私を泣かせてください
幸三が送ったフォーマットに目を通しながら、由美子がぼやく。幸三の書いた記事はややもすると、思い入れたっぷりのマニアックな記事だった。それは管理釣り場と呼ばれるマス釣り場でデートを楽しむ方策が書かれていたのだが、難解な釣り用語も多く、一般向けとは言いがたかった。
「だったら、釣り雑誌の編集に行きなさいよ……」
それに文章は由美子からして見ると、とても稚拙に見えたのだ。由美子は自分が編集長である限り、洗練された雑誌を世に送り出すのが使命だと思っていた。そう、彼女の雑誌編集にかける意気込みは凄まじいの一言に尽きた。
「君は雑誌と結婚すればいいだろう」
それはかつて、大分以前に付き合った男性の捨て台詞である。
由美子はその別れの悔しさをすべて雑誌編集に注ぎ込んでいた。だから、それこそ「雑誌と結婚する」ほどの勢いで仕事に没頭しているのである。そんな由美子から見ると、幸三や水木の仕事は甘さばかりが目立って仕方なかった。由美子の熱意の甲斐があって、雑誌「シェス」は若い男女に人気を博すところとなった。流行に媚びずに、流行を創造していく雑誌などとも評されていた。であるからして、生半可な記事は許されないという使命感が由美子にはあった。
由美子が記事と一緒に添付されてきた写真のファイルを開いた時だった。
その写真にはルアーと呼ばれる疑似餌が写し出されていたのだが、その煌びやかさに由美子は思わず目を奪われたのだ。
「これが……釣り具?」
あるものはシェルのような光沢を放ち、あるものは純金にも似た輝きでその存在を誇示している。それは幸三所有のルアーを写したものに過ぎないのだが、由美子には女心をくすぐるアクセサリーのように思えたのである。
「なぜか、釣りデート……か……」
写真を眺めながら由美子が呟いた。その瞳はこころなしかうっとりとしている。由美子の目はシェルのような鈍い光を放つ、紫色のルアーに釘付けとなっていた。
(いいわ。明日、朝一で編集会議を開いて、『なぜか、釣りデート』の企画、持ち上げてあげようじゃないの……)
由美子の口元がフッと笑った。仕事の時には滅多に見せることのない微笑みであった。
翌朝、由美子の口から臨時の編集会議が開かれることが告げられた。
「重田君、あなたの企画だからね」
作品名:私を泣かせてください 作家名:栗原 峰幸