小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
中川 京人
中川 京人
novelistID. 32501
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

蒼天の下

INDEX|8ページ/16ページ|

次のページ前のページ
 

 営業用のバンも、それと似たせわしない動きを見せた。音に驚いて急ブレーキをかけたかと思うと、全輪をフルロックさせ、照れ笑いが出るほど大仰なスキッド音をたてた。さらにハンドルを切ったままブレーキを緩めてタイヤロックを解除させたものだから、いきなりグリップが戻り、コントロール不全になっている。車体は狭い堤防を蛇行し続けた。四輪ロックのままの方が確実に止まるものを藤四郎が、と彼は嘲った。眼の下には、突然の雷鳴に逃げ惑う羊の滑稽さがあった。彼は、ひゃっひゃっひゃっと声を立てて笑った。これでやつらも懲りるだろう。肝心の、中年女の慌てふためく表情はよく見えず、その点は不満だった。若い男の方は、辛うじて横顔がうかがえた。前方を凝視しているようだった。あいつは何を見ているのだろうと彼は思った。
 営業車は結局、十秒足らず乱れただけで、堤防を脱輪することもなく南に去った。こともなげに再び加速を始めたらしいバンを見て、勝田は再び小さく舌打ちした。

 いきなり耳をつんざく大音声に、反射的に母は急ブレーキをかけた。タイヤから悲鳴が上がり、積荷のバットは総崩れになったが、トラックを見て減速しかけていたので、車体そのものは事なきを得た。ルームミラーが振動するほどのその音が、トラックのクラクションだとわかったのは数秒たってからだった。母はうろたえることもなく、制御が戻ってからのハンドルさばきは巧みだった。冷や汗をかいたのは、何もすることのない助手席のわたしの方だったのかも知れない。あまりに急激に緊張すると動けないものだと実感した。
 錯覚だったのだが、クラクションを聞いた途端、まさかトラックは動いていたのでは、と背筋が凍った。これで事故にでも遭っていたら話にならない。これも好事魔多しの見本なのかと思った。こうず? こうじ? 運命。塞翁が馬。前方を凝視するより詮のないわたしの目の前で、短時間にいろいろな言葉が小さく飛び交った。それまであまり経験のない圧迫感の中で、秒単位で時間は過ぎていった。人騒がせなトラックは左のフェンダーミラーの中で小さく睨んでいた。あいつら何なんだろうね、と母はつぶやいた。
 ──そう言えばお前さ、小学生のときにお医者さんの前で、ぼくも医者になるって言ったんだったね、注射針を腕に指したまま。憶えてる?
 何を考えていたのか、しばらく黙っていると思ったら、唐突に母は切り出した。そんなことがあったんだろうか。憶えているかと聞かれても、昔に母がそんな話をしたことを憶えているだけで、肝心の場面の方は浮かんでこない。ただわたしは、小さいころは自家中毒という病気で点滴を受ける機会が何度もあったし、省みるに普段でもそのような芝居がかった物言いをすることが多かったので、よくやる母の作り話とは思わなかった。おそらく母は何かの奇遇を得たつもりになり、やはりわたしは医者になる宿命だったとかなんとか、適当に都合のいい解釈をしているのだろうが、本来この人は神にも仏にも、へっと舌を出すような無神論者──そもそも無神に論など要るかい、というタイプなのだ──であって、目の前にある現物しか信じない堅物人間なのである。
 わたしたちと所定の入学料を乗せた佐織フーズ株式会社のファミリアバンは、堤防を降りてから、路地を縫って南周りに大学の周囲を四分の一周し、車内の時計で正午のきっかり五分前に南通用門の守衛室の前を通過した。目指す医学部学務課のある建物はすぐに見つけたつもりだったが、時間で見ると貴重な二分間を費消していた。正面玄関脇の路肩付近で、あそこはどう、いやそっちはまずい、などと小揉めした挙句、結局いちばん適当でなかろう場所に車を止めてしまい、御影石の階段を一段飛ばしで駆け上がって、大ぶりのガラス戸を押したのが一分前。急患を告げる看護師のように、あっちこっちと親子でころころと廊下を走り、やっと見つけた学務係と白抜きで書かれたプレートがぶら下がる、その真下のカウンターに四本の腕をついて、あのうすみません、お電話いただいた中川です、谷岳さんはいらっしゃいますか、と叫んだちょうどそのとき、駆け寄ってきた職員が谷岳と聞いて振り返る視線を受けて、いったい何事かと奥のディスプレーから銀縁のフレームを浮かせた初老の男性の、頭上にかかる電波時計の針は、再び重なろうとしていた。

 月は替わって四月上旬、花曇りを濾し取ったかのような晴天のもと、わたしは他の百名の──なぜか総員は百名ではなく百一名だった──および他学部の、二週間ほど先輩の新入生とともに、濃紺の背広で入学式に出席した。それからオリエンテーションがあり、学生証を受け取り、履修キット一式と生協や自治会やらの白地の申込書を手渡され、いろいろなサークルや運動部──医学部テニスとか医学部ワンダーフォーゲルのように、履修スケジュールが特異な医学部のために、クラブが別編成になっていた──の勧誘を受け、しかしながらセレモニーが終わると、沈鬱な心地で最寄のバス停まで歩いた。
 気落ちしているとまでは思いたくなかった。だがわたしは我慢していたのだ。自分の気持ちに素直に従うならば、とんでもない言動をやらかしそうだった。二十歳前の惚けた顔が、自分の顔と同じ高さで延々と居並ぶ光景を、あれほど不気味なものだとは、それまで想像できなかった。知らぬどうしが出身地や共通一次試験の結果を教え合って小刻みに飛び跳ねている。握手までしている者もいる。うす気味の悪い連中だと思った。
 希望に満ちた大学生活の第一日目として日記に認めるのは、まったく気が進まなかった。その第一日目から嘘を書くことになり、おそらくそれ以降も単なる作業でしかなくなる。これから飛び込む世界を、耳目を傾けるべき対象を、知りもしないでどうしてこれほど心が沈むのか。原因はただひとつで、高校の卒業間近から始まった二年数か月に及ぶ蟄居生活の間に、わたしは度を超えたなまくらな人間に仕上がっていたからである。人の笑顔やそれに応じることを煩わしく思い、人に話したり話しかけられたり、ましてや自分の行動を縛ることになるスケジュールを計画して提出することが億劫でしかたがなかった。
 授業や実習にひとつも出なかったということではない。わたしは選択したカリキュラムの一覧表をながめながら、興を覚えた科目を、まだら禿のように選んで出席してみた。体育の授業だけは、理由なしに二回欠席すると即留年決定という、わかりやすい障害物があったので、噂の域を出ないとはいえゲーム感覚で欠席を回避した。明治や大正の時代に、東大へ入ったものの授業に出たのは三日だけで不忍池で釣りばかりしていた人の話が記憶に残っていた。当時そういった人物列伝を読む機会がよくあり、豪胆だと思っていた節があった。
作品名:蒼天の下 作家名:中川 京人