こわっぱ・竜太
「竜太といったね、権左衛門さんに会わせてあげるから、しっかりあいさつするんだよ。甚助さんに代わって問屋場出入りの鑑札をくださるようにお願いするんだね。わたしが身元引受人になってあげる」
みねがかばうように言うと、竜太は大きく頷いた。その顔には緊張が見えたが、みねが優しく肩に手を当ててやると和らいで来た。みねは権左衛門が居る役所の部屋に竜太を連れてゆくべく案内を下役の男に頼む。その男は竜太を見て怪訝な顔をしていたが、みねが問屋場に荷物を届けに来たこわっぱだと告げると納得したようだった。この下役は権左衛門に仕えているが身分は藩の下士である。
「宿役人の都合を聞いてくる」と、ぶっきらぼうに言って先に消えた。みねはその背中を見送りながら、ふっと息を吐く。これはみねが何かしようと思って緊張したときに出る癖である。なんとしても竜太を救ってやりたいという気持がみねに沸いていたのである。それは、甚助の恩義に報いるという気持からでもあったが、竜太が商売を続けられるようにしてやら無いと親子ともに飯が食えなくなるという心配が先走っていた。
二人が待っていると下役が戻ってきて、権左衛門が会ってくれるから直ぐに行けと言った。権左衛門の部屋に二人がはいると、表面を鉋で削っただけの分厚い板張りの机を前にして権左衛門が大きな木の椅子に掛けていたが、みねが目に入ると、立ち上がって出迎えるように歩いてきた。
「こわっぱのために頼みごとがあるそうだが」
権左衛門は、みねに声をかけながら、竜太を見下ろしている。襤褸切れを纏ったような粗末な着衣姿の竜太は、仁王のような権左衛門に怯えていた。
「其処の床几を出して座れ、ゆっくり話を聞こう」
権左衛門はそう言うと、自分も席に戻る。二人はその周りに床几を運んで来て掛ける。権左衛門は机の上の書類を脇にずらして机と並行の向きになって二人と向き合った。
みねは、竜太の身の上を短く話す。竜太は甚助の子で、甚助が熊に襲われて負傷し、小浜からの行商には多分、戻れないだろう。それでこの子が代わりに荷を運んできたが、行商で独り立ちするには幼すぎるから問屋場でお抱えの荷駄扱い人にしてやってくれないかと頼みこんだ。権左衛門はみねの話をだまって聞き込んでいたが、話が切れたときに、
「みねが其処まで肩入れするのはなぜなんだ」
と、鋭い目つきで尋ねた。それは権左衛門が真剣に話に乗っている証拠だった。みねは、この機会を逃さないようにその訳を話し出した。
「よく聞いてくださった。父の失踪で難渋していたときに、甚助さんがわたしら母娘に魚や野菜を問屋場に来る度に恵んでくださったんです。行商人仲間の布子を縫う仕事まで母に世話してもらったので母が泣いて喜んでいたのを覚えています。そのご恩返しをせねばと常々思っていたのですが、甚助さんが倒れたというので、竜太に仕事を見つけてやりたいと思うて、旦那にお願いにあがったんです」
みねは、話しながら権左衛門の目を見ている。どんな反応をしてくれるのか気がかりだった。みねの話が終わっとき、権左衛門は机に置いていた右手を外し、みねに差し伸べて軽く肩に触れさせながら、穏やかに言った。
「そうだったのかえ、橋の上でわしと出会う前にはいろんな苦労があったんだね。みねの恩返しをしたいという気持を買おうじゃないか。竜太と言ったな、その小僧の後見人にみねがなってやれ」
みねは、顔を紅潮させて何回も頷いた。うれし涙を拭って、
「竜太、旦那さんにお礼を言いな。問屋場で働かせてもらえるんだよ」と、竜太に促がす。そばにいる竜太は、話の筋を呑み込めないような顔で権左衛門とみねを見比べていた。
「じれったいね。お願いしますというんだよ」
と、みねがいらだっている。みねはこの機を逃したくないのだ。竜太がはっきりしないと権左衛門の気持が変わるかもしれないとみよは焦っている。
「俺が、問屋場で働けば、親父の世話は出来ネエ」
竜太が真剣な顔でみねを見上げていった。みねは返事に困ったように戸惑う。
「小浜からの通い荷駄につけてやろう。寝泊りは甚助と一緒にすれば良い」
権衛門は大きい手のひらで竜太の頭をなでながらニッコリしていた。みねは、それを見て、権衛門に合掌する。自分の気持が権左衛門に届いたことが嬉しかった。「旦那さん」と言葉を詰まらせて頭を下げる。竜太がそれに釣られたようにお辞儀した。
四
竜太が問屋場の雇いになってから六ヶ月が過ぎた。小浜と熊川宿の荷駄運びにも慣れて馬方達の評判も悪くは無い。竜太は仕事と父親の世話を幼いからだでこなしてた。その姿はひたむきで、その健気さに同情が集まっている。みねは、その様子に満足していた。この分なら自分が問屋場をやめても竜太は独り立ちできるだろうと思っている。
「みねは心を決めたか。芸妓になって働く気は無いかね、とよさんも望んでおるし、わしも期待しておるのじゃ。このご時勢では問屋場の行く末もどうなるかわからん。京都では佐幕だ倒幕と物騒な情勢だが、ここを往来するときは宿も要ろうし、慰安も求めるだろう。料亭を作ってもてなしてやれば殺気も鎮まってこのあたりを荒らしまわることもなかろう。
それには何よりも良い女が必要じゃ。寝るだけの女なら直ぐにもかき集められるが、お偉方を満足させるには京の女に負けない器量と芸が要る。みねならその役を果たしてくれると白羽の矢を発てたのじゃ。竜太のこつは、わしの子飼いにしてやるで安心するがいい」
ある日、権衛門がみねねよ呼んで決意を促がした。権左衛門の目論見を明かされて、みねは、嫌とは言えないと思った。旦那は底の深い人だと改めて感心している。時代の先を読みなさる。幕府の御用も終わりだと思っていなさるのだろうという気がした。博徒から問屋場の親方になり、宿役人をも務めてなさるほどのお方だから尋常なお人では無い。わたしたち母娘を救ってくださった恩義もある。このお方の言われるように生きてみようと、みねは心を動かしていた。しかし、自分に出来る仕事だろうかという心配が先に立っている。みねが返事をためらっていると、権左衛門が話を続けた。
「とよさんも賛成なんだよ。そのことは聞いているだろう。みねがふんぎって呉れれば、師匠を京から呼んで仕込んでもらおう。この仕事は、この宿場を戦乱から救うために考えたことだ。京を発った官軍はこのあたりで休憩しようし、遁れてくる幕軍や浪士どもも此処で一息いれよう。幸いこの宿場は若狭から魚介類が運ばれてくるし、近郷の農作物も豊富じゃからもてなしにふじゅうは無い。料亭で十分にくつろいでもらって四方山の話を聞くのよ。その役をみねにやってもらおうと思っている。これからの世の中がどう動くか知っておかねばならぬからのう」
みねは、権左衛門の本心を知って思わず固唾を呑んだ。母親のとよが、単にみねの稼ぎが増えるからといって薦めたは、知らぬが仏のようなものだったのだ。わたしも母の言葉を信じていたが、女とはなんと浅はかなものよと、みねは気付かされた思いだった。権衛門さんは考えの深いお人だと改めて感じる。
「耳役ですか?」