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中川 京人
中川 京人
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蒼天の下

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 さらに二十分ほど待ち、二時を少し回ったところで、谷岳氏と学年担任のI先生が揃って現れた。I先生はわたしを見るなり、おう、と口先で言ったものの言葉が続かず、わたしの右隣りにいる父に向って何やら口を動かして会釈した。父も誰それ構うことなく、半分腰を浮かせて手短に応じている。このI先生もよくわからん男で、それは今更もういいのだが、初めのうちは大学という場所に、こうしたつかみ所のない二重人格的なパーソナリティーが多く跳梁する魔界のようなイメージを持ったものである。それはさておき──。
 谷岳氏は腕時計に目をやり、大市に何か告げると、大市は承知したようにすぐに出て行った。まもなく三名の中老年の面々が相次いで入室して席に着いたが、遅刻しているもうひとりを待とうということになって、谷岳氏のいう事情聴取は、十五分遅れで始まった。
 学部からは教授が四名が出席し、I先生、それに谷岳氏を加えた都合六名が長机の向こう側に陣取った。冒頭、各教授らにA四サイズの用紙が数枚ずつ配布され、谷岳氏が簡単な挨拶を行った。その後、出席者の名前を順に読み上げるのだが、これら学部教授たちは、まったく聞き覚えのない名前と顔ぶれである上に──それがそもそも問題なのだが──老人特有の咳きの合間にぼそぼそとやるものだから、結局、誰が何様なのかひとりもわからなかった。ゆえに初対面であるところの彼らのパーソナリティーは、想像に頼るより他はなかった。
 まずはエジソン。おそらくはその風貌と、奸策により政敵を貶める手法から、周囲ではそうささやかれているのは確実である。頭髪、眉毛ともは完全な白色で、わたしの死ぬ前の祖母にも似ているのだが、隣の父にとっては、母親の面影は別のところにあるようだ。推定年齢六十五歳の、やや小柄な一見穏健派風。その実くせ者。手持ち無沙汰にまかせて手元のペーパーを繰っているが、知らぬ間に誤植や誤用を探す癖が出ている。養子縁組によりこの地を踏んでより三十有余年、M大学に骨を埋める覚悟はできている。
 そのエジソンよりも身体も態度もでかいが、意外に閑職かとの疑いを抱かせる、地黒のこわもてがエジソンとI先生の間にいち早く居場所を決める。猛悪な目つきをもたらす粘着気質は半世紀以上の筋金入り。その容貌につり合った言葉遣いが肝要であると常に考えている。愚身を賭してお諫め致し申す、とかつて詰め寄られた数名の上司あり。上昇志向は強いが、最近糖尿病の進行で気弱になり始めている。マフィアと呼ぶことにする。
 エジソンの向かって左隣で背筋を伸ばし腕を組んで目をつむるのは、黒染めオールバックのやや脂ぎった小太り。胸にペンの並んだ白衣を着ている。学部内のあらゆることに長けているとおぼしき還暦手前は、谷岳氏と同じ年齢層か。広い額と色白の外見は駅前の中華料理屋天竺の謝さんタイプ。己の知性を自認し、エジソンの後釜を狙うナルシスト。見かけとは裏腹に小心かつ細心。気遣いと助平心が同居。日ごろから暴走気味のマフィアには手を焼いている。
 それから、遅れてやってきた老教授が中華の謝さんからやや離れていちばん奥に陣取る。この方は雑誌によく挟み込んである、模写して送付すれば採点しますというイラスト教室の広告ハガキに、手本として乗せてあるパイプをくわえた老人、あのモデルに違いない。普段はたいてい何も見ていないが、見るときには眼鏡をずり落とすのでそうと知れる。敵に回すと意外と手強い。パネルディスカッションではこの手合いが最後まで折れないが、少数意見として尊ばれて名を残すのみに終わることが多い。
 さて居並ぶ積学の面々、むろん何ら押し黙る義理のあるはずもなく、六メートルほど離れて対面するわたしたち親子を、新種の実験動物でも見るように、やや高みに位置する長机から見下ろしながら、頬を近づけて言葉を交わしている。わたしは任意の中老年六名が参集して、このように全員が頭頂部に頭髪を持つ確率はいったいどのくらいなのかとぼんやり考えていた。この方たちとわたしとの間に共有する点を描こうにも、社会通念上の用語を用いる限りにおいて不可能であることは予想がついていた。両者をとり結ぶ適当な言葉が見つからない。わたしは相当な落ちこぼれなのである。意欲や責任や後悔といった語の意味が、わが肉に浸透してこない。それは学者先生たちも察している。するとこの集まりは、万一、社会性の欠缺がわたしの生活習慣以外に起因するとなれば、この場を借りて、博覧強記をもって鳴る彼らの博識に乞丐するのも一考ではないかとの、谷岳氏の親心によるものでもあるのだろうか。
 教授たちの紹介が終わると、次にわたしに関する赤面もののデータが谷岳氏によって読み上げられた。ときおりI先生に確認などする様子が念押しのようでわざとらしい。あるいは苦笑するI先生の立場を演出する狙いでもあるのか。うつむき加減でちらりと父の方に目をやると、進行役の谷岳氏を見据え、ときおり感心したように頷いている様子である。
 谷岳側が父の出席を求めた意図ははっきりしないが、おそらくは、父から何かを聞きたいというよりも、わたしの大学生活の現状について伝聞という形ではなく直接に知る機会を持たせ、その上で、仮にこの会合の結論としてわたしに義務を課すことがあれば、人的保証というのか連帯責任的なもので担保しようと考えたのだろう。あるいは未知の相手に効果のほどが明らかならぬとしても、父親からの叱責など、わたしに対する懲罰的な措置としてなら意味があろうと踏んだものと思われるが、この企てが徒労に終わったと彼らが知るのは、まもなくのことに違いない。父は、彼らが目論むように行動することは決してないだろう。
 だいたいにおいて、教授らは工場従業員というものの実態を知らない。工員は人の話など聞かない。というより言葉に依拠する部分が少ない。彼らを支配しているのは、目の前の「モノ」なのである。「はじめにモノありき」の民なのである。彼らを納得させるには、モノを目の前において指差し呼称で「これがこうだから、ここをこんなふうに」と、防音用の耳栓を貫く大声でわめかなければ埒があくものではない。ひらがなが主体となり、聴き言葉で意味が通るようにする必要がある。同音異義語を持つ語の使用は、製造現場ではご法度である。命に関わる。仕様書の行間など絶対に読まない。命に関わる。
 したがって彼らがそんな目論見を持っているようでは、挫折するのは時間の問題なのだが、確かに時間も問題なので、わたしは特に異を唱えず、成り行きを見守ることにした。
 ──というわけでして、率直に言いまして、われわれとしても大変きつい。すでに結論が出ていると申し上げねばなりません。早い話が進級拒否、近々退学していただく方向です。
 谷岳氏は、父とわたしをかわるがわる見ながら言った。父は何も発言しない。質問をされていないのだから当然である。わたしは父の方を向き目を合わせてみた。父はこちらを見て、困ったことになったなあ、というような表情をしているだけである。
作品名:蒼天の下 作家名:中川 京人