私を泣かせてください
女優は演技をしていた。ストーリーに合わせた演技を。主演女優は決して若くはなかった。歳は由美子と同じ三十代後半だろう。その女優の演じる役は決して幸せな役回りではなかった。そんな女優につい由美子を重ねて見てしまう幸三であった。その女優は涙を流しながらも、健気なほど前向きに生きていた。
(編集長……)
アルコールも入り、少し感情が緩くなっていたのだろう。幸三にはスクリーンが霞んでいた。幸三は確かに由美子から辛い思いを受けた。だが、編集長という立場で由美子もまた、辛い思いをしているのかと思うと胸が痛んだ。
「先輩、ここ煙いですよ。僕が奢りますから神谷バーで電気ブランでも飲みませんか?」
煙草の臭いが嫌いな水木がそう提案した。しかし、幸三は頭を振る。
「もう少し、この映画だけ観ていきたいんだ」
翌週の水曜日。由美子は出版局長の韮山に呼ばれていた。局長室は意外と狭い。大手出版社とは言え、それほど良い待遇はされていないようだ。
「重田君のことだけどね。このままいつ復帰できるのかわからない状態じゃ、将来の保証は出来かねるよ。まあ、君からもそれとなく依願退職を勧めてくれたまえ」
韮山は今日も渋茶を啜りながら、苦虫を潰したような顔をしている。
「しかし局長、彼をうつ病に追い込んだのは私なんです。責任ならば私が取ります」
由美子は韮山を睨みつけるようにして言った。
「我が社で欲しいのは君の才能なんだよ。三文記事しか書けない記者はいらない」
「彼はまだ駆け出しです。これから才能を開花させるかもしれません。もう少し、お時間をいただけませんか?」
韮山の顔が歪んだ。
「確か主治医が相当、君に噛み付いたそうだな」
「ええ、かなり責められました。それに、リストラされたら労働基準監督署に焚き付けると……」
「労災問題はまずいな」
韮山が吐き棄てるように呟いた。苦虫を潰したような顔が、一層歪む。その面体は由美子からして見ても醜悪なものだった。
「わかった。三ヶ月待とう。その間に重田君が復帰できるよう、君もフォローを考えてくれたまえ」
「ありがとうございます」
由美子は韮山に深々と頭を下げた。
局長室を出たところで、由美子は「ふう」と重いため息をついた。いつも最前線を走り続けたキャリアウーマンにしては、やや寂れた面持ちだった。
作品名:私を泣かせてください 作家名:栗原 峰幸