私を泣かせてください
そう由美子に言われた幸三は、途端に動悸が始まった。掌と言わず、額からも脂汗が滲んでくる。パソコンのキーボードを叩く指先が震えた。
(また俺が吊るし上げられるのかよ……)
そう思った瞬間、眩暈に襲われた。グルグルと世界が回る。動悸は激しくなる一方で、心臓が口から飛び出てしまいそうだった。幸三はだらしなく、パソコンの上に伏せてしまった。
「先輩、大丈夫ですか?」
水木が心配そうに覗き込む。
「うわっ、凄い汗。それに顔、真っ青ですよ!」
幸三の異変に気付いたのだろう。すぐさま由美子が駆け寄ってきた。
「大丈夫、重田君? あなたの企画なんだから、あなたがしっかりしてくれなくちゃ話しにならないわよ。まさか二日酔いじゃないでしょうね?」
そうは言われても、動悸と眩暈は如何ともしがたい幸三であった。幸三はハンカチで汗を拭った。綿のハンカチは絞れるほどの汗を吸い込んでいた。
「あ、はい……」
幸三が資料を引き出しから取り出そうとした時だった。急に世界が歪んで見えた。幸三はそのまま床に倒れてしまったのである。
「重田君!」
「先輩!」
そんな由美子と水木の声が耳に届いたような気もする。だが、焦点も定まらず、自分がどうなっているのかすら幸三にはわからぬ。ただ天井がグルグルと回っていた。
幸三は搬送先の病院で点滴に繋がれていた。点滴を受けても胸を締め付けるような動悸は収まらない。正確に言えば、動悸は収まっているのだが、心の中にグレーの不安が渦巻いていて、それが心臓を圧迫するのだ。
医師が検査データの紙を持って、病室を訪れた。
「うーん、検査データにこれといった異常はないねぇ……」
「はあ……」
幸三は気のない返事を返す。
「最近、ストレスは感じていますか?」
「ストレスだらけですよ」
すると医師は曇った顔をして、眼鏡を指で上げた。
「僕は内科医だからね、精神科は専門外なんだけど……。一度、精神科や心療内科で診てもらった方がいいですよ」
「先生は僕が狂ってると……?」
「そうは言いませんよ。ただね、検査データに何の異常もなくて、この症状から言うと、うつ病やパニック障害を疑わざるを得ませんね」
「うつ病……、パニック障害……」
その言葉は幸三の肩に重く圧し掛かっていた。
作品名:私を泣かせてください 作家名:栗原 峰幸