こわっぱ・竜太
半助は腹を決めているようだった。そばにいる竜太にもその雰囲気が伝わってくる。これから先どうなるのか竜太には見当のつかないことだが世の中がひっくり返るような大騒動になっていることはわかる。権左衛門の旦那やみね姐さんに早くこの京のことを伝えねばと竜太は俄かに気が急いている。
「熊川宿にも官軍が押し寄せて来るなら問屋場はどうなるんかね」
竜太はそれが心配で半助の顔を見る。
「権左衛門さんの出方次第だわな。幕軍に味方すれば焼き払われようし、殺されるだろうな」
「そりゃ大変だ。権左衛門の旦那に知らさなきゃ」
竜太は浮き足立っている。
七
この頃、若狭の小浜藩では藩主・酒井忠氏が幕府方で鳥羽伏見の戦いに参戦し淀川の左岸橋本に布陣したが敗退した。忠氏らは分領地の摂津天王に潜んでいたところを官軍の山陰道鎮撫軍に取れえられ恭順し、以後は官軍として戦う。だが藩士の中にはこれに不満を持って後に彰義隊に参加する者も居た。
権左衛門たち問屋場の者はそうした詳しい事情はもちろん知る由も無いが、鳥羽伏見の戦いで幕府方が負けたことは伝わっていて、宿場は不安に包まれている。藩の侍たちがいつ逃げ帰ってくるのかという噂で持ちきっていた。
「小浜の殿様は代々、京都所司代をお勤めになっていなさるから、幕府方であるのは当然だが、12代の忠義さまは、和宮のご降嫁を斡旋なさるなど公武合体の推進者だったから井伊大老などの強固派にはにらまれていなさったので、朝廷との融和に成功して禄高を加増されていなすったが、それを召し上げられた上に所司代職を罷免されなすった。今の殿様はご養子で忠氏さまとおっしゃるが、鳥羽伏見の戦では負けなさった。藩主の職は忠義さまが再びお勤めになるともっぱらの噂だ。これはこの藩が官軍に忠誠を尽すあかしじゃないかね。忠義さまは朝廷にも薩長にも人脈をお持ちだからのう」
権左衛門は重い気分でみねに話していた。場所はみねのために権左衛門が建てた居宅で、少女二人を住まわせてみねの身の回りの世話をさせている。母親のとよにも同居するように言ったがとよは住み慣れたところがいいといって移って来なかった。
「竜太はなぜ戻ってこないのですか」
みねは竜太が京から戻って来ないのは、戦に巻き込まれて難渋しているのではないかと想像しているのだが、権左衛門さんには京からの知らせが届いているはずだと思ってそれを確かめたかった。権左衛門はみねの問いかけに直ぐには答えてくれなかったが、思案がまとまったのか、みねを近くに手招きして低い声で話し出した。
「竜太は京の俵屋半助に預けてある。半助は任侠の手下だったが京に上って商人になっている。半助の知らせでは官軍方につかねばこれからの商売は成り立たんそうだ。この宿場にも官軍が攻めてこよう。この藩は幕府方じゃからわれ等も官軍と戦わねばならんだろうが、藩の意見は割れてるそうじゃ。わしは幕府方に見せかけて踏ん張るが、みねは半助の元に走れ。半助を助けるのじゃ」
権左衛門はそれから京でのみねの役割について説明した。京に上れば半助の養女になって身許を立て、官軍方のしかるべき屋敷に奉公勤めに出よ。その屋敷は半助が決めてくれる。そんなに長い期間ではない。官軍御用達の許可を取るまでのことよ。こちらではこれまでどおり幕府方の御用を勤める。この藩は代々、京都所司代をお勤めになったお家柄だから幕府と朝廷にともに人脈がある。それを利用するのが上策であろうよ。そのためには官軍にも幕軍にも恩義を売らねばならぬ。軍資金や物資の調達で一肌脱ごうということだ。権左衛門がみねに話したことは凡そこのようなものであった。
八
竜太はこの頃、戦いに敗れた幕府方の侍や兵士に町人になって働くように勧めている。
「官軍に雇われるより町人になりなはれ、藩に逃げ帰っても藩もながもちはせんというですよ。これからは町人の世の中になるとうちの旦那が言ってます。四条大橋のたもとにある俵屋に来ていただければ旦那の半助がお待ちしてます」
幕府方は各藩がバラバラに戦をしたのが致命傷だった。各藩の内部でも恭順派と交戦派が身分の上下を越えて争っていた。その様子を半助はよく探知している。薩長軍と戦うと思って出陣してきた藩兵が官軍と戦う朝敵になったことが幕府方の混乱を引き起こした。その上、老中を藩主とする淀藩までが敗走してきた幕軍の淀城入城を拒んだので戦局は幕軍の敗北を決定的なものにしたのである。半助は幕府軍の敗北をその目で見た。そこで半助がした思案は敗北した藩兵に町人として生きる道を与えることだった。
「権左衛門には世話になって居る。この京屋敷の賄いもしてもらって大層に助かっておるのじゃ。おぬしに京での仕事を請け負わせてやって欲しいという依頼が来て居るので、相談じゃが、公卿家を助けてやってくれぬか。官軍方の商いの世話もしよう。新撰組の連中は江戸に逃げ帰ったから危険も少なかろう」
二条城の南隣りにある小浜藩邸の奥まった座敷に半助が招かれていた。庭の植え込みの松と襖絵の松が連なっている。陶器の火鉢を横に据えて時々、手をあぶりながら忠義候が話していた。半助は大きな身体を無理やり小さくしている。
「おぬしは、幕軍の藩兵たちに脱藩を勧めて居ると聞こえておる。殖産興業とかが目的だというではないか。ならば、勝ち戦さに乗らねばならぬ。新政府と気脈をつうぜねば何事も出来ぬ世の中になるは必定、そのためには今、恩義を売ってくのじゃ。その道筋はわたしが立てよう。これは小浜藩のためにもなること、引き受けてくれような。さしずめ五百両を用立てて貰いたい」
忠義候は有無を言わせない力をこめて言い放ち半助の返答を待つ。その姿勢はすでに藩主の威風を示している。
「確かに承りました」
半助は恭しく答えて平伏した。
「就きましては、お願いがございます。別室に控えさせております、みねなるわたしの養女をお使い回しいただきたく存じますれば、是非、ご引見賜りますように懇願申し上げます」
半助は真剣な面持ちで願い出ている。忠義候は軽く頷いた。半助は早々に引き下がり、みねを伴って再び伺候する。半助は権左衛門から命じられていたみねの奉職先に京の小浜藩邸を選び、忠義候の膝元に差し出したのである。そのとき、半助は、「みねをいかように扱われようとも異議は申し上げませぬ」と申し出ている。同座をゆるされていたみねもそのとき、深々と頭を下げて同意の意思を示した。
半助がこの申し出でをしたのは、みねが芸妓・友月だったときに出会った公卿・為家卿からの勧めによるものだった。この頃、公卿達の間には薩長嫌いが広まっていて、忠義候を押し立て、朝廷の威光を示そうという動きがあった。