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私を泣かせてください

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「おお、いいな。ちょっと遅くなるけどいいか?」
「いいですよ」
 幸三も水木もクスッと笑った。幸三はパソコンに目を移した。今夜、水木と美味い酒を飲むためにも、今必死に仕事をしなければならなかった。

 その日の二十二時過ぎ、出版社近くの居酒屋に幸三と水木はいた。
この居酒屋はこじんまりとした佇まいながらも、活気があり、ネタもよく、そして何より安かった。当然のことながら、会社帰りのサラリーマンたちでごった返しているのだ。
「編集長はキツイけど美人ですね」
 乾杯を終え、水木が美味そうにビールを流し込む。
「ああ、美人だがキツイ……。あの下に一年以上いると嫌になってくるぞ」
 幸三がチビッとビールを舐め、運ばれてきたキスの天ぷらに箸を伸ばす。
「美味い。これは冷凍物じゃないな」
「へえ」
 水木もキスの天ぷらに箸をつけた。
「本当、美味いですね」
「こいつは釣ってきたやつだな」
「どうしてわかるんです?」
 水木が不思議そうな顔をして、幸三を覗き込む。
「大体、市場に出回っているのは中国から輸入された冷凍物で、魚臭さが鼻に付くものなんだ。こういうキスを食うには釣ってくるしかない。確かここの店主は釣り好きだったな」
「なるほどね。釣り好きって言えば、先輩も釣り好きじゃないですか。でなきゃ、特集で『なぜか、釣りデート』なんて記事、書きはしませんよ」
「まあな。だが、今はそれで苦しんでいる……」
 幸三がビールの泡に目を落とした。その瞳はやるせない。
「あーあ、このキスの天ぷらを食えば編集長も釣りを見直すと思うんだけどなぁ」
 水木がキスの天ぷらを頬張る。衣がサクサクと砕けるのが幸三にもわかった。
「いや、釣り云々じゃなくて、俺の記事の書き方が気に入らないんだろう。だが、毎回あの調子じゃ、こっちもメゲるよ」
「先輩、元気出して、ほらグーッと……」
 幸三は水木に促され、ジョッキを煽った。幸三は後輩に元気付けられる自分もまた情けなかった。ビールの泡が苦かった。

 由美子は誰もいなくなったオフィスで、一人パソコンに向かっていた。その瞳は真剣で他人を寄せ付けないオーラが漂っている。そんなオーラを察してか、遅くまで残業しているのは、いつも由美子一人の場合が多かった。
「まったく、何が『なぜか、釣りデート』よ。うちの読者の心を掴む企画を心得ていないんだから……」