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こわっぱ・竜太

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「旦那さんが、伏見奉行所に連絡してなさるので、そちらに泊めてもらう」と、竜太が言うと、と「そうかえ」と女は短く応えた。「旦那さんは何してなさる」と、男が尋ねる。
「問屋場の主だが関所役人もなさっとる」と、竜太が胸を張って応えた。
「幕府方だな。京へ入ったらそれは口にするな。若狭の行商人だというがいいよ。問屋場のことなど話すな。熊川宿から来たと言ったな。あそこには、知り合いのとよと言う婆さんがおるで、おらたちは其処に行くつもりだ」と、男が言った。これには竜太が驚いた。
「今、とよと言ったな。俺はしっとる。みねさんのおっかあだ。みねさんが俺を雇うように旦那に頼んでくれたんだ」
 これには男が吃驚したようだ。女と顔を見合わせる。
「みねさんをしとってか。ながらくあっていないが、いいむすめっこになっとってじゃろう。わたしは、りょうと言うんだよ」
「おいらは、茂吉だ。在所にしばらく居てから、様子を見て熊川宿にむかうつもりだ。もともとはあちらの出なんだ」
 竜太は不思議なことがあるもんだと目を丸くしている。茂吉もりょうも、不思議なことよと言いながら話し込んで来た。熊川宿のことをあれこれ聞き出そうとしている。竜太は自分の身の上から問屋場のこと、権左衛門とみねのことなどを一気に喋った。茂吉とりょうは、京の街の様子を仔細に伝える。先を急がなければもっと話し合っていただろうが、お互いに早く目的地に着かねば日が落ちて難渋するというのでしぶしぶ別れることになった。
 竜太は茂吉とりょうから京の街の通り方を教えてもらったおかげで道に迷わないで四条鴨川べりに着くが、其処で見た光景は侍や兵隊が入り混じって動いているなんとも奇妙なものだった。その合間を縫うように町人姿の男女が動いている。店屋は戸を閉ざしているのが多い。町屋は表の引き戸に鍵をかけている。竜太は北白川の近くで荷駄を解き荷車を民家に預けてから背負籠姿になっていたので、この雑踏を通行人に混じって歩くことが出来た。これは茂吉が授けた知恵だった。
 街に入った竜太は、かねてから取引のある京の商人に案内してもらって薩摩や長州の屋敷に荷を届ける。この商家の主は権左衛門之昔の配下だったから竜太が差し出した権衛門の書状を読んで竜太を受け入れてくれたのである。この主人・俵屋半助のおかげで竜太は会津や紀州の屋敷にも入ることが出来た。
「権左衛門さんも、おぬしのようなこわっぱを寄越すとは、よくよく考えなすったものだ。京は不穏だから、なまじ身分の解りそうな者だと薩長からも幕府方からも怪しまれるやもしれんでね。委細は承知したから出来るだけの調べをして伝えよう。おぬしは無理をせずに町家の女どもから話を集めるがいい。男にはわからぬことも教えてくれよう」
と、俵屋の主人・半助は竜太に諭すように言っている。権左衛門の指図でやってきたこの小童は必死で状況を調べようとするだろうが、それが命取りになるやもしれぬと半助はあやうんでいたのである。時は慶応三年の暮れで、鴨の川原は勤皇佐幕入り乱れた抗争の舞台となっていた。町人がその争いにいつ巻き込まれるか解らない。竜太のように土地勘の無い者はなおさら危険である。其れを実感できていない竜太は珍しいものを見たがるようにはやっていた。半助は其れを見て、「田舎者にはかなわぬ、ましてこわっぱだ」と苦笑していた。

                 六
 この年の十二月九日には将軍徳川慶喜が大政奉還を朝廷に申し出たというので街は騒然としていた。師走は迎春の支度に取り掛かるために商売も盛んで街に活気があるのだが、落ち着かない雰囲気が漂っていて人の顔にも不安が見える。それでも、戦は侍同士の争いで町人には関係ないと見物を決め込んでいる者も居た。
 竜太も伏見まで足を伸ばし薩摩藩邸にも伏見奉行所にも立ち寄って荷をさばいていた。事情を知った者であれば躊躇したであろうが、竜太は無頓着というか大胆というか、権左衛門に言いつけられたことを果たしたいという一念だけで行動していた。このとき竜太は、先に訪ねた伏見奉行所で新撰組の浪士に貰った「おせきもち」を頬張っていた。それですっかり幕府方になっていた。
 だが、竜太の心を裂くような事件が翌年一月三日に起きた。上鳥羽の小枝橋付近で薩摩軍が京に向かって北上する幕府軍に砲火を浴びせたのがきっかけで戦乱になった。その翌日には薩長軍が錦の御旗を翻して進軍したので幕府軍は戦意を失い敗走した。このとき、竜太は四条の俵屋半助の許に投宿している。
「仁和寺宮嘉彰親王さんが征討大総督になりはったそうやないか、錦の御旗まで翻ったんじゃあ幕府軍の負けは決まったようなものですな。我々あきんどもかんがえを決めなあかんどすなあ」
 半助はあきんど仲間と店の間で話し合っていた。聞き手は会津藩出入りの幕府贔屓の男だった。このあきんどは幕府方が反撃すると期待していた。だが、公方様が大阪城から江戸に船で脱出したという噂が流れて落胆している。
「これからは征討軍が朝敵を追う戦になりますやろから京は静かになるどっしゃろ。新撰組も江戸へ逃げたようですから暗殺ごっこも終わりどすな」
 半助は幕府方を見捨てていた。あきんどはそろばん勘定が高い。竜太は京へ来てからすっかり驚いているのは、熊川宿の問屋場の人たちとは違った柔軟なものの見方や機敏な行動力だった。その根っこにあるのは世の中の先を見通す力が鋭くて自分の判断をもっているからではないかと竜太は思う。それを竜太が半助に話すと、
「京には諸国から人があつまって、勤皇だ佐幕だと意見の違う連中が戦っているから世の中の動きを自分も目で確かめることも出来る。これが江戸とはおおきな違いだよ。ましておまえさんの居る熊川宿では世の動きは何も見えんだろう。だが荷の動きで多少のことはわかるかも知れん。権左衛門さんにはそのことをお伝えするがいい。あきんどの勘をを働かせて世の中を読み取るんだ」
 半助は竜太に秘伝を授けようとしている。あきんどは理屈よりも現実を見て動くんだという半助の言葉にはそれなりの真実があるが、理想を持ってないわけではない。あきんどの住みやすい世の中になってほしいという願望がある。その視点から政体が変わることに期待している。
「官軍贔屓の町人が増えるどっしゃろ。幕軍は何かにつけて見劣りするばかりどす。古いものにしがみついている間に世の中が先に変わったのでっしゃろ。公方さんが舟で江戸に逃げはったというやおまへんか。幕府もおしまいどっせ」
 半助の話し相手の男は頷いているが、まだ幕軍に未練を残しているような表情だった。
「幕府方の諸藩のお侍さんもこのままではすましはれへんのとちがいますか」
「大山崎をまもっとってやった津藩が裏切りはったので幕府方は総崩れになって大坂に逃げはったそうどっしゃろ。譜代大名で老中をお勤めの淀藩主・稲葉さまは淀城への幕郡の入城を拒否されたというじゃおまへんか。錦の御旗が効いたのでっしゃろな。これでは幕軍はおしまいどすな」
作品名:こわっぱ・竜太 作家名:佐武寛