仙境綴(せんきょうつづり)1~砂漠の花~
親しげに話しかける隊長を初め、いずれも良人よりは年若い者たちばかりの一団ではあり、中にはまだ少年と呼んで差し支えないであろう歳の男も混じっていた。だが、若さなど微塵も感じさせない不遜さ―というよりは得体の知れなさが彼らにはあった。それは、不気味なほどの存在感を伴い、良人を威圧してくるかのようである。
「それにしても、お連れの女性はかなりお疲れのご様子とお見受けするが」
隊長が言うと、良人は無表情のまま応えた。
「妻は生まれつき身体が弱いのです」
隊商の中ではいちばん年かさらしい隊長は、〝なるほど〟というように相槌を打つ。
「か弱い女性に砂漠の旅は相当にこたえるもの。しかも、お身体が弱いとあっては、道中さぞ難儀をしておいででしょうな」
隊長は無遠慮に妻の方を見つめた。
その視線に値踏みするようなものを感じ取り、良人はさりげなく座る位置を変え妻を庇うように更に後ろへと隠した。
その時、一陣の風が砂漠を吹き抜けた。乾いた風はリーラの樹の梢を揺らし、緑濃き葉がさわさわ音を立てて揺れる。と、ふいに隊商(キャラバン)の隊長が頭上を振り仰いだ。
「ホウ、これは珍しい、リーラの花が咲いている」
五十年に一度花開くという砂漠の花、リーラが夜陰に白い花をくっきりと現していた。大輪の白き百合にも似て、風に乗って得も言われぬ芳香が鼻腔をくすぐる。
砂漠を越えた向こうにある東方の国超(ちょう)では「幻の花」といわれ、その葉は不老不死の妙薬として珍重されていると聞く。超の何代か前の皇帝は、わざわざ家臣に命じて、このリーラの葉を取りにやらせたというが、結局、使者は命を果たすことは叶わなかった。
彼は死の砂漠へと足を踏み入れた挙げ句、運つたなく力尽きて倒れ、亡くなってしまったのだ。リーラの樹は砂漠に生きる民にとっては、それほどに珍しいものではなく、水辺ならむしろよく見かける樹だ。
隊長の声に、良人もハッとリーラの樹を見上げた。
たった一つだけだが、確かに、たおやかで清楚な花が咲いていた。その時、燃え盛る炎が良人の姿を夜陰に浮かび上がらせた。
良人は砂漠を越えた大国超の人間だとひと目で判った。肌こそ砂漠の灼熱の太陽に灼かれて小麦色になっているが、紛れもなく黄色人種特有のものであり、幾億の夜を集めたような髪、瞳の色をしている。
その点、眼の色、髪の色は隊商の男たちと似ているが、良人が超の人間であるのに対して、彼らは明らかに褐色の肌をしており、砂漠に生きる(南方系)民族、揚国の民であることが窺える。
良人はいで立ちこそ長衣に長い被りもの、頭には輪を填めていて砂漠の民の伝統的な民族衣装であったけれど、明らかに隊商(キャラバン)の男たちとは人種を異にしていた。
と、隊長が愕きに眼を瞠った。その視線が良人の背後に吸い寄せられる。風にウェールをさらわれた妻は瞬時のことについ油断してしまったらしい。あまりに世間知らずであり、稚(おさな)くもあったのが災いしたのか、彼女もまた、「幻の花」と謳われるリーラの花に見とれていた。今、幼い妻は無防備に隊商の男たちにその姿をさらしていた。
夜は深く、藍を溶き流した空には白銀に輝く三日月が浮かび、幾千もの星々が瞬いている。
透明な月明かりに照らし出された妻は想像以上に幼く、まだ十四、五歳に見えた。
だが、男たちの視線を釘付けにしたのは、妻の若さではなく、そのあまりの美しさであった。
五十年に一度しか咲かぬというリーラの花のように、その肌はなめらかに白く光沢を帯び、澄んだ瞳は月の光を宿したように冴え冴えときらめく。そして、中でも男たちの眼を引いたのは、少女の瞳と髪の色であった。
月光を集めたような黄金色にきらめく丈なす長い髪、オアシスの澄んだ蒼き水を凝らせたかのような深く蒼い瞳―、夜陰にひっそりと開くリーラの花が人の形を取ったならば、このように清らかな美しさに輝く少女になるのではと思うほどである。少女は明らかに良人と国を同じくする人間ではない。その眼、髪、肌の色はまさしく北方系民族の国羅人のものだ。羅は白色人種の国である。
「梨羅(リラ)!」
良人が叫ぶと、少女はハッとしたように我に返った。良人が慌ててウェールで少女の頭をすっぽりと覆う。梨羅というのは少女の名前であろうか、リーラの花は彼(か)の国超では梨羅と音訳され、その名を宝寿草と呼ばれているという。
いかなる経緯で少女が超の国の人間である良人と結ばれたかは判らないが、いかにも高貴な生まれ育ちらしい上品さを身につけた少女と良人の取り合わせはやはり夫婦というには不自然すぎた。
隊長が炎を囲むように蹲る男たちにそっと眼配せしたのを、良人は見逃さなかった。
しかし、良人が動くよりも、男たちの動きの方がわずかに早かった。しかも、いくら武芸に秀でた良人とはいえ、多勢に無勢である。勝敗は端(はな)から明白であった。
突如として、良人は男たちに押さえつけられた。後ろ手に両手を荒縄できつく縛り上げられ、両脚もやはり同じように縛められ、一切の身動きを封じられた。仕上げに腰に回された縄でリーラの樹に固定された良人の前に、屈強そうな男に抱きかかえられた妻が無造作に放り投げられた。
少女は泣き叫んで、抗っていた。
「お前たち、一体、何をするつもりだ?」
良人の悲痛な叫び声が空しく砂漠の夜に消えてゆく。
突然、隊長が力を込めて、若い妻の胸許を掴む。ふいを突かれて、少女が一瞬、抵抗を止めたのを良いことに、男は力任せに少女の服の前を引き裂いた。
衣(きぬ)の裂ける音が聞こえ、少女の白い胸が露わになった。
夜目にも白いすべらかな肌は、しっとりと光沢を帯びたように艶(つや)やかだ。
それまでいかにも人の好さそうな笑顔を絶やさなかった隊長の表情がまるで別人のように変わっていた。頬の赤く引きつれたような疵痕が彼の危うい雰囲気を余計に増している。全身から磨き抜かれた刀剣のごとき殺気を発散させているその姿は、到底、ただの隊商(キャラバン)の商人とは思えない。
「―盗賊か」
リーラの樹に繋がれた良人が呟いた。国から国へと渡り歩く盗賊団の一味は死の砂漠をも怖れず、何ものともせず自在に行き来する。「砂漠の鷹」と呼ばれる大盗賊団の一味の首領の存在を良人も以前、耳にしたことがあった。そして、彼(か)の男は右頬に鋭い疵痕を持っているのだとも。
しかし、まさか、自分たちが広い砂漠のオアシスで偶然、一緒になったのが「砂漠の鷹」だとは流石に思いもしなかったのだ。迂闊であった―と、良人は今更になって悔しさに唇を固く噛みしめた。
右頬に鋭い疵痕をとどめる男はニヤリと嫌な笑みを刻んだ。
他の数人の男もやはり似たような、下卑た卑猥な笑みを浮かべている。
彼らのあからさまな視線が一人の少女の白い胸許を凝視している。それは、なめ回すようにねっとりとした視線であった。
と、唐突に疵痕のある隊長が呟いた。
愕いたことに、少女の胸は平坦で、女性特有の膨らみを持たなかった。
「―男、か」
嘲笑めいた笑いが一瞬よぎり、また、冷笑を浮かべた。それは先刻、服を引き裂いたときに見せたものよりも更に酷薄な笑いだった。
作品名:仙境綴(せんきょうつづり)1~砂漠の花~ 作家名:東 めぐみ