んだ。それは鈴木慶江の「レガーロ」というCDだった。鈴木慶江はオペラ歌手である。幸三が特にオペラが好きだというわけではなかった。テレビコマーシャルで彼女の歌が流れているのを聴いて、何となく買ってみたのだ。
 CDが回り始めた。幸三はその美しい歌声に耳を傾けようとするが、心がどうしても動かない。CDは二曲目に入っていた。純朴なピアノの旋律が流れる。ヘンデルの「私を泣かせてください」だ。
 メロディラインが美しかった。そのメロディを余すことなく歌い上げる鈴木慶江もまた素晴らしかった。幸三にイタリア語はわからない。歌詞カードを見れば対訳は載っているであろう。しかし、今は旋律と歌声だけで十分であった。
 幸三の頬に熱いものが伝わった。幸三はそれを拭おうともしない。涙は止め処もなく流れ出し、滴り落ちていく。
 幸三の中で由美子に叱責された苦い思い出が甦る。同時に感じる己の力量不足。自分ではどうにもならない絶望感のような感情が込み上げてくるのだ。それはメロディが美しければ美しいほど、歌声が清らかであればあるほど、沸々と湧き上がってくるのだ。この時の幸三の感情と涙は、あたかも失禁したように垂れ流しの状態であった。

 由美子は出版局長の韮山から呼びつけられていた。
「ここのところ、シェスの売り上げが伸び悩んでいるようなんだが……。君に思い当たる節はないかね?」
「さあ。編集にはいつも全力で力を注いでいますわ。企画だってそれなりの自信があります」
「ふーむ……」
 韮山は腕組みをして、深く考え込んでしまった。
「何か言いたいことがありましたら、遠慮なさらずにおっしゃってください」
 由美子は韮山を睨みつけるように言った。
「いや、君の編集方針にケチを付ける気は毛頭ないのだが、はっきり物事を言い過ぎのきらいがあるような気がしてね」
「それがシェスの売りですから」
「君にはまだ見せていないが、実は先月号の『こんな遊園地はつまらない』では相当な苦情のハガキが寄せられているんだ」