蒼天の下
自分でも、こうなることにある程度の予想はあった。わたしが大学に足を運ばなくなったのは、補欠で入学したことに対する劣等感ではもちろんなくて、先にも書いたが、二年間続いた自宅浪人中に身についただらしない生活習慣が、ひとつも改善できなかったからだ。補欠合格という事実から来る劣等感が原因ではなかった。もしわたしが劣等感などという言葉を使ったとしたら、それは単なる怠惰を何か深遠な事情が背景としてあるかのように装うための小細工に過ぎない。
教養課程一年目の出席日数が大幅に不足しており、さらに定期試験は二回とも病欠したことなどから、むろんそのまま進級とはいかなかった。例の学務係の谷岳氏とは何度かやり取りがあった。学務係には、町医者の書いた「二週間の加療安静を要す」との診断書を、定期試験の病欠届に添付して提出あったのだが、それを受け取って照査したあとでも仮病を疑っている様子は、見ていて愉快を覚えた。むべなるかな、追試を拒否した教授がいた。
結局、翌春からも、二年目のカリキュラムは取らずに、新年度の入学生と一から繰り返す──と言ってもたいてい初めてのことばかりなのだが──ことにしたのだが、決意を新たにした二年目も状況はたいして変わらなかった。
授業はまったく興に乗れず、気晴らしに好きな数学やドイツ語に出るだけだった。金属検出や未知検体とかのチーム実習でも、白衣を着たヒトラーユーゲントみたいな連中の恰好と、そんなものを着せられて淡然としているチームメートに対する嫌悪から、唖然とする三人を残したまま途中で退室したりすることもあった。
学年では二年目に入っているので、翌年度から始まる専門課程に向けての足慣らしのつもりなのか、小規模のゼミが始まったのだが、二十ほどに小分けされた講座のどれにも興味が持てなかった。産婦人科学とか精神神経科学などは人気があったのだが、抽選の結果わたしが引いたのは、希望投票数では下から二番目の分子病態学などという地味なテーマだった。そのゼミも、命ずるままに買わされた大部の専門書の、いったい何物なのか見当もつかない写真や図説の合間に埋められた灰汁の強いセリフ文字の英文を、抽選負けして不貞腐れる四人の学生に和訳させたうえで持ち寄らせ朗読させるという、テーマよりさらに地味な内容で、担当教員と手を取り合ってお互いやめとこうじゃないかと合意できそうなほどの退屈さだった。二度目のゼミ終了後、教授の部屋を出て廊下を歩く他の三人のゼミメートもそんな感想を述べ合っていたが、無言で歩いたわたしだけが三回目以降を放擲したようだった。
このままでは放校もやむなしかと観念したわたしは、時間稼ぎのつもりで工学部への編入希望を学務係に口頭で出しておいた。それ以降は、わたしは以前にもまして出席を渋り、級友の顔名前すらお互い判然としない、幽霊学生のような身持ちの悪さをまといつつあった。
大学当局、すなわちM大学医学部学務課学務係は、それでも何も言ってこなかった。大学というところは、幽霊学生をこれほどまでの長きにわたり放置しておくものかと、なかば呆れなかば面白がっていた矢先、自宅に電話が入った。
M大学では、県立大学時代からの名残なのかは知らないが、医学部だけは、この学務係が学生課に相当する事務を執っている。声の主は若い男である。入学直後から感じているのだが、ここの事務当局はいったいに学生に対する態度が尊大で不愉快に感じていた。この職員も例にもれない。──そんなことでは君ねえ……、などと人を見下げたような口調だ。
そもそも出席日数や試験の結果が当局の定める基準に達していないだけであって、こちらとしては、だめならだめで無理を通そうとするつもりはない。違法なことをしているわけではないし、何をへりくだる事情があるものかとする頭がある。
──今のままじゃ、面倒なことになるんだよ。きちんとアクションを起こしてもらわないと、宙ぶらりんのままじゃ、こっちも迷惑なんだよ。あ、次長の谷岳と代わりますので少々お待ちを……。
若い職員はため口も敬語もチャンポンにして、途中で割り入ったらしい谷岳次長へ受話器を譲った。谷岳氏が何も言わないうちにわたしの方から切り出した。
──あー医学部医学科二年六十七番中川です。あのう前に言いました工学部への編入の話はどうなりました。
谷岳氏がそんな話をするために電話を代わらせたのでないことはわかっていた。わたしだって、本気で工学部へ替わりたいと念願したわけではない。相手にいくらかでも課題を与えることで、自分の窮地を紛らわそうとしていただけだったのだ。
──君ねえ、編入編入と言うがそう簡単にはいかないんだよ。もし希望先の学部で欠員が出ておれば、許可を得て編入させることは理屈の上では、それはあり得る。がしかし、君がまずしなければならないのは、課せられていることを全うすることじゃなかったのかな。あんまり人を食ったことを言うものじゃないよ。それで君に話なんだが……。
谷岳氏はそこで、学務係と学年担任や学部教授たちとの間でわたしの処遇について話し合いを持ったことを述べた。