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卍の謎

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 泰子は彩夏のあとを追った。彩夏は赤いランドセルの背を揺らしながら懸命に走る。二人が家にたどり着いたのは午後の三時過ぎで、店では夕方の開店を控えてヤスケと茜が食材の仕込みをしていた。彩夏が一目散に駆け込んできたので二人はその姿に驚く。その直ぐあとから泰子が戻ってくる。いつもなら、彩夏は、「ただいまあ」と、元気な声を上げるのに、この日は黙ったまま部屋に駆け込んだ。
「彩夏、どうしたの」
 茜が驚いて彩夏の背に声を掛けるが、彩夏は振り向きもしないで部屋に駆け上がっていった。サスケも支度の手を休めて彩夏を目で追っている。
「お母さん、何があったの」
 帰ってきたまま、店の土間に立ちすくんでいる泰子に茜が尋ねる。泰子の表情がこわばっているので、「何かあった」と茜は目を凝らしていた。
「顔色が悪いですよ、彩夏が無理を言ったのですか」
 ヤスケが心配して尋ねる。泰子はそれには答えないで、「水をくださらない」と、やっと声を出した。その様子がただならない。顔は蒼白になっている。茜がレモンを浮かせた水コップを手渡すと、泰子は、「ありがとう」と、低い声で言って、コップを口に当てた。その手はかすかに震えている。
「お母さん、しばらく休まれたらどうですか。寝床を敷きますから」
 茜は何も聞き出そうとしなかった。尋ねてみても何も話してくれないことがはっきりわかっている。休ませるのが一番良いと茜は判断した。
「彩夏ちゃんをお願いします」
 泰子は彩夏を気遣って一言いうと、自分から居室に向かった。
「大丈夫ですか」
 サクケが泰子を支えに出てくる。茜は彩夏の部屋に急いで向かう。「彩夏、彩夏」と呼びかける声が茜の狼狽を伝えていた。
 この日を境に、彩夏の送り迎えは茜がすることになった。彩夏は「おばあちゃんがいい」と、泰子をかばうように言ったが、茜が、「お母さんが、おばあちゃんに交代してって頼んだのよ」と受け流した。それから数日になるある日の朝、登校途中に、二人は英子とその母親の恵子に出会った。子供同士が先に相手を見つけて双方から駆け寄る。それにつられたように親同士が挨拶を交わした。茜はこの母親とは初対面だったので、「彩夏の母です」と名乗ると、
「花子の妹さんでしょう。貴方のことは花子からよく聞いていたわ。花子があんなことになって残念ね」
と、英子の母親は初対面の挨拶もなしに、いきなりずけずけと喋りだした。これには茜があっけに取られて、ただ、相手を見詰めるだけだった。子ども二人が校門の中に入ったので、茜がこの母親と別れようとすると、
「わたし、恵子というの、花子の友だちだったのよ。しばらくどこかでお話しない?」と、誘いをかけてきた。
 茜はためらったが、恵子が、「お話したいことあるのよ」と、茜の腕をつかんだので、致し方ないに承諾した。それから、二人は近くの喫茶店で小一時間話し込む。と言っても、恵子が一方的に喋るだけで茜は聞き役だった。
「確かな証拠は無かったんだけど、花子を自殺に見せかけて殺したのはお母さんの泰子さんじゃないかって、わたしの主人が話したことがあるのよ。主人はあの当時、事件を担当した警察に勤めていたの。だから色々と聞いていたらしいのよ。貴方のお父さんが殺ったというのは偽装だって意見もあったらしいのだけど、それで処理したほうが良いということになったのだって」
 恵子は茜の様子を窺がうように話している。茜は戸惑いを見せているが、聞くだけに終わっていた。
「八島刑事が居たでしょう。あの人とうちの主人は懇意なの、今でも時々会ってるんよ。あの人は、正子やサブローにも嫌疑をかけているらしいけど、うちの主人は、その線は無理だろうといっていたよ。花子の部屋に侵入した犯人はまだ捕まっていないのだって」
 恵子は話の核心に触れるような素振りだった。茜が何か反応を示すのを待っているように恵子は茜を覗き込む。それでも茜の反応がないと知ると恵子はまた喋りだした。
「花子から薬物反応が出たんだって、そのことから、泰子さんが犯人じゃないかって疑いが出たと八島さんは言っていたそうよ」
 このあとも、恵子がしゃべったことは、八島がヤスケに言ったことを茜がヤスケから聞いた内容と同じだった。茜は次第に気分が悪くなって、恵子をさえぎる。
「貴方はご自分がどんなことを言っているのか考えたことありますの。真実と違う風評を流すのは迷惑ですよ」
 茜はやっとこれだけ言って席を立った。もっと抗議したいのだけれど気が動転していて、言葉にならない。
「十年も前の事件だから気にしなくていいわよ。またね」
 恵子はしゃべるだけしゃべって、店を出る。
 この日から数日後、泰子が忽然と姿を消した。ヤスケと茜は店で働き、彩夏は友達の家に遊びに行っていた夕方のことである。茜が泰子に彩夏をむかえにいってもらおうとおもって、泰子の居室を覗くと、泰子の姿が無くて、部屋はきれいに片付けられていた。それを見て、茜は悪い予感に襲われる。部屋をみまわすと、机の上に封書が置いてあった。
 書面には、これまでの茜夫婦の世話に対するお礼がまず書かれていて、そのあとに、四国八十八箇所の巡礼の旅に出かかます、とあった。茜は便箋を手に持ちながら目を凝らすように読む。その手が震えている。読み終わると、茜はヤスケのもとへ小走りにむかった。
「あんた、お母さんが置手紙して出ていったよ。これ読んで」
 茜が叫ぶように言う声にヤスケが驚く。午後五時の開店前で店に客は居なかったから、ヤスケが仕事場から出てきた。二人が土間に立ってお互いの頭を寄せ合いながら一枚の手紙を読む。ヤスケがかすかに呻いた。茜の目から涙がこぼれる。
「何故、一言先に言ってくれなかったのかなあ」
 ヤスケがぽつりと言う。それっきり何も言わないでいるヤスケの肩は震えていた。
「開店の時間ですよ」
 茜が気分を変えるようにヤスケを促がす。ヤスケが頷く。ヤスケは正常に戻るきっかけをつかんだのだ。商売が二人を救った格好である。
「いらっしゃい」
 二人の元気な声が客を迎える。いつもの明るい表情で二人は客に接している。泰子のことは心の奥にしまいこんでしまったようだ。
 この夜、彩夏を寝かせてしまってから、茜とヤスケは、泰子のことを色々と話しあった。
茜から恵子のことを聞いたヤスケは、八島の執念が呪いのように自分たちの家族に襲い掛かり、事件のことは何も知らないわが子・彩夏まで巻き込んでゆく恐ろしさを身に感じていた。
 花子の事件がこのような形で終末を迎えるだろうとは二人とも想像もしていなかったのだ。彩夏が花子の事件にこんな形で巻き込まれるとは思いもよらないことだった。おそろしいのは、彩夏が受けたショックの大きさである。祖母の泰子に対する花子殺しの疑いが彩夏の心に住み着いてしまえば、彩夏は小さな心を痛め悩まされることになるだろう。事実、泰子が四国遍路に出かけたことを彩夏に告げると、「おばあちゃんは、なぜお遍路さんに出たの」と、彩夏が何度も茜に尋ねた。
作品名:卍の謎 作家名:佐武寛