幕末・紀州藩下級武士の妻 升屋のをちえ一代記
をちえの予言は当たっていた。水野忠邦は、江戸最寄地、新潟、大坂城最寄地の上知令や譜代大名・旗本の飛地の整理、転封などで国防対策や財政再建を図ろうとしたが、町人や農民などの反対や一揆で頓挫する。天保十四年(1843)に発布された上知令はその同じ年に将軍家慶の名で撤回され、水野は老中を罷免された。だが他の改革は継続され大坂の商人や豪農から徴収する御用金令が出されている。その一方で、札差の旗本御家人に対する公金貸付の半高破棄、半高年賦償還を布令している。このために多くの札差が廃業に追い込まれた。枡屋の係累にも廃業した札差が居る。
和歌山でも、農民の騒ぎが起きているし、商人も落ち着かない様子である。夜逃げした者も居るし、加太や友が島などの海防工事に狩り出される壮丁も居る。天保の改革は幕府が国防のためのカネを造り出すためで、そのツケが農民や町人に廻されたのである。各藩もそのために翻弄されている。貞輔はその最中に屋敷奉行を仰せ付かったのである。御城の書役・右筆の家系に育った貞輔には肩の荷の重い御勤めである。をちえはその貞輔を励ますように枡屋から届けられる化粧料を貞輔の入費に使わせている。その枡屋が代替わりすることになった。ある晩、をちえは貞輔に話しかけた。
「枡屋も父が隠居し兄の冶信が跡目相続すると言って来ましたえ。お前様も先年、屋敷奉行になられてからは、気苦労の多いことばかりじゃ。御家老の安藤飛騨守様が藩政の実権を握っていなさる。安藤様の江戸上屋敷に出入りする兄が多額の借財を申し込まれたとか。
困ったご時勢になったものじゃのし」
をちえは、紀州藩の江戸屋敷の内情を兄・冶信から便りで知らせて来ていたので不安になっている。先年、貞輔は屋敷奉行を仰せ付けられているので、藩の造営に詳しいはずである。この先、藩はどのようになるのか知りたかった。枡屋一族にもかかわることである。この問いかけに、貞輔は、
「心配せずともいい。藩政はゆるぎない。御家老安藤様を信頼申し上げて吾等はお勤めするばかりよ。大殿の冶宝様もご当主の斎順様を後見なさっていることであるし、御政道に誤りは生じないものと信じている」
と、如何にも実直な返答をしている。をちえにはそれが却って不安である。この人をこのままにして置いては時代に置き去りにされるとをちえは感じている。
をちえがそんな思いを抱いて落ち着かないで居る仲秋の日に、枡屋冶信が何の前触れもなしに突然、貞輔の屋敷に現われた。をちえが吃驚すると、
「京,大坂に廻ってきたので、足を延ばしてきた。前触れもなしに相済まないことだが、急にをちえに会いたくなったので罷り越した。宿はぶらくり町にとってある」
冶信が懐かしそうにをちえを見る。側から番頭の番助が手土産を差し出した。
「番助さん、ご苦労です。さぞお疲れでしょう」
と、をちえがねぎらう。番助はをちえが幼い頃から枡屋に仕えているので、をちえにとってはおじさんのような存在である。
「お二人とも、うえに上がって休んで使わせ」
と、二人を座敷に招き入れる。下女のきわが荷物を運ぶ。冶信は座敷に座ってお茶一服をすすった後に、仏間に案内させて故小兵衛とその妻・さやかの位牌に深々と頭を下げて礼拝する。
「お舅さんも姑さんも、仲の良い方で晩年には庭弄り等ご一緒になさってましたのし。舅さんが亡くなって八年後に姑さんが貞輔さんの手を握りながら静かに眠られましたのし。今年は舅さんの十七回忌、姑さんは昨年七回忌でした。その節は、枡屋からはたくさんの御供えを戴きまして有難いことでした。改めて御礼申します」
をちえは丁寧に礼を言った。今年は嫁して二十五年になる。
「をちえは武家の嫁らしくなった。紀州の言葉も身についたようじゃな」
と、兄の冶信は感心している。
「貞輔さんの留守に来て上がり込むとは、武家には無礼なことを謝らねばならんが、火急の用が出来たのでやむを得ず訪ねてきたのじゃ。貞輔さんが帰ってこられるまで待たせてもらいたいが、いいかのう」
冶信はをちえに会いたくなったので紀州まで足を延ばしたという前言を半ば覆すように、本心を覗かせた。をちえは目で嗤っている。父・治平だったらこのような来方はしないと、兄の軽率さを心では詰っていた。事前に周到な連絡をして相手方にも心の準備や対応の用意をする時間を与えるのが父のやり方だったと治平のやり方を思い出していた。
「あるじ貞輔は定刻に帰着してまいりましょうから暫時お待ちください。兄じゃの用向きは何事か存じませんが、枡屋にかかわることならば、ゆるゆるとお話しなさってください。私も同席させて戴きましょう。私にもかかわりのあることですからね」
をちえは、先般この兄から届いた手紙のことが気にかかっていた。
兄が今日やって来た用向きは見当がついているようである。冶信はそれには答えなかったが頷くような素振りをしている。
貞輔が城を下がって帰宅したのはその四半時後である。いつものようにをちえが出迎えたが、冶信が来ていると告げられて一瞬驚いた。この日お城では枡屋との取引をめぐって議論があったばかりである。それで貞輔は困惑することを抱えて帰ってきたので冶信の来訪に当惑を隠せない。
二
この日は、紀州藩の海防工事や軍役人夫を枡屋に請負わせる条件がお城で持ち上がったのである。枡屋贔屓の付家老・安藤直裕様が藩主・斎順様から枡屋に御下命くださるよう進言されたのがことの始まりであった。これを聞き及ばれた付家老・水野忠央様が異議を挟まれ評定は二派の対立に発展したのである。安藤、水野両家は共に付家老の家柄で、安藤家は田邊藩主、水野家は新宮藩主である。両雄の確執は藩政を混乱に陥れる。
両者の勝敗を決めるのは大殿冶宝様との距離であると噂されていた。藩主・斎順様は御三卿清水家からの養子で室・豊姫は冶宝様の四女である。藩の実権は冶宝様が握られている。水野忠央様は幕閣と組んで藩に圧力を掛けている。藩主・斎順様が実は将軍・家斎様の六男であるから水野忠央様は将軍・家斎様に取り入っているようであった。
「冶信さんの言われるようだと、水野様からの条件が厳しくなるは必定。他の出入り商人との競争入札に持ち込まれると厄介なことであるが、さりとて私にそれを止める力はない。いかがしたものかのう」
貞輔は気弱である。枡屋のために力になるには身分も力量も低いということか。をちえはハラハラしながら兄・冶信の顔を窺がっている。冶信がどう応えるか心配だった。
「冶宝様になんとしても押し切ってもらいたい。西浜御殿に伺候できる段取りをつけてもらえまいか」
冶信がこう切り出すと、をちえの目が輝いた。兄は絡めてから迫ろうとしていると咄嗟に感じたのである。冶宝様は稀に見る文芸の理解者で自ら書画を描き、表千家の茶道に精通されている。西山御殿には窯を築いて陶芸を楽しんでおられる。
「兄じゃは、良いことに気付いたものよのし、大殿様に献上する品を用意なさるがいい。大殿様とお会いできる機会をつくることが先決じゃが、脇の話故、わたしがやってみよう。兄じゃがお会いするのかのし」
をちえは俄然積極的になった。
「段取りをつけてもらえればそうしようと思う」
作品名:幕末・紀州藩下級武士の妻 升屋のをちえ一代記 作家名:佐武寛