私を泣かせてください
「それに、最近ヒステリックに怒ること、少なくなりましたよ。局長あたりから何か言われたんですかねぇ」
「うーん、確かに局長がどうのこうのって言っていたな……」
「総務にだいぶ編集長の苦情が上がっているらしいですよ」
「何でお前がそんなこと知っているんだよ」
「総務に同期の娘がいるんですよ」
「なるほどね……。そうか、編集長も槍玉に挙げられているんだな」
幸三はお猪口の酒をぐいと呑み干した。
「坂口さんも、田崎さんも編集長のこと嫌っていますからね」
「確か二人とも編集長より入社は早かったよな。編集長の方が先に出世しちゃったってわけか。編集長は年功序列お構いなしに叱る時は叱るもんな」
「妬みもあるんじゃないですか。多分……」
「妬みか……」
幸三が泥鰌を葱と一緒に口に運んだ。もうどぜう鍋は鍋の底を覗かせていた。
「先輩、河岸を変えますか?」
「おお、そうだな」
「美味い蕎麦屋があるんですよ」
「いや、腹は膨れた。それより行きたい所があるんだ」
飯田屋を出た幸三と水木は浅草ロックの方角へと足を向けた。幸三が先導して歩く。
「先輩も浅草、詳しいんですか?」
「いや、俺はそんなに詳しくないよ。思い出があるだけだ」
幸三は花やしき通りのポルノ映画館の前で止まる。
「えー、先輩、ポルノ映画ですか?」
「嫌か?」
「いや、別に俺はいいですけど……」
「学生時代、土曜の夜、オールナイトでお世話になったんだ。アダルトビデオはストーリーが無くてな」
その映画館はビルの階下にあった。いかにも場末の映画館といった印象を受ける。外のポスターには女優たちの物欲しそうな瞳が、男心をくすぐる。
「今はアダルトビデオ全盛の時代だろ。こんなレトロなピンク映画も良かろう」
そう言うと、幸三はチケットを二枚購入し、先に映画館の中に入っていった。
中は紫の煙で霞んでいた。「禁煙」とは書いてあるが、守っている者は少ない。あちらこちらから紫の煙が上がっていた。
既に映画は中盤に差し掛かっていた。幸三も水木も適当な席を見つけて座る。
後は会話は無用だった。ポルノ映画の画像は決して良質ではない。ノイズだらけのフィルムが回っていく。
作品名:私を泣かせてください 作家名:栗原 峰幸