天つみ空に・其の八~恋月夜~【最終章】
清五郎は吐き捨てるように言う。
しばらく重たい沈黙が落ちた。
―苦しい、苦しい。
お逸は喘ぎながら、布団の端を更にきつく力を込めて握りしめた。
まるで炎熱地獄にでも堕とされたかのような熱さが身体全体を包み込んでいる。特に下腹部が異常な熱と熱さを孕んでいた。
あまりの苦悶に、意識がフウと遠くなる。
ああ、このまま失神するのだと、一瞬思った。いっそのこと、意識を手放してしまえば、それはそれで楽になれる。少なくとも、この炎熱地獄からは解放されるだろう。
お逸がそう思った時、清五郎の声が再び耳朶をくすぐった。
「お前は、そんなに私に触れられるのが嫌か?」
次いで、くるりと身体をひっくり返され、仰のけられるのが判った。両脚を大きく開脚された。
「ほら、お前のここは、これほどまでに私に来て欲しいと訴えている。もう、私を迎え入れるのに十分すぎるほど準備は整っているぞ? これだけ身体が男を欲しがっているというのに、お前はただ意思の力だけで私を拒み通しているというのか」
一瞬、意識を手放しかけたお逸だったが、男の声に突如、現実に引き戻された。
ふと視線を動かすと、膝を立ててあられもなく大きく開かされた両脚の間に、男の貌が埋められている。
「い、いやっ」
媚薬の熱で潤んだ瞳に、男の頭が動くのがぼんやりと映じた。途端に烈しい羞恥心と嫌悪感が押し寄せる。
「お前は、どうして、そこまで私を嫌う?」
それはむしろ怒っているというよりは、哀しんでいるような声であった。
媚薬を使ってまで、自分の身体を欲しいままにしようとする男が何故、そのような哀しげな声を出すのか。
お逸の中に一瞬、疑問がよぎる。
恐らく、清五郎は清五郎なりにお逸を愛している―仮に、それを愛と呼べるとすればの話だが―のかもしれないけれど、お逸には到底、こんな愛され方も、愛し方も理解はできない。人を愛せば、誰でももっと優しくなれるものではないか。愛することは束縛することでもなく、ましてや欲望の赴くままに相手を嬲ることでもないはずだ。
清五郎のお逸への仕打ちは、どこにも愛情や優しさ、ましてや労りといったものは微塵も感じられない。ただ己れの欲情に突き動かされ、お逸を蹂躙し思いどおりにしようとしているにすぎない。
が、お逸の思考もそこでプツリと途切れた。ともすれば官能の波に呑まれそうになっている彼女は物事を冷静に考えるゆとりは既に失っている。
そのひと言が合図であるかのように、唐突に、滾り切った熱いものがお逸の芯を貫いた。
一気に刺し貫かれ、お逸のか細い身体がしなる。熱のために乾いてひび割れた唇から、低い呻きが洩れた。
痛みと衝撃を感じたのは昨夜と同じだった。昨夜の荒淫の跡をかき分けて行き来され、最初は痛みしか感じなかった身体が、次第に違う反応を見せ始める。媚薬によって高められるだけ極限にまで高められた官能が男を迎えたことにより、一挙に目覚め、花開いたのだった。
「あっ、ああっ」
待ち望んだ快楽を与えられ、お逸の唇からは正気では到底聞いてはいられないような嬌声が溢れた。
身体は漸く迎え入れた男を逃すまいと、きつく締め上げる。
「これほどに欲しがっていたのなら、何故、もっと早くに素直にならない? 私はお前に惚れていると何度言ったら、判るのだろうな。愛しい女が抱いてくれと甘えて身を寄せてくれば、私は一も二もなくお前を抱くだろう。お前がその強情を引っ込め、ただひと言、触れてくれと頼めば、私はお前の望みを好きなだけ叶えてやるというのに」
清五郎の声がどこか遠くで響いているような気がする。
お逸は清五郎に間断なく突き上げられ、烈しく揺さぶられながら、甘い喘ぎ声を上げ続けた。
自分に組み敷かれて乱れに乱れる女を、清五郎は恍惚とした表情で見つめている。なまじ整っているだけに、狂気を帯びたその横顔は、凄惨なまでの迫力がある。
「ん、んっ」
お逸がひときわ大きな叫び声を上げ、身をのけぞらせる。
「もう、いや。止めて―」
お逸は延々と与えられる快楽にかすかな恐怖を憶え始めていた。その快楽は、すべてお逸自身は望みもしないものだ。なのに、身体だけが勝手に火照り、銜え込んだ清五郎を放すまいとしている。
お逸はありったけの意思と理性をかき集め、清五郎に訴えた。
「もう、止めて」
清五郎の唇が笑みの形をかたどる。
「私はまだ終わりそうにないのだが。私を早く終わらせたいのなら、もっときつく絞めて腰を振れ。そして、その唇で言いなさい。〝私は淫乱な女です〟と」
「―」
お逸の眼に涙が溢れた。
そんな言葉を口にしろと言うのか、この男は。
「お前は淫らな女だ、お逸。これだけの痴態、狂態を私の前で晒しながら、今更何を躊躇うことがある」
それでもお逸が頑なに口を引き結んでいると、清五郎は更に容赦なくグッと奥深くを突いてきた。
「ああっ」
望まない過ぎた快楽をまたしても与えられ、お逸は喘ぎ、身を悶えさせる。
「さあ、言ってごらん、佳乃(かの)、〝私は淫乱な女です〟と」
清五郎は唆すように言いながら、眼を眇めた。お逸が褥の上で身悶える様を暗い愉悦を宿した眼で眺めるのが愉しくてならないといった様子だ。
もう、嫌だ。こんな苦しい想いは二度としたくない。
「佳乃、さあ、言ってごらん。私がちゃんと聞いていてあげるから」
むしろ、優しささえ含んだ声音で促され、お逸は熱と涙で潤んだ瞳を男に向けた。
「佳乃―?」
ああ、というように清五郎が笑顔を見せた。
優しげに見えるが、けして眼は笑ってはいない。
「自分の名前を忘れたのかい? いけない妓だね。お前はこの見世の娼妓、佳乃じゃないか」
佳乃―、そんな名前、聞いたことがない。
―私は、そんな名前じゃない。おとっつぁんが付けてくれたお逸という、ちゃんとした名前がある。
お逸は絶望的な想いで、優しげな笑みを浮かべる男を見つめた。
「さあ、佳乃や」
刹那、何もかもがどうでもよくなった。自分をどうしてここまで嬲り、いたぶろうとするのか理解できないこの男も、忘れようとしてもけして忘れ得ない恋しい男の存在も。すべてがどうでも良い、取るに足りないことのように思えて、お逸は半ば自棄になった。
「私は淫乱な女―」
そこまで呟き、お逸は最早、唇を動かす気力も失い、黙り込む。
身体は相も変わらず高熱を発したように火照っていた。
―苦しい、誰か、お願いだから、ここから私を助けて出して。
くったりと力を失ったお逸の身体を清五郎はなおも上から下からと烈しく揺さぶる。お逸の身体もまたその意思とは裏腹に、男から与えられる快楽を貪欲に貪り続けた。
ほどなく清五郎が小さな声を上げ、お逸に覆い被さってきた。お逸の中で雄々しい力強さを誇っていた清五郎が急速に力を失ってゆく。
お逸はすべてを吸い取り貪り尽くそうというように、これでもかというわんばかりに清五郎を締め付ける。男を銜え込み、狭まったお逸の中のあちこちで快感が消えやらぬ残り火のように弾けた。
―真吉さん。
虚ろなまなこで宙を見つめるお逸は、心の中で愛しい男の名を呼んだ。それは、一度は別離を覚悟したはずの男の名前だった。
その翌日の昼下がり。
作品名:天つみ空に・其の八~恋月夜~【最終章】 作家名:東 めぐみ