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私を泣かせてください

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 ただ、由美子にしてみても、幸三を復帰させる青写真があったわけではない。先日、カウンターバーで飲んだ二人ではあるが、「私を許してくれないのではないか」という疑念がどうしても由美子の中に浮んで、心を占領してしまう。

 その日の帰り、由美子はCDショップに立ち寄った。日頃、あまり行かないコーナーの前を行ったり来たりする。由美子が足を向けているコーナーの列はクラシックのCDで埋め尽くされている。由美子はこれほど、クラシックの需要があるものかと驚く。なかなかオペラ歌手のコーナーは見つからない。由美子は店員を捕まえて尋ねることにした。
「すみません、オペラ歌手の鈴木慶江のCDってありますか?」
 店員は由美子を声楽のコーナーに案内すると、数枚のCDを由美子に手渡した。由美子はその中から「レガーロ」というベスト盤を選んだ。それは偶然にも幸三が持っているCDと同じものだったのだが、購入した理由は「私を泣かせてください」が収録されていたからに他ならない。
 由美子はマンションに帰って早速、コンポに「レガーロ」を吸い込ませた。スーツから部屋着に着替えることもなく、鈴木慶江の美しくも優雅な歌声に聴き入る。二曲目に差し掛かった途端、由美子は背中に電気が走ったような衝撃を感じた。
 優しいピアノのイントロの後、シルクのような歌声が流れる。その純朴で無駄のないメロディはどこまでも美しかった。それは確かに、あの心療内科の待合で幸三から聴かせてもらった「私を泣かせてください」だった。
 由美子の涙腺が緩む。止め処もなく、自然と涙が溢れてくるのだ。それは美しいメロディと歌に心酔して流れ出た涙なのか、それとも今まで一人きりで仕事を背負って立ってきた女の意地を確かめる涙なのか、はたまた幸三をうつ病に追い込んでしまった自責の念なのか。おそらくそれはどれも正解であろう。溶かした絵の具を混ぜあったようなドロドロの心の色合いが、美しい歌によって浮き彫りにされていた。由美子は泣きに泣いた。

 幸三がふらりと編集部を訪れたのは金曜日の午後五時近くになってからだ。
「あー、先輩!」
 水木のその声で一同が幸三に注目する。幸三は一礼すると、由美子の机に歩み寄った。
「すみません、ご迷惑かけて……」
「あなたが謝ることじゃないわ。それより元気そうな顔を見れて、こっちも安心よ」